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テーマ:楽天写真館(354201)
カテゴリ:移住模索期
「ピーターさん、レストランが休みの月曜日にレストランを使わせてもらえませんか。日本語クラスを開きたいんです。」
メルボルンの青山と私が勝手に言っていたサウスヤラにあった「南レストラン」でバイトをしていて、そこで日本語を教え始めたいと思っていた。オーナーのピーターさんにこう言うと、ピーターさんは快くOKを出してくれた。正直、やっと移住の目標「日本語教師」をスタートできる、そう思うと胸が熱くなった。1986年の6月のことだった。 昼は主婦のクラス、夜は仕事をしている人のクラスがスタートした。毎週月曜が待ち遠しくてしかたなかった。オーストラリアで日本語教師に成る、と言ってサラリーマンも辞め、両親も説得して来ていたが、なかなか機会が持ててなかったのだ。 「きのう、なにをしましたか?」 「うみに 行きました。」 「買います、買いません、買いました、買いませんでした、、、、、」 初級のクラスは生徒の成長が早くて教師としても遣り甲斐がある。ここで、面白くないとなれば彼らは絶対に続けない。初級の教師程大切なものはないと今も思っている。それには、何よりクラスが楽しくないとならない。日本の学校の英語のクラスが楽しいと思ったことはなかった。いつもびくびくしていたような気がする。 「南レストラン」で教えることができたことが、その後の私の日本語教師としての道をしっかりと開いてくれることになった。ピーターさんは今、香港に住んでいてときどきメールをすることができている。恩人だ。 代々木にあったパナリンガ学院で日本語教師になる勉強をしていたとき、その長島学院長がいつも言われていた。。 「タコさん、大丈夫です。必ず道は開けます!」 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター Twitterブログパーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年04月01日 21時11分53秒
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