アーカイブス~春の兼六園
2 0 1 0 年 4 月 4 日 ( 日 )午 前 1 0 時 5 5 分石 川 県 金 沢 市特 別 名 勝 ・ 兼 六 園2011年12月の北陸の旅からさかのぼること1年9ヶ月前。このときも北陸3県を訪れていた。富山にちょっと寄り、和倉温泉に泊まる。金沢をたっぷり回り、市内のビジネスホテルに泊まる。福井の東尋坊を訪れ、夜行で東京に戻ってそのまま仕事に行く。いささか慌ただしい旅だった。…まあ、私が慌ただしい旅をしなかったことはないのだが。兼六園は、5代藩主・前田綱紀が「蓮池庭」を造営したことから始まる。12代藩主・斉広(なりなが)は自分の隠居所として「竹沢御殿」を造営した。斉広は、白河楽扇(寛政の改革を指揮した前の老中・松平定信)に御殿の庭園の命名を依頼した。楽扇は、中国・宋の庭園ガイドブックであった『洛陽名園記』の記述から「兼六園」と名付けた。 洛 人 云、園 圃 之 勝、 (洛人云う、園圃(えんぽ)の勝…) 不 能 相 兼 者 六 (相兼ぬるあたはざるは六なり) 務 宏 大 者 少 幽 邃 (宏大を務むるは幽邃少なし) 人 力 勝 者 少 蒼 古 (人力勝るは蒼古少なし) 多 水 泉 者 艱 眺 望 (水泉多きは眺望難し) 兼 此 六 者、 (此の六を兼ねるは…) 惟 湖 園 而 已 (ただ湖園のみ)その後「蓮池庭」と「竹沢御殿」が一緒になり、現在の兼六園となる。雪国にも春は訪れ、雪解けの兼六園は私を迎えた。霞ヶ池とことじ灯籠。 雁行橋。 栄螺(さざえ)山からの眺望。 根上松。 唐崎松。 瓢池。 瓢池に咲く桜。 梅林の梅。春に訪れたときの画と、今回の冬の画を並べてみました。ほぼ同じ角度から撮っている画もあったことに、ちょっとした驚きを覚えました。雪の兼六園・前編へ。雪の兼六園・中編へ。雪の兼六園・後編へ。雪の兼六園・終編へ。