2006/10/19(木)16:52
心にナイフをしのばせて
心にナイフをしのばせて 奥野修司著 文藝春秋
Here There and Everywhere というブログで見て
どうしても読みたかった本を、今日やっと読み終えました。
感想は...........
...............。
ここのところ、毎日のように報道される事件・事故に、ウンザリさせられながらも、
いつも考えるのは、こうした事件・事故に突然被害に遭われた方々、
いわゆる、「 犯罪被害者 」 の方々のことでした。
当然、犯人(加害者)は、逮捕され、ニュースでも取り上げられ、
その様を世に曝され、法によって裁かれる。
しかし、毎日のように起こる事件の中で、
過去の事件はどんどん風化していき、人々の記憶から消えていく。
その一方で、被害者のご遺族たちは、その苦しみを延々と引きずりながら
生き地獄とも呼べる日々を歩まれている。
テレビやニュースはそういうところにはスポットライトを当てようとしない。
もっとも、ご遺族の方が、嫌がられるのだろうが。
この本は、そうした犯罪被害者の苦しみの人生を、克明に表しています。
特に最近問題となっている、「少年犯罪」の被害者であるだけに、
その苦しみはさらに大きいものと言えるかもしれません。
どんな罪を犯そうとも、
法の下で定められた罪を償えさえすれば、
すべて終わりと許されるものなのでしょうか?
加害者側は、刑を終え、過去を忘れることで、苦しみから逃れることができるかもしれない。
しかし、被害者側は、決してそうはいかない。癒されることはないのです。
そのことを、法は(国は)理解しているのであろうか?
この事件の加害者のA氏も、「少年法」により、2,3年で社会にでて、
養子縁組することで苗字を変え、2つの大学を出て、
現在は、なんと!「 弁護士 」 として働き、裕福な暮らしをしているとのこと。
そこだけにスポットライトを当てれば、立派に「更正」した素晴らしい例であろう。
が、しかし、このA氏、殺害した少年の遺影に手を合わせるどころか、
ご遺族に対しても一言の謝罪の言葉もない。
さらに、裁判で言い渡された賠償金もほとんど払わずに無視し続け
平然としている。
これが、弁護士という仕事をしているというから、信じられない。
これで「更正」したと言うことができるのだろうか?
日本の法律は、被害者に厳しく、加害者に優しい。
???である。
本書の中に、
「2004年度で、日本政府が犯罪加害者の更正にかける支出は年間460億円。
一方で、被害者のための予算は、年間わずか11億円。これでも相当増えたのだ。」
とある。また、
「莫大な予算をかけて、犯罪者の人権にはきめ細かい配慮をしながら、
被害者の遺族には何のケアもせず、さらに彼らを癒そうとする手だてすら持たない
ということはどう考えても納得がいかない。」
と続く。
残酷な犯罪を犯しながら、人の命を奪いながら、
国は、莫大なお金をかけて殺人者を更正させ、社会に送り出す。
その一方で、被害者の家族は、大変な苦しみと悲しみの中で、
身も心もボロボロにされ、何の保護も受けれないまま、
その家庭すら崩壊させていく。
人の命って何なのでしょう?
人権って一体何なのでしょう?
法律って一体誰のためのものなのでしょう?
「犯罪」と「刑罰」について書いたことがあります。
↑↑↑
読んでみてください。
その時の考えと今も変わりはありません。
本書を読んで、さらに遺族の悲しみ、苦しみが深く心に沁みました。
犯してしまった罪は一生償うことはできません。
でも、償う努力はいくらでもできるハズです。
せめて、被害者のご遺族の心がホンの少しでも癒されるまで、
その償いは続いてしかるべきものではないでしょうか。
この春、父を亡くし、突然家族を失う悲しみを痛感させられた。
私の父は犯罪に巻き込まれたわけではありませんが、失って初めて分かるものがあります。
本書を読みながら、幾度となく涙がこぼれました。
不運にも、犯罪に巻き込まれ、一瞬にして幸せな家庭が崩壊していく。
その苦しみを何十年という間引きずりながら、それでも生きていかなければならない。
一体どうして私なの?一体何が悪いの?
そんな答えの出るはずのない問いに、自問自答を繰り返しながら、
死んだように生きていく。
そんな気持ち、到底理解することはできないけれども、
そういう気持ちを分かろうと努力することで、そういう人々が増えていくことで
犯罪というものは、少しでも減っていくのではないでしょうか。
そうした意味で、本書が世の中に問いかけるものは大きいのではないでしょうか。
子どもたちが安心して暮らせる世の中を作って行きたいものです。
心からそう祈ります。