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瀧波雅彦の日記

滝波雅彦の歴史

僕(MASAHIKO TAKINAMI)の歴史です

埼玉県で田舎の長男として生まれる。
実家は酒のリテールをやっていました、お酒はうらの倉庫にたくさんあったので、回りからはいつでも飲んでいいと言われていました。父親は転勤の多い銀行員でした(M銀行)

幼稚園児代:遠足が好きだった/初恋経験

小学校時代:
低学年(1~2年生)ではけっこう成績のいい優等生だった。
先生からも友達からもすかれるタイプだったと自分では思う。
4年生でまた別な女の子好きになった、でもすぐに中学で遠距離に
このころからだんだん勉強の成績は下がっていきました。

中学校:
父の転勤の為宮城県の仙台に引っ越し
仙台の中学(名門といわれる五橋中学)にいきそのとたん成績が下がる。
というより周りがあまりにも頭のいい人ばかりで、自分はとたんに落ちこぼれになる。
先生からはおこられてばかりでひねくれる、学校はいってたけどいま思い出せば不良の親友がおおかった、そのころの友人とは最近になりよく連絡取っています。

この時期に野球が自分はなざかうまくなった思い、本格的に野球をする。というか勉強では人と競争するのを潔くあきらめる。中学ではファーストとサードそして3年の時はたまにですが投手として仙台市の大会で3位になる。

この頃パリーグの野球にそまりセリーグの野球を馬鹿にする、ひねくれた性格が形成される(今はセリーグも一球団をのぞきリスペクトしていますよ)あのころ 県営宮城球場で見たカラフルなロッテオリオンズのユニフォームは14歳の僕にはまるで夢の衣装。そして6球団で行われる真剣勝負のパリーグ野球に魂を揺れ 動かされた、しかしスタンドはいつもガラガラだった(笑)。試合がある日は授業をできるだけ早い目に抜けオリオンズのチームとしての全体の動きを試合開始 2時間前から試合終了後まで追いかける。


高校時代:
単身で関東地方に戻る(15歳)
高校受験に失敗
東京の名門私立しか受けなかったのでようするに高校受験をあまく見ていたのです。
なんとか最終的に埼玉の高校にもぐりこみ野球部に入部する。サッカー部から親友を引き剥き投手にして猛練習する、自分はまずは内野(ショート セカンド) から守ったがゴロが取れなく、外野にコンバート、ところが目が悪くなり打球と反対に走るのを見かねた監督さんの判断で最終的に捕手にまたまたコンバート、 そして選手生活を終えた。ようするに草野球レベルならばどこでも守れるのが唯一の能力かな、、、

高校2年で監督や部長にチームのキャプテンにしていただいたので人をまとめるのが得意だと自分では思っています。やはり高校野球の夢である甲子園を目指し たが3年の最後の試合で所沢商業高校に惨敗して初めての野球での挫折。プロにいくレベルの選手が5人も相手チームにいたとはいえいえやはり悔しくて悔しく て野球をやるのをやめようとさえ考えた。高校時代はなぜかマスコミに追いかけられることの多い選手だった、理由は相手が強いとなぜか大きな声で明るくそし て情熱を上げるユニークな選手なので各マスコミからはかわいがられたが、グランド以外で対応するのは正直嬉しかった面もあるけど疲れた。

大学時代:
またまた受験に失敗、第3希望まですべて落ちた。
くやしいので専門学校2こと大学2つに同時にいくが最終的は東京都内の大学の法学部を卒業、法学部のある水道橋は野球を見る環境が整いとても楽しかった、 そして食事は安く美味しかった。別な大学の文学部にも一時いたがそこは授業料が払えなく結局除籍あつかい、あの日本の歴史の汚点のひとつ江川事件の頃なの で後から考えたらよかったのかもしれない、でも文学部地理学科はかなり面白かった。

在学中はアジアへの放浪と旅行会社や外資系ファッション関連会社そして海の家でのアルバイトに明け暮る。英語の勉強ということで外資系のモデルエイジェ シーで働いたこともあるが、あれだけアルバイトしてあれだけ旅に出たのに幸い留年は幸いありませんでした。単位だけは244単位ほど取りました。

このころ日本のすべての都道府県(49都道府県)に旅をした
スリランカから始まった世界への冒険旅行は国の数が途中から数えられなくなった。
インドと中国が印象がおおい。フィリピンに遊学する。

社会人時代:
今度は就職試験に大失敗、第一希望の会社の4時面接で言いたいこと言い過ぎてコテンパンに怒られた。[mその後なんとか中東での仕事の内定後もいろいろありその年赴任先のサウジアラビアに渡航できなくなった。仕事もなく人生お先真っ暗状態。

3人でやっている法律上もぐりのかなり怪しげな旅行会社に約3分の面接で採用決定、その場で大阪支店長の辞令をいただく。大阪で商売の厳しさに、何回も負 けそうになりましたが、なぜか結構楽しく生活していました。街は楽しいけどあまりにも寂しいので彼女をすぐ作る。就職した会社のアメリカ本社が倒産しそう になり、その関係でアメリカに転勤する。

NY,OSAKA,BOSTON,CHICAGO,NY,OSAKA,NY,SEATTLE,WASHINGTON DC,ORLANDで仕事する。主に航空券の販売業務と総務、人事、最後の職務はツアー部門の立ち上げ。営業、総務、人事、予約管理、予約、クレーム処理 が得意、苦手なのが航空券の発行と経理。このころアメリカのすべての州(50州)、プエルトリコ、USバージンアイランド、グアムつまりアメリカの領土ほ ぼすべてに旅をした

日本へ移動。四国(建築関係)と埼玉(地球環境関係)で短期間仕事しながら今後の人生を考えてみた。

2004年から日本語雑誌の運営に参加、それからホテル手配、食事の手配、ツアーガイドが今の仕事。ボストンの情報を本や雑誌、ラジオやテレビを通じて世界中に送るのも仕事のひとつです。大きな夢があるのでお金ためないといけない時期。

現在
ボストンのツアーガイド、野球ガイド
アメリカ東海岸を中心にガイドや旅の手配をする

ツアーガイド、旅行手配、日本語雑誌の出版をしながら
HOTELを持つ夢を追いかけるも毎日が挫折の繰り返し。

趣味:野球

旅は心のビタミン
野球は魂のビタミン

いままでボストンマラソンを7回走りました。
あきらめないで逆転の勝利を最後の最後まで目指しています。
いつでも電話ください 617-515-1822

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