タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

2013/08/02(金)00:16

大塚の予備校に通っていた頃に勝鬨橋で散った恋が、、、、

タコ生徒・学生期(87)

東京は山手の手線の池袋の隣、大塚駅にあった「武蔵予備校」で浪人時代の1年を過ごした。自慢じゃないが、受験したすべての大学をすべった。文系の午後のクラスは無試験で入れたが、午前の2クラスは試験に受からないと入れない。これにも1度落ちて2度目にやっとのことで入れていただいた。予備校の試験に落ちることほどマゾッけをそそられるものもない。因みに、2年前の大震災際、私はこの大塚駅にいた。母に頼まれて、年寄の原宿、巣鴨地蔵通りでイナゴの佃煮と塩大福を勝っての帰りのことだった、、、、。 カフカを愛読し、ショートホープに手を出し、ついでに予備校同級の女子学生にも出そうと試みた。紀子さんといった。予備校の三人掛けベンチはお尻に冷たく硬かい。座高が高かったので後ろの人たちに迷惑をかけながらも、毎日前の方に座っていた。カフカの「城」を、西武池袋線の車内で毎日立って読みながら、自分をいつまでも城に辿り着けない測量士に見立てて納得していた。私は一生浪人から抜け出せないかも知れないと。 都立白鳳高校卒の紀子さんと、東京中央区にある隅田川に架かる勝鬨橋を歩きながら、私の熱しやすく冷めやすい恋心が勝手に一人歩きをしているのを体が感じた。佃煮の匂いが恋を助長してくれている。 「男と女、好きとか嫌いとかとは別な世界で、きれいな花を見たら『きれいね』とへらへらと笑っているような仲でもいいのでは?私はそんな関係が好き。」と別れの手紙に紀子さんは書いて寄越した。受験が間近に迫った正月明けのことだ。これ以上、悪い時期はない。人をその気にさせておきながら、こんな訳のわからない手紙をもらっても持って生き場がない。まして、栃木県出身の警察官の父に相談なんかするわけにいかない。はっきりと、「あなたは、顔が大きいし、私の趣味じゃありません。」とか言われた方がどんなに嬉しかったことか。 今は、物事をはっきりとストレートに言い過ぎる人たちの世界、オーストラリアに身を置いていて、ときどき、日本人の曖昧な物言い、思わせ振りな態度、察する文化が懐かしいと思わないでもないが。 10年ほど前にこの予備校を探して大塚駅で電車を降りたことがあった。一杯60円のコーヒーを出す喫茶店もあった界隈を歩いてみたが、この小さな予備校は姿を消していた。 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター    Twitterブログパーツ

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