タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

2012/03/28(水)21:43

1985年6月に、移住を求めてオーストラリアのシドニー入りをした

移住模索期(68)

移住を求めて1985年6月16日にシドニー入りした。日本にいては何も始まらず、無鉄砲にも観光ビザで飛びこんで来てしまった。33歳になっていた。 日本で言うなら歌舞伎町のど真ん中、みたいなキングスクロスに投宿した。週84ドルのSpringfield Lodge という所を日本から予約していた。場所がよく分からずに決めたが入ってみて驚くことが多かった。売春宿街みたいな所でもあった。でも、すぐに慣れた。最後まで慣れなかったのは横になると床に着いてしまうよなスプリングの効き過ぎたベットだった。でも、一人で寝るんだからこれも別段大きな問題ではなかった。ここの映りの悪いTVで、あの日航機墜落事故も見た。 私の移住を求める長い長い旅は、この薄汚れたホテルの部屋から始まった。 サラリーマン時代の先輩が、たまたまシドニーに出張していて会う事になった。取引先の三井物産の土方さんという人も一緒だった。海外経験の長い土方さんからいくつかのアドバイスをもらった。 1 孤独に耐えるのはいいが、部屋の片隅で耐えるのではなく、堂々とまん中で耐える。 2 まず自分からAction を起こす積極性を持つ。 3 日本人ということを変な意味で意識せずに現地に溶け込む。しかし、日本人を30年以   上やっているのだから、忘れていいこととそうでないことをはっきり意識すること。 4 国際結婚して日本人の夫としての威厳を保ちたかったら、日本で数年住んでみること。   それができないのであれば、本当の意味でオーストラリア人に成りきるよう努力する     こと 5 自分の信念は決して曲げないこと。 そして最後に極めつけ、母親に毎週か二週に一度は手紙を書くこと。 その夜は、宿の柔らか過ぎるベットでいろいろ頂いたアドバイスを思い出したりして、なかなか寝付けなかった。 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター    Twitterブログパーツ

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