命とか命とか 連鎖的な考えで
ゴルゴ松本は新世紀になってからか、「命」のポーズでかなり非難を受けた。命を軽々しく言いすぎだとのことで。だとすると、命は重いのか?クラスの人に聞くとみんな「うん」とうなずく。じゃあ「なんで重いの?」 って聴くと、「大事なものだから。」って答えた。命は「大事」なのか? 俺は大事だと思う。けど「大事」「大事じゃない」のはその人の価値観だ。価値観は自由である。価値観が自由になってくると、「死」を考えることも自由だ。だとすれば、死は「自由」になるけど「自由」にはルールがある。「人に迷惑をかけると、『自由』は、『勝手』になる」こと。例えば、飛び降りて下の人を巻き添えにしたり。家族や警察から失踪届け出されたり、家族に心配させたり。そういった周りに迷惑がかかるから「自殺」は良くないものだと思う。でも一人で迷惑がかからなかったら.. という考えで「自殺」は是認されるのかは謎。「自殺幇助」はなぜ悪いのかも謎。