カテゴリ:テレビ番組・映画
![]() 10月11日(土)深夜にやっていたNHK「ファミリーヒストリー」を見た(7月21日(火)深夜2:05~再放送があるようだ)。ゲストの家族史を紹介するバラエティで,今回のゲストはルー大柴だった。司会はガレッジセールと高橋美鈴アナウンサー。 タレント自身の生い立ちを紹介する番組はよく見かけるし,NHKでもドラマ仕立ての「わたしが子どもだったころ」などがあるが,その人の父母や祖父母を辿っていくというのはちょっと目新しかったので見てみた。ルー大柴には最近ルー語変換で少し興味を持っていたというのもあるが。 貧しい農家に生まれた彼の祖父,前田利男は幼いころから丁稚奉公に出される。奉公先はロシアのウラジオストクにあった日本人が経営する時計店。商売の才があったのか,やがて店を任されるまでになる。しかし1917年のロシア革命により貴族が国外に逃げ,得意先を失ってしまう。そこで,意を決してロシア貴族が多く移り住んでいた中国のハルビンに自分たちも移住,小さいながら「前田時計店」を構える。商売は成功し,鉄筋4階の大きなビルを建て,支店も増える。1931年の満州事変によりハルビンは満州国となり,やがて前田時計店は満州一の時計店と呼ばれるまでになる。 利男の次男として生まれたルーの父,稔は,兄弟のなかでも語学に優れており,利男の後継として期待される。しかし程なく大戦が始まり,学生仲間の1人は特攻で戦死。自らも志願して入隊しロシア国境付近に派遣される。大戦末期にはソ連軍の満州侵攻により,前田時計店にあった金品はソ連兵によって全て略奪される。入隊後数ヶ月で戦争は終結したものの,満州にいた稔は日本人捕虜としてシベリアに抑留される。ロシア語が堪能だったため通訳として使われ,ソ連兵に捕虜の惨状を訴えるも聞き入れられず,せめて得意だったハーモニカで仲間の気を紛らわす。 多くの捕虜が亡くなっていく中生き延び,戦後4年経ってようやく日本に帰国。印刷所の娘だったルーの母と結婚して婿養子に入り,ルーが生まれる。ところが日本の生活に馴染めず,ルーが高校を出たあと離婚。やがて稔は糖尿病を患い,療養所に入所。相変わらずハーモニカで周りの友人を楽しませていたが,10年後にひっそりと亡くなる。ルーは離婚後は稔に会っていないという。 祖父と父の人生はVTRによって紹介されていくが,ルー本人はVTRの内容を知らない。祖父はもちろん父からも詳しく聞かされていなかったため,稔がシベリアで抑留されていたことなど,スタジオで初めて知る事実も多かったようだ。そのため,VTRが終わるたびにスタジオのカメラはルーの涙を期待してかルーの顔を大写しにするのだが,ルーはできるだけ平静を保とうとするかのような表情を見せる。 しかしついに彼が男泣きしてしまうのは,父が療養所で友人に「マイサンが今度テレビジョンに出るんだ」と得意げに話していたというエピソードが紹介された時。父は満州でロシア語や英語を話していたために,欧米を放浪したルーと同様外国語混じりの話し方になっていたという。 「亡くなった人の思いをVTRで聞き涙を流すタレント」という構図はテレビではよくあるが,演出が自然だったためか,祖父や父への彼の感謝の気持ちや,生前それを伝えることができなかったことへの無念な思いが違和感なく伝わってきた。VTRも,ルーの血縁者だけでなく,祖父に雇われていた元店員や収容所で父に会った人物の証言なども盛り込まれ,また現存するハルビンの元前田時計店ビルへの取材もあり,当時の一商家の栄枯盛衰を描いたドキュメンタリーとしても十分楽しめた。また,家族史を辿ることで自分のアイデンティティを探るという番組のテーマも,亡くなった私の祖父の代の話をたまたまこの盆に親族から聞く機会があったりしたので,個人的にも興味深かった。 それにしても,私は全く知らなかったが,これほど劇的な経験をした祖父や父を持つタレントはそういないだろう。また,VTRを見た後のルーの表情がちょっとでも不自然だったら,感動は半減していただろう。この番組はレギュラー番組を目指す単発番組,「番組たまご」の枠だったようだが,その意味では,今後レギュラー番組として色々なタレントを扱っていくとなると,今回のようなクオリティを保つのはなかなか難しそう。 ![]() ![]() [DVD] TVドキュメンタリー|楽天ブックス 人文・地歴・哲学・社会:楽天ブックスベストセラーランキング 想い出の音楽・映像をセットでお届け:コロムビアファミリークラブ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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