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テーマ:海外生活(7771)
カテゴリ:移住模索期
1985年の1月から開講された「立川 朝日カルチャーセンター」で「浪越徳次郎指圧教室」に通った。10年ほど前に94歳で亡くなられた浪越徳次郎さんも当時はまだまだ元気で現役だった。高校時代、 桂小金治アフタヌーンショーでこの人を初めて見たときは、全身脂ぎったスケベオヤジのように思えてしかたなかった。何しろ、私の憧れのマリリン・モンローに指圧をしたことを自慢している御仁だった。一糸まとわぬ彼女の肌がなんと素晴らしかったか、などと言っている。隅に置けない。
しかし、実際にお会いしいてみると先生は温和な孝行ジイサンといった感じで好感がもてた。 「どうですか、今夜は私のひいきにしている佳山君のパーティーがあるんですが、行きませんか。」クラスの何人かが誘われて出かけることにした。後で聞いた話では、浪越さんは佳山明生さんの後援会長だったとか。私は、指圧師を目指し毎日指を立てることになった。 ちょっと前まではブルドーザーとかを売っていた訳で、その変化に目まいも感じたが、オーストラリアで永住権を申請する時に日本人の技術として、指圧が何かの役に立ってくれるだろうと期待していた。 だが実際には、永住権取得ということではまったく役に立たなかった。日本で、2年間の指圧学校を出て、それなりの資格がないといけないと知った。そんな時間とお金はなかった。 あれから25年、私は、カラオケで「氷雨」を歌うたびに、あの晩のパーティーのことやモンローのことを思いだす。体格の見事なオーストラリア人数人に指圧をして喜ばれた「親指の思い出」も蘇ってくる。 因みに、今は誰からも要望が出ないので全くやってはいない。この不況の中、副業としてやっていこうかと考えない訳でもないが、エロオヤジとか言われそうなので躊躇している。 毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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