特定地方交通線特定地方交通線(とくていちほうこうつうせん)とは、「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(国鉄再建法)に規定する地方交通線のうち、バス転換が適当とされた旅客輸送密度4,000人未満の国鉄路線のことである。この中から、輸送密度等の条件を勘案して第1次から第3次までの廃止対象路線が選定された。また、1968年に国鉄諮問委員会が「使命を終えた」ローカル線を選定し、その廃止を促したいわゆる「赤字83線」の取組みが、政治的な理由で頓挫してしまった反省を受け、特定地方交通線転換の見返りに、転換交付金(1kmあたり3,000万円)の交付や転換後5年間の赤字補填(バス転換は全額、鉄道維持は半額)を保証する等、アメとムチによる転換の推進が図られた。転換交付金は、転換のための初期投資や赤字補填のための経営安定基金の造成等にあてられた。 転換・廃止路線とその後 特定地方交通線の転換は、1990年4月の宮津線を最後に終結し、最終的に83線(3,157.2km)が転換された。鉄道として存続したのが38線(1,310.7km)、バス転換が45線(1,846.5km)であった。 こうして特定地方交通線の転換は、ひとまず終結をみたものの、転換後の第三セクター鉄道の経営環境は厳しさを増しており、多くの会社で転換時よりも乗客数が減少している。累積赤字がかさみ、赤字補填のための経営安定基金すら取り崩しにより底をつくなど、具体的にその存廃が協議されている会社もあり、今後もその行方が注目される。これはバス転換された路線でも同様で、山野線のように、バス会社が撤退した区間を地元自治体が引き受けざるを得ない事態も生まれている。また、白糠線転換バスなど、当初は鉄道時代より増便されたが、その後減便された路線は多い(白糠線の場合は鉄道時代に比べ1往復増の4往復が設定されたが、後に学校登校日に2往復のみとなった)。過疎地帯では、公共交通の完全消滅も現実味を帯びた状況となっている。 なお、特定地方交通線廃止路線の代替バスは、JR自身は運行できないことになっている。 第1次廃止対象 1982年度末までに廃止することとして、1981年9月18日に廃止承認された路線で、次の基準によって選定された。 次の条件に該当する線区を除外 ピーク時の乗客が一方向1時間1,000人を超す 代替輸送機関が未整備 代替輸送道路が積雪で年10日以上ストップ 1人の平均乗車キロが30kmを超え、輸送密度が1,000人以上 将来沿線に団地などの造成により利用客の増加が見込まれる場合はそれを勘案 営業キロが30km以下の盲腸線(行き止まり線)かつ旅客輸送密度が2,000人/km/日未満(石炭輸送量が72万t以上の路線は除く。) 営業キロが50km以下かつ旅客輸送密度が500人/km/日未満 これにより指定された第1次廃止対象特定地方交通線は、次の40線区(729.1km)である。第1次廃止対象候補候補であった漆生線は、今後の乗客増加が見込まれるとして第2次廃止対象にまわされた。 転換は、1983年の白糠線を皮切りに1988年の木原線を最後にすべての線区が決着した。うち、第三セクター鉄道に転換されたのが16線、民営鉄道に転換されたのが2線、バス転換が22線であったが、民営鉄道に転換された2線は、すでに廃止されている。 興浜北線 (浜頓別-北見枝幸 30.4km) - 1985年7月1日 宗谷バスに転換 興浜南線 (興部-雄武 19.9km) - 1985年7月15日 北紋バスに転換 美幸線 (美深-仁宇布 21.2km) - 1985年9月17日 名士バスに転換→現在は美深町営バス 渚滑線 (渚滑-北見滝ノ上 34.3km) - 1985年4月1日 北紋バスに転換 相生線 (美幌-北見相生 36.8km) - 1985年4月1日 北見バス・津別町営バスに転換 白糠線 (白糠-北進 33.1km) - 1983年10月23日 白糠町営バスに転換 万字線 (志文-万字炭山 23.8km) - 1985年4月1日 北海道中央バスに転換 岩内線 (小沢-岩内 14.9km) - 1985年7月1日 ニセコバスに転換 大畑線 (下北-大畑 18.0km) - 1985年7月1日 下北交通に転換。2001年4月1日廃止。下北交通バスに転換 黒石線 (川部-黒石 6.6km) - 1984年11月1日 弘南鉄道に転換。1998年4月1日廃止。弘南バスに転換 久慈線 (久慈-普代 26.0km) - 1984年4月1日 三陸鉄道に転換 宮古線 (宮古-田老 12.8km) - 1984年4月1日 三陸鉄道に転換 角館線 (角館-松葉 19.2km) - 1986年11月1日 秋田内陸縦貫鉄道に転換 矢島線 (羽後本荘-羽後矢島 23.0km) - 1985年10月1日 由利高原鉄道に転換 盛線 (盛-吉浜 21.5km) - 1984年4月1日 三陸鉄道に転換 丸森線 (槻木-丸森 17.4km) - 1986年7月1日 阿武隈急行に転換 赤谷線 (新発田-東赤谷 18.9km) - 1984年4月1日 新潟交通バスに転換→現在は新潟交通北 日中線 (喜多方-熱塩 11.6km) - 1984年4月1日 会津乗合自動車に転換 魚沼線 (来迎寺-西小千谷 12.6km) - 1984年4月1日 越後交通バスに転換 神岡線 (猪谷-神岡 20.3km) - 1984年10月1日 神岡鉄道に転換 木原線 (大原-上総中野 26.9km) - 1988年3月24日 いすみ鉄道に転換 清水港線 (清水-三保 8.3km) - 1984年4月1日 静岡鉄道バスに転換→現在はしずてつジャストライン 明知線 (恵那-明知 25.2km) - 1985年11月16日 明知鉄道に転換 樽見線 (大垣-美濃神海 24.0km) - 1984年10月6日 樽見鉄道に転換 信楽線 (貴生川-信楽 14.8km) - 1987年7月13日 信楽高原鐵道に転換 北条線 (粟生-北条町 13.8km) - 1985年4月1日 北条鉄道に転換 三木線 (厄神-三木 6.8km) - 1985年4月1日 三木鉄道に転換 高砂線 (加古川-高砂 6.3km) - 1984年12月1日 神姫バスに転換 若桜線 (郡家-若桜 19.2km) - 1987年10月14日 若桜鉄道に転換 倉吉線 (倉吉-山守 20.0km) - 1985年4月1日 日本交通バス・日ノ丸自動車バス・一畑電気鉄道バス・湯原バスに転換(後に一畑電気鉄道バスは撤退)→現在は日本交通バス・日ノ丸自動車バス・中鉄美作バス 小松島線 (中田-小松島 1.9km) - 1985年3月14日 小松島市営バスに転換 香月線 (中間-香月 3.5km) - 1985年4月1日 西鉄バスに転換 室木線 (遠賀川-室木 11.2km) - 1985年4月1日 西鉄バスに転換 添田線 (香春-添田 12.1km) - 1985年4月1日 西鉄バスに転換 勝田線 (吉塚-筑前勝田 13.8km) - 1985年4月1日 西鉄バスに転換 甘木線 (基山-甘木 14.0km) - 1986年4月1日 甘木鉄道に転換 矢部線 (羽犬塚-黒木 19.7km) - 1985年4月1日 堀川バスに転換 宮原線 (恵良-肥後小国 26.6km) - 1984年12月1日 大分交通バスに転換→現在は玖珠観光バス 高森線 (立野-高森 17.7km) - 1986年4月1日 南阿蘇鉄道に転換 妻線 (佐土原-杉安 19.3km) - 1984年12月1日 宮崎交通バスに転換 第2次廃止対象 輸送密度2,000人/km/日未満の路線が選定された。第2次廃止対象として廃止申請された33線中、1984年6月22日、27線(1,540.4km)を承認、6線を留保したが、留保されたうち北海道の長大4線(天北線、名寄本線、池北線、標津線 548.8km)が冬季の代替輸送に問題がなくなったとして追加承認(1985年8月2日)、2線(岩泉線、名松線)は代替道路の不備を理由に申請が撤回された。最終的に下記の31線(2,089.2km)が第2次廃止対象特定地方交通線として選定された。 天北線 (音威子府-南稚内 148.9km) - 1989年5月1日 宗谷バスに転換 羽幌線 (留萠-幌延 141.1km) - 1987年3月30日 沿岸バスに転換 名寄本線 (名寄-遠軽、中湧別-湧別 143.0km) - 1989年5月1日 北見バス・北紋バス・名士バスに転換 湧網線 (中湧別-網走 89.8km) - 1987年3月20日 網走バスに転換 池北線 (池田-北見 140.0km) - 1989年6月4日 北海道ちほく高原鉄道に転換 標津線 (標茶-根室標津、中標津-厚床 116.9km) - 1989年4月30日 阿寒バス・根室交通に転換 士幌線 (帯広-十勝三股 78.3km) - 1987年3月23日 十勝バス・北海道拓殖バス・上士幌タクシーに転換(後に上士幌タクシーは撤退) 広尾線 (帯広-広尾 84.0km) - 1987年2月2日 十勝バスに転換 歌志内線 (砂川-歌志内 14.5km) - 1988年4月25日 北海道中央バスに転換 幌内線 (岩見沢-幾春別、三笠-幌内 20.8km) - 1987年7月13日 北海道中央バスに転換 富内線 (鵡川-日高町 83.0km) - 1986年11月1日 道南バスに転換 胆振線 (伊達紋別-倶知安 83.0km) - 1986年11月1日 道南バスに転換 瀬棚線 (国縫-瀬棚 48.4km) - 1987年3月16日 函館バスに転換 松前線 (木古内-松前 50.8km) - 1988年2月20日 函館バスに転換 阿仁合線 (鷹ノ巣-比立内 46.1km) - 1986年11月1日 秋田内陸縦貫鉄道に転換 会津線 (西若松-会津高原 57.4km) - 1987年7月16日 会津鉄道に転換 真岡線 (下館-茂木 42.0km) - 1988年4月11日 真岡鐵道に転換 足尾線 (桐生-足尾本山 46.0km) - 1989年3月29日 わたらせ渓谷鐵道に転換(間藤-足尾本山(貨物線・1.9km)は廃止) 二俣線 (掛川-新所原 67.9km) - 1987年3月15日 天竜浜名湖鉄道に転換 越美南線 (美濃太田-北濃 72.2km) - 1986年12月11日 長良川鉄道に転換 伊勢線 (河原田-津 22.3km) - 1987年3月27日 伊勢鉄道に転換 岩日線 (川西-錦町 32.7km) - 1987年7月25日 錦川鉄道に転換 漆生線 (下鴨生-下山田 7.9km) - 1986年4月1日 西鉄バスに転換 上山田線 (飯塚-豊前川崎 25.9km) - 1988年9月1日 西鉄バスに転換 佐賀線 (佐賀-瀬高 24.1km) - 1987年3月28日 西鉄バスに転換 松浦線 (有田-佐世保 93.9km) - 1988年4月1日 松浦鉄道に転換 高千穂線 (延岡-高千穂 50.1km) - 1989年4月28日 高千穂鉄道に転換 山野線 (水俣-栗野 55.7km) - 1988年2月1日 南国交通バスに転換 宮之城線 (川内-薩摩大口 66.1km) - 1987年1月10日 南国交通バスに転換 志布志線 (西都城-志布志 38.6km) - 1987年3月28日 鹿児島交通バスに転換→現在は大隅交通ネットワーク・三州自動車 大隅線 (志布志-国分 98.3km) - 1987年3月14日 鹿児島交通バス・JR九州バスに転換(後にJR九州バスは撤退)→現在は大隅交通ネットワーク 第3次廃止対象 1986年5月27日(3線 124.0km)、同年10月28日(1線 30.6km)、1987年2月3日(8線 184.3km)の3次にわたって廃止承認された路線で、輸送密度4,000人/km/日未満の12線(338.9km)が選定された。第3次廃止対象特定地方交通線は次のとおりである。第3次線は比較的輸送量が多かったこともあり、沿線自治体の第三セクター立ち上げも早く、比較的短期間で全線が決着した。 岡多線 (岡崎-新豊田 19.5km) - 1988年1月31日 愛知環状鉄道に転換 能登線 (穴水-蛸島 61.1km) - 1988年3月25日 のと鉄道に転換。2005年4月1日 廃止。能登中央バス・奥能登観光開発バスに転換 中村線 (窪川-中村 43.4km) - 1988年4月1日 土佐くろしお鉄道に転換 長井線 (赤湯-荒砥 30.6km) - 1988年10月25日 山形鉄道に転換 宮津線 (西舞鶴-豊岡 83.6km) - 1990年4月1日 北近畿タンゴ鉄道に転換 鍛冶屋線 (野村-鍛冶屋 13.2km) - 1990年4月1日 神姫バスに転換 大社線 (出雲市-大社 7.5km) - 1990年4月1日 一畑電気鉄道バスに転換→現在は一畑バス 糸田線 (金田-田川後藤寺 6.9km) - 1989年10月1日 平成筑豊鉄道に転換 田川線 (行橋-田川伊田 26.3km) - 1989年10月1日 平成筑豊鉄道に転換 伊田線 (直方-田川伊田 16.2km) - 1989年10月1日 平成筑豊鉄道に転換 宮田線 (勝野-筑前宮田 5.3km) - 1989年12月23日 JR九州バスに転換(既存の直方線による運行、後に廃止) 湯前線 (人吉-湯前 24.9km) - 1989年10月1日 くま川鉄道に転換 鉄道建設公団建設線の開業 国鉄改革が取り沙汰される一方で、改正鉄道敷設法の規定に基づき、日本鉄道建設公団(鉄建公団)の手によりローカル線の建設は続けられていた。しかし、特定地方交通線の転換・廃止が議論される一方でローカル線を新たに建設するのは矛盾が生じるため、1980年4月、運輸省(当時)は、建設線のうちAB線(地方交通線・地方幹線)の建設を凍結する措置をとった。特定地方交通線相当の輸送密度4000人/km/日未満の路線が選定され、例外は認められなかったため、完成を目前にして建設が凍結された路線も見られた。 その後、第三セクター等、完成後の受け皿が決まれば、建設を再開する道が開かれ、これにより15線が開業している。この中には、途中で線路規格を高速運転用に変更し、幹線鉄道に転換したものもある。また、こうした新規開業路線にも1kmあたり1,500万円(1,000万円?)の転換交付金が交付されている。 鷹角線 (比立内-松葉 29.0km) - 1989年4月1日開業 - 秋田内陸縦貫鉄道 久慈線 (田老-普代 32.2km) - 1984年4月1日開業 - 三陸鉄道 盛線 (吉浜-釜石 15.0km) - 1984年4月1日開業 - 三陸鉄道 野岩線 (新藤原-会津高原 30.7km) - 1986年10月9日開業 - 野岩鉄道 丸森線 (福島(矢野目信号場)-丸森 37.5km) - 1988年7月1日開業 - 阿武隈急行 鹿島線 (北鹿島-水戸 53.0km) - 1985年3月14日開業 - 鹿島臨海鉄道 北越北線 (六日町-犀潟 59.5km) - 1997年3月22日開業 - 北越急行 岡多線・瀬戸線 (新豊田-高蔵寺 25.8km) - 1988年1月31日開業 - 愛知環状鉄道 樽見線 (神海-樽見 10.9km) - 1989年3月25日開業 - 樽見鉄道 宮福線 (宮津-福知山 30.4km) - 1988年7月16日開業 - 宮福鉄道(現・北近畿タンゴ鉄道) 智頭線 (上郡(岩木信号場)-智頭 56.1km) - 1994年12月3日開業 - 智頭急行 井原線 (総社(清音)-神辺 41.7km) - 1999年1月11日開業 - 井原鉄道 阿佐東線 (海部-甲浦 8.5km) - 1992年3月26日開業 - 阿佐海岸鉄道 阿佐西線 (後免-奈半利 42.7km) - 2002年7月1日開業 - 土佐くろしお鉄道 宿毛線 (宿毛-中村 23.6km) - 1997年10月1日開業 - 土佐くろしお鉄道 線名は、鉄建公団の建設線の線名。駅名は開業時のものである。 岡多線・瀬戸線はC線(主要幹線)であったが、輸送密度が特定地方交通線程度と見込まれた。 特定地方交通線以外のローカル線廃止の取組み 国鉄時代 国鉄再建法による線区の仕分けは、同法施行令別表によって行われた。この別表は、日本国有鉄道線路名称に準じており、中には実質的には特定地方交通線とほぼ同等の輸送実態でありながら幹線系線区の一部(いわゆる「名無し支線」)として扱われたため、特定地方交通線に選定されなかった線区がある。これらの線区に対する廃止の取組みもされており、その結果次の3線が廃止されている。 相模線 (寒川-西寒川 1.5km) - 1984年4月1日廃止 - 神奈川中央交通の既存路線で代替。 弥彦線 (東三条-越後長沢 7.9km) - 1985年4月1日廃止 - バス転換 播但線 (飾磨港-姫路 5.6km) - 1986年11月1日廃止 民営化後 1987年の国鉄分割民営化後も、特定地方交通線に選定されなかった地方交通線の状況は厳しさを増しており、引き続いて各社での取組みがされている。現在までに廃止された線区は、次のとおり。深名線以外は、部分廃止。 北海道旅客鉄道(JR北海道) 函館本線(上砂川支線) (砂川-上砂川 7.3km) - 1994年5月16日廃止。北海道中央バスの既存路線に代替 深名線 (深川-名寄 121.8km) - 1995年9月4日廃止。JR北海道バスに転換→現在はジェイ・アール北海道バス 西日本旅客鉄道(JR西日本) 七尾線(一部) (和倉温泉-輪島 48.4km) - 1991年9月1日 のと鉄道に移管。2000年4月1日 穴水-輪島間(20.4km)廃止。能登中央バスに転換 美祢線 (南大嶺-大嶺 2.8km) - 1997年4月1日廃止。船木鉄道バスの既存路線に代替 可部線 (可部-三段峡 46.2km) - 2003年12月1日廃止。広島電鉄バス・広島交通バスに転換 富山港線 (富山-岩瀬浜 8.0km) - 2006年3月1日廃止。(2006年3月1日から2006年4月28日まではバス代行)2006年4月29日富山ライトレールに移管 転換に関わり問題点が指摘された路線 函館本線上砂川支線と歌志内線 どちらも砂川駅から分岐する炭鉱路線であったが、上砂川駅への路線は「函館本線の一部」とされたため歌志内線より輸送密度が低かったものの存続となった。この支線が廃止されたのは、前述したように歌志内線廃止の6年後だった。 江差線と松前線 五稜郭駅-木古内駅間が「江差線」とされていたため、木古内以遠では江差線よりも松前線のほうが輸送密度が高く、松前線の乗客が江差線五稜郭駅-木古内駅間の乗客の多くを占めていたにもにもかかわらず、線名単位で廃止路線が決められたため松前線だけが廃止対象路線となった。 八戸線と久慈線 三陸縦貫線の一部を形成する予定であった路線で、この時は八戸駅から分岐する支線となっていた路線の内、末端だけが「久慈線」という別線名となっていたために、廃止対象路線となった。 伊勢線 線内を無停車で走る特急「南紀」の乗客数がカウントされなかったために、特定地方交通線に指定されたと言われることがある。 小松島線 小松島港へ向かう牟岐線の支線的な路線であったが、独立した線名が与えられており、営業キロが日本最短であったことが作用して、特定地方交通線に指定されたといわれる。 土讃本線と予土線、中村線 中村線は土讃線の延長線的な性格で、予土線よりも輸送密度がはるかに高かったが、第3次特定地方交通線に指定されたのに対し、予土線は並行道路が未整備ということで存続となったため、窪川駅-若井駅間が中村線であったことから、予土線の列車も同区間に乗り入れていたのに、線路が分断される可能性が生じた。土佐くろしお鉄道が中村線を引き継ぎ、予土線列車も従来通り乗り入れる事になったが、当初はバス連絡とすることも検討されたという。 |