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タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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タコ サラリーマン期

2013年11月30日
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「タコ、悪いんだけど20万円貸してくれない?」
六本木交差点近くにあったバーニーインでステーキを食べているときに、まともに見たらおこられそうな名前のミルナが切りだした。
「フィリピンにいる父親が病気でね、末の妹も学校に行かないとならないので、私が仕送りしているんだけど、なかなか生活も楽じゃなくてね。」
彼女は私が初めてであったフィリピン人だった。

当時、会社の金を湯水のように使いまくって飲みに行っていた。今はなきクラブ「マキシム」は、北京飯店のすぐそばにあった。入口は見過ごしてしまうほど小さいく、赤く豪華な絨毯の階段を地下に降りていく。入るとすぐ左側に男女兼用のトイレがあり、そこを進むと下界とは別世界が開けてくる。各種高級香水や酒やおつまみ、そしてトイレなどが織りなす饐えた匂いが妖しく漂っている。

ミルナは、ここの歌手で小柄で華奢な体からは想像もできないほどのボリューム感豊かな声で、「ニューヨーク、ニューヨーク」などを歌い、我々サラリーマンを魅了する。私は、何度か外で食事をしたことがあった。

「20万ね、おれも安月給のサラリーマンだから。」
そう言いながら、何だこれ彼女たちの常套句じゃないか、と疑った。しかし、疑いながらもずるずると引き込まれてしまう。次に会ったときに用立ててしまった。

「ありがとう、必ず3カ月以内に必ず返すから。」
ミルナは、大きな黒い瞳でチャーミングに笑いながら、背中を丸めて顔を皿につけるようにして、細切れにしたステーキを口に入れた。

30歳にもなって、なんでこんな子ども染みた芝居に自ら引っかかるのだろう。座るだけで2万円も取られるクラブに通っているのは自分の力じゃなく会社の力。なのに、こんなことで見栄を張ってどうするのだろう。

ミルナは、この一件があってから3カ月になる前に突然クラブを辞めてどこかへ行ってしまった。恐らく、多くの人にお金を借りていたのだろう。30年前の20万円は当然返ってこなかった。彼女が悪意のある「練炭毒婦」だったりしたとしても、私はいとも簡単に騙されて新聞沙汰になっていたことだろう。隙だらけの人生。

「男をその気にさせるなんてことは、本当は簡単な事なのよ。」
以前、お付き合いさせていただいていた金髪女性がある時そう静かに言った。ちょっとだけ、背筋が凍りついたように感じた。

あれから30年、基本的には自分はあまり変わっていないような気がする。変わったことがあったとするなら、それは、今私はあのミルナの生まれ故郷フィリピンで仕事をしていることだろうか。

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Last updated  2013年11月30日 17時45分22秒
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2013年11月29日
会社1年先輩の加山さんと六本木に繰り出した。馴染みのクラブマキシムを出たときは1時近くになっていた。「タコ君、もう一軒行こう。」大学時代、レスリングをやっていた加山さんは酒豪で、トイレで吐きながら出てきても飲み続けるのを特技としていた人で、飲み始めると帰ると絶対に言わない人だった。所帯をもっていたが、独身のように付き合いがいい。

2人で六本木を歩いていると、「おお。」といって加山さんが、ちょっと粋な女性を呼び止めてなにやら話している。「タコ君、今晩、この人の家に泊めてもらいな。俺は帰るから。」別なクラブで働いているという40がらみの艶っぽい女性、店がはねて青山のアパートに帰るところだった。そう言って加山さんはさっさと行ってしまった。

「加山さんも困ったもんね。仕方ないわね、あんたいくつ。」
「29です。」
私は可なり酔っていたのでこの女性の好意に甘えさせていただくことにした。アパートに着くやいなや、彼女の隣の部屋で布団を敷いてもらいもぐりこんだ。まったく知らない人のアパート。しかも、女性一人のアパートだ。なんだか、甘ったるい匂いのする部屋だった。すごく、いい気持ちで布団に包まった。彼女はお風呂に入っているようだった。胸騒ぎがしだしてなんだか寝むれない。こんなことは、人生の中でもそう滅多にあるものじゃない。

「もう、寝た?」ドキッとした。しばらくして隣の部屋から声がした。目がパッチリと開いてしまった。3時間くらい先まですべてが見えるような気もする。ドキドキする。

「あのね、もしかしたら、私の彼氏が来るかもしれないのよね。ただ、泊めてあげるんだから、変なこと考えちゃだめよ。もし、来たら、ちゃんと説明するんだからね。本当に、加山さんったら仕方ないわね。」

えっ!もしや彼氏とは、あっち系の人だったりしないか、などと考え始めたらもう寝られなくなった。戦慄が走り、酔いも急激に冷める。何なんだこれは!こういう期待と全く逆行するようなことはどうも昔から得意じゃない。とんでもないことまで想像してしまい上気していた体が急に縮みあがった。ほとんど、一睡もできないで、私は朝5時半頃そのアパートを出た。アパートを一歩出た時の開放感は尋常なものではなく、また部屋に戻りたくさえ思ってしまったほどだ。

どうして加山さんが、彼女の家に泊まれと言ったのかは未だに謎だ。しかし、こんなに恐ろしい夜を過ごしたのは初めてで、それからは、たとえ相手が金髪であっても、知らない人の家には絶対に泊まらないことにしている。


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Last updated  2013年11月29日 10時37分19秒
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2013年10月14日
テーマ:海外生活(7129)
サラリーマン時代、東京で接待に使ったのは赤坂にあった「ニュー・ラテン・クォーター」で、京都では、三条大橋にあった「京都ベラミ」だった。そして、自分達だけの社内接待に頻繁に行ったのが、六本木にあって男女のトイレが一緒だった「クラブマキシム」だった。因みに、このトイレで小用を足しているとき、「あ~らタコさん、お久しぶりね。」とミハルさんから背中を叩かれて立ち往生してしまったことがある。昼には全く元気のないサラリーマンの私、日が暮れると俄然守備範囲がぐーんと広まった。

1978年の8月から1984年の9月まで、ある建設機械メーカーの海外営業部に籍を置いていた。その前の別の部署での2年半を加えると9年弱のサラリーマン生活だった。

当時、赤坂には、「コパカバーナ」「花馬車」「ゴールデン月世界」「ミカド」そして、「ニュー・ラテン・クォーター」という大型ナイトクラブ、またはグランドキャバレーがあって、接待の場所には事欠かなかった。大型ナイトクラブ、キャバレーの全盛期が続いていた。

その中でも、「ニュー・ラテン・クォーター」は、結構頻繁にお邪魔していた。英語の分るホステスも多く、外国人の接待にはもってこいだった。そしてあの、誰もが一度は乗ってみたかった「はとバス」夜の東京観光の中に、「ミカド」が入っていた。中国人のクライアントを「ミカド」で接待している時に、二階席にどやどやと「はとバス」の一行が入ってきてビックリしたことがあった。因みにこのクライアント、ホステスが膝に手を置くと震えていた。悪いことをしてしまった。私は、膝に手がないと震える方だったが。

「ニュー・ラテン・クォーター」は何しろ店に入るときに下りる真っ赤な絨毯の階段が豪華にできていて、上品さは天下一品だった。トイレに専用のお世話の方がいて用が済むとサッとタオルをだす。そのたびに100円のチップを払っていて、オシッコなどと言ってはもったいない雰囲気さえあった。

「タコさん、いいんだよ、すべて諸岡さんに任せておけば。」部長がそういった諸岡さん、ここの主のようなマネージャーで、すべては彼に話せばことがスムースに進んだ。どんな女性をテーブルに呼ぶとかは、担当の女性がいてその女性が仕切ってくれた。

ここは、昭和38年に力道山が刺された所だった。力道山は、その一週間後になくなっている。あの時、39歳だったと知って若かったんだなと驚く。当時は雲の上のスーパーヒーローだった。

幼稚園の頃、歩いて10分くらいの所にあったタバコ屋さんで、生まれて初めて多くの人と一緒にプロレスを見た時、怖くて怖くて震えて歯が鳴った。白黒テレビで小さな画面だったが、黒いタイツ姿の力道山が大きく見えた。「おい、この子震えてるよ。」っとどこかのオジサンに笑われて警察官の子供らしくない振る舞いを恥じた。

「ニュー・ラテン・クォーター」のトイレに入るたびに、力道山のことが過ぎった。子どもの時のヒーローだったからだろう。小用の震えと、子供の時の震えが入り混じる。力道山が使った便器かと思うと拝みたい気にもなったものだが拝みはしなかった。

ロサンゼルスから来いて「ニュー・ラテン・クォーター」で踊っていたダンサージョイを浅草に連れて行ったときは、180センチはあろうかというジョイの美貌と体型に俄然視線が集中してうるさいくらいだった。そして、どんな男が連れているのかと私を見る視線が「何だこの程度の男か!」的なものが圧倒的で、マゾ度100%の一日となった。分不相応、という言葉を肝に銘じた。

1984年9月、私はサラリーマンを自ら辞めてオーストラリア移住を夢見、日本語教師になる勉強を始めた。当然、クラブ活動は終了、退職前に溜まりに溜まったクラブ請求書は潔く後輩に譲ることにした。

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Last updated  2013年10月14日 10時47分34秒
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2013年10月04日
「京都ベラミ」。広島で戦後生まれた有名人二人のうちの一人、かの山口組三代目田岡組長が1978年に狙撃されたクラブだった。因みに、もう一人の有名人とはあのダイエーの創始者中内功氏だ。私は、田岡組長がピストルで撃たれたその一年後にこの「京都ベラミ」を訪れて、面白い思いをさせていただいた。

ここには同僚の社内接待で行った。父親が神戸大学の経済学部の教授だというKさんと、奥さんが元全日空のスチュアーデスのMさんと、母親が秋田の農家出身の私の3人だった。

入り口でスーツ姿じゃない人は、スーツを貸してくれる。我々3人は、ずらっと並んだスーツから体に合った物を選び中に入った。さすが、カラーコンビネーションまでは儘ならず、一見田舎者集団風になってしまった。

Kさんは、ほぼ丸坊主に近い髪型に太目のメガネをかけていて、声がだみ声でよく響く。体格は元プロレスラーのようだ。Mさんはちょっと品のあるお抱え弁護士然とした感じを出していた。20代の私は、使い走りだ。当時私は、建設機械メーカーの海外営業マンでインドを担当していたサラリーマンだった。だからKさんも、レスラーとかじゃなく同じ会社の先輩サラリーマンではあった。

テーブルについた3人の女性のうちの一人にダンスに誘われた。ダンスといっても、今のようにロックンロールを踊れるわけでもなく、ただくっついているだけのあのてのダンスではあったが。踊った女性はあっちこっちがぶち当たる肉付きのいい、艶っぽい人で自分を抑えながら躍らせていただいた。

「ねえ、あんた。ちょっと頼み聞いて欲しいんだけど。」
こういうところで頼みごとをきいたことがないので、私は、金の無心とかじゃないかと思ってやや身構えた。

「ちょっとね、ある人をやって欲しいの。」
初めて会った者に頼むことだろうか。通常は三回くらい会ってからとかが似合う依頼ではないだろうかなどと思ったわけではないが、せっかく踊っていて張ってきた体が萎えていくのがわかった。
「あのメガネの人、これでしょう?」と言いながら彼女は人差し指で頬を上から下になぞった。

なんと、この女性はKさんをあっち系の方と思ったようで、そのKさんに殺人を依頼しているのだ。この女性、どんなにそうじゃないと言っても信用してもらえなかった。前の年に、山口組の田岡組長が狙撃された「京都ベラミ」のダンスフロアーでの出来事だった。そう思って、周りをみたらどの人もあっち系の人に見えてきてしまって急に怖くなってしまった。

席について、彼女がトイレで外しているときに、Kさんにこの話を伝えると、ものすごい声を出して大笑いした。
「タコ君もウブだね。そうだって言って騙せばよかったじゃないか。」Kさんはそう言って、尚も笑い続けたが、まるっきり冗談とも思えなかった。この人も怖かった。

体だけはデカイ駆け出しサラリーマンだったころの話だが、ドロドロとした世界の洗礼はまだ受けておらず、物事を実直にしか捉えられない不器用さを引きずって一生懸命人真似しようとあがいていた。

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Last updated  2013年10月04日 23時35分03秒
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2013年08月16日
テーマ:海外生活(7129)
「オーストラリアにもエンコがあるんですよね。」
フィリピンセブでTARGET Global English Academyという英語学校をやっていて、そこにいらしたオーストラリアに興味のあるという学生さんに訊かれた。

「縁故ですか?」
いや、オーストラリアの仕事も縁故で決まることも結構あると思うのだが。しかし、どうも初めて会う人にいきなり訊くことでもないだろう。話がかみ合わない。

実は、塩湖のことだった。車のエンコとかの話に振らないでよかった。

「君、縁故?」
昭和51年7月1日、3か月の研修後、私は建設機械メーカーの運輸部船積み二課に配属となった。文系同期28人の中で本社配属になったのは私だけだった。

船積み二課長の江口課長とトイレが一緒になった際、隣の私をのぞき込むように課長が訊いたのだ。そんなことを訊く場所じゃないだろう、などと思ったりもしたが。エンコじゃないよ、チ○コだよ、なんて冗談も言えるほどサラリーマンずれもしていなかった頃の話だ。

「うちさ、女子社員はほとんど縁故だし、君、たいして仕事もできそうもないのでさ、、、」こういうことを、新入社員の部下にいつもトイレで訊いているのだろうか、この江口課長。

年が結構いっていて、萬年課長のような人だったが、こんなことで憂さ晴らしをしてもらってもこちらの身が縮むだけだ。

二年後、私は海外営業第三部インド大洋州課に転属になった。
「こいつ、あんまり仕事できないけどよろしくお願いします。」
営業第三部副部長に一緒に行って江口課長、そう挨拶した。シツコイ課長だ。

それから数か月して、江口課長、どこかの会社に出向になったと知った。気が付いたらいなくなっていたという感じだった。だから、もうトイレで会うこともなくなって安心してりようできるようになった。

そして6年半後、私もこの会社を自主退社してオーストラリア移住を目指して日本語教師になる勉強を始めた。

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Last updated  2013年08月16日 09時35分31秒
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2013年07月26日
テーマ:国際恋愛(191)
「タミーさんです。」
マネージャーの山崎さんが、私達の席に紹介してくれた。
今はなき六本木クラブマキシムの新人アメリカ人のタミーは、顔の造作が全て派手で化粧も目一杯。もう少し言わせてもらえるなら体全体も、もうどこもかしこも隠せないくらい立派な金髪娘。

「タミーちゃんはね、アメリカに彼氏がいるんだから口説いちゃだめよタコさん。」
私のテーブル担当のみはるさんに釘をさされた。そんな甲斐性は新人サラリーマンのわたしにはないことを、みはるさんは見越してそう言った。因みに、みはるさんとは週末に赤坂で偶然すれ違って、すっぴんでまったく本人だと気づかない失態を演じてしまった経験がある。それ以来、何が怖いって女性のすっぴん程怖いものはない、と思うようになっている。

「そうよ、独身で金髪好きって、まったく本当に隅に置けないんだから。」
いつも豪華なドレスで甲高い声のみどりさんも言う。因みに、みどりさん、どうしていつもふわっと広がったドレスに身を包んでいるのかと思っていたが、踊ったときにそのあまりな華奢な体型に ビックリしたことがあった。服でカバーしていたのだろうか。体型を隠す服も怖いと思うようになった。怖いものが増えていく。

この店では、ビックリすることが多かった。特に、勘定とかにも。座るだけで2万円は請求される クラブだから、座るだけじゃもったいない、なんて思ったわけではないが、若気の大至りとでもいうのだろうか、下界では全くもてないのに、この六本木の赤い絨毯で下りる洞窟のようなマキシムでは私は大いにはしゃいでしまっていた。田舎から出て来た青年が、会社の金で有頂天の勘違い。

それでも、9歳からの筋金入りの金髪好き、嫌がるタミーを連れて映画にも行ったし、鎌倉へも行った。どちらも女友達をしっかり連れてくる彼女がいじらしかった。

「あらいやだ、知らなかったの?タミーちゃん、先週であがってもうアメリカに帰ったわよ。お金沢山貯めて。ウブねタコさん、残念でした。」
みはるさんが、パーラメントに火を点けて私に寄こしながら言った。水商売のつれなさなんてそんなものなのだろう。

「ミルナさんです。」
マネージャーの山崎さん、今度は小柄だけど目鼻立ちのしっかりしたアジア系の女性を紹介してくれた。見たら怒られそうな名前のフィリピン人と言った彼女からは、とんでもない被害を受けるハメになってしまったのだが、、、。

常軌を逸した業後の「サカリ」は、行きつく港の見えないナンパ船。勘違いが地球を3周り半くらいして沈没。しかし、そのお陰でサラリーマンを自ら下りた時には、しっかりと身の丈に生きる勉強もさせていただき一応、更生。

あの頃があったので、今このままあの世に行ったとしても、極楽の蓮の池に居並ぶ人たちの衣の洗濯をするくらいの職にはありつけそうな気がしないでもないが甘いだろうか、、、。

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Last updated  2013年07月27日 01時09分10秒
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2013年07月24日
「あなただけを」
今、日本に帰国の際のカラオケで、いきなり歌い出すあおい輝彦の歌。

http://www.youtube.com/watch?v=hwOaI7i-ZKQ

「タコちゃん、運輸部の中山さんとデートしたんだって?本当なの?私、そういうの嫌なの。どうして私に黙ってたの。」
サラリーマン1年目で、付き合い始めた静岡出身の亜由美が、同期の中山さんと私がお茶したのを彼女から聞いたといって憤慨していた。お茶飲んだだけで、別に後ろめたいことなど9割は無かったので、私も反発しそうになったが、これからは気を付けるようにすると言った。目移力が結構強かった頃のことだ。

「社内恋愛って、周りからあらぬ噂とか立てられたりしてダメになることが多くあるから、私たちは絶対に荻窪の私のアパートから近い所以外でデートしないことにしようね。」
ということで、亜由美とは3年半付き合ったけれど誰にも知られずにいた。

「お世話になりました。今月一杯で退職することになりました。」
寿退社で、亜由美が私の部に挨拶にきた。その時の笑顔は、半年前に別れるまで毎日見ていたあの笑顔だった。
「お幸せに。」
私は、それ以上何も言えなかった。お互い、2秒くらい見つめ合ったが、それが最後となった。家族以外、誰にも知られずに始まった恋が、こうして誰にも知られずに終わった。

「連れて来る女性、連れて来る女性、どうしてダメになるの。お母さん、一生懸命面倒みてあげて、バカみたいだね。もう連れて来ないでね。」
母も、いい加減にして欲しいと思ったのだろう、ある日真顔で私にそう言った。もっともな話だが、私も、好きで振られているわけでもなく、限られた経験だったが呪われたように理不尽に終わる恋の儚さに、もう二度と人を好きにならないようにしよう、などと2週間くらいは落ち込んでいた。

「タコちゃん、あおい輝彦の『あなただけを』って歌、はやってるでしょう。タコちゃんもしっかり聴いてね。私だけを見ていて欲しいの。」
亜由美がそう言った。昭和51年の秋、ラジオから流れるこの曲をカセットテープに撮って何度も何度も聴いていた。因みに、同時に聴いていたのは、「山口さんちのツトム君」と山口百恵の「横須賀ストーリー」だった。

この歌に指導され、あなただけをと彼女の方を一途に向いていたら、三年半後には彼女は私から離れて行ってしまった。

「これっきり、これっきりもう、これっきりーですか ♪ 」
http://www.youtube.com/watch?v=vbmPQRsqJw8

恋愛から受けた肩透し、恋愛への勘違いの後遺症はしつこく続いている、、、、

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Last updated  2013年07月24日 22時54分07秒
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2013年07月12日
「タコ、いい体してるな!」
東京は大根で有名だった練馬の練馬中学2年の身体検査で、3年生の担任の安井先生からそういわれた。

同様の発言を、その後の人生で男女を問わず2度ほど言われたことがあったが、それも昔の話でいつのことか思い出せないくらいではある。男性ストリップとかで職を得るなら別だが、さして人生に付加価値を付けてくれるような実態を伴っているような発言ではないような気もする。

「すみません、付けちゃいました。」
西武池袋店でちょっと前に買ったばかりの白の半そでシャツの左乳下あたりに大きなキスマークを付けられてしまった。新入社員の年のことだった。吉祥寺の場末の飲み屋での話とかではない。満員電車で揺れた瞬間、いい体(?)で上背があった私は、やや背の低い女性にその位置にしっかりと目立つ真っ赤なキスマークを付けられてしまったのだ。すみませんと言われても済んでしまったことでどうしようもない。池袋で電車を降りて、地下鉄丸の内線で国会議事前、そして溜池にある会社まで行く間、カバンを不自然に持ちながら、うつむき加減で足早に歩いた。

「しょうがないわねタコさん、私がキスマークの所を縫ってあげるから会議室に来て!」配属になっていた運輸部の先輩女子社員の畠山さんが親切にそう言ってくれた。
「早く脱いでよ!」
一回りくらい年上の畠山さんに臆面もなくそう言われ、反射的に「はい」と言って素直に脱いで、キスマーク部分を縫合していただいた。畠山さんに、「いい体しているわね」と言われたかどうかは全く記憶にないが、ただ借りてきた猫のように縮こまっていたことだけは覚えている。

因みに、縫合していただいたのはよかったのだが、今度は逆に妙に目立ってしまい継ぎはぎ縫合極貧サラリーマンのような一日になってしまった。


  • 楽天豪人shumi写真(8).jpg


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Last updated  2013年07月12日 21時34分44秒
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2013年07月11日
「君なんかクビだ!」
200人くらいはいる大部屋で、直属の上司である田崎部長に大声で言われた。担当の香港の代理店立て直しのプロジェクトを部長から命じられていたが、期限までにやっていなかった。建設機械メーカーの海外営業部に属していた時のことだった。同じフロアーには、業務部に当時付き合っていた亜由美もいたが、もしかしたら聞こえたのではないかと本当に血が頭に上ってしまった。しかし、悪いのは自分だから謝るしかなかった。

因みにこの田崎部長、後に社長、そして会長職にまで上りつめた人だった。今では、あの部長に怒られたことが変な意味で勲章になっている。

私は、それから一心になってプロジェクトをまとめ、香港に出張して業務をこなした。帰国後の部内報告会で田崎部長から、「タコ君、やればできるじゃないか。」と言われたことがどんなに嬉しかったことか。クビにならずに済んだと。

「タコさん、フィリピンではどんなに下のレベルの人でも、人前で叱ったりしては絶対にダメですよ。すごくプライドが高くて面子を気にする人が多いですから。叱るなら、誰もいないところでしてください。」
フィリピンビジネスを始めた頃、この国の日本人の先輩から言われた。

私は昔から、叱られるのは得意だが叱るのは苦手な性格であるから、そのようなことは絶対にしないとは思ったが心に止めた。なんでも、人前で叱られてそれを逆恨みされ、あとで刃物で刺されたりした外国人がいるとか。

私は、オランダ系の連れ合いから、今でも1週間に4回くらいは叱られているので、これからもそういう流れに沿って生きていきたいと思っていて、フィリピンでもこの国の人々とは、できるだけハッピーにやっていけたらと願っている。

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Last updated  2013年07月12日 00時23分37秒
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2012年10月20日
テーマ:海外生活(7129)
「おい、タコ君!行くぞ。」

豪州アジア課の杉田副課長が業後間もなくこう行った。「行くぞ」というのは、今晩は赤坂か、六本木に飲みに行くぞ、という意味だった。チョンガーの私は二つ返事でスタンバイ。
建設機械メーカーの海外営業部にいた1980年代初めの頃の話だ。

「タコ君、うちの部の半期の交際費7,000万円、まだまだ余ってんだよ。使い切らないと来期は減額だからな。仕事と思って使い切ること!」
杉田福課長、真面目なコメントをしているようで、顔がニヤけている。

赤坂で行くところは大体決まっている。「ニュー・ラテンクォーター」だった。グランドキャバレーが姿を消す最後の頃の話で、私は会社のおかげで十分と恩恵にあずからせていただいた。

「吸わない?」
ラテンで横についた美由紀さんがパーラメントをすすめてくれた。
「タコ君、、だめだよそんなの吸っちゃ、はっか系はあっちが役立たずになるぞ。だいいち、今までタバコ吸わなかったんだから、30前にして今更覚える ことないんだよ。」
先輩の前川さんがそう諭してくれた。おかげで、タバコは吸わずの人生が続いている。

「じゃ、踊りましょう!」
タバコを吸うのをやめて、美由紀さんとチークダンスを踊り始めた。
「前川さんのパーラメントの話ね、あれ嘘だからね、大丈夫なのよ、、、、、」
といいながら美由紀さんがぐっと手を握り締めてきた。

「それにしてもタコ社長は元気なのかな、たまにはラテンクウォーターで過ごした日々を思い出して下され。」

昔のように日記を更新していないので、シドニーのお友達がが励ましの一曲とお言葉を送られてきた。気分は赤坂、、、、、




http://www.youtube.com/watch?v=5sISS5zEtWU&feature=youtu.be




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Last updated  2012年10月20日 16時53分06秒
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