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タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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タコ生徒・学生期

2013年12月30日
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カテゴリ:タコ生徒・学生期
「海岸線の絶壁で景色のいいところがあるの。行ってみない?」
ドナが私を誘った。顔全体の三分の一もあるような大きな目をしたおとなしいドナと知り合った。まだ18歳だが既に怪しい色気を漂わせている。1974年6月から8月にかけて、私は生れて初めての海外旅行でアメリカに来ていた。私は22歳になっていた。縁あって、帰国するまでの数日をカリフォルニアのサンタバーバラにあるドナの家族の家に投宿することになっていた。
 免許取りたての彼女の運転でドライブとなった。前年のオイルショックで、ホンダの小型車がアメリカで売れていた。ドナの車は、日本ではあっち系の人しか乗らないようなバカでかいフォードで、高速道路でホンダの車に出会うとその余りの小ささにビックリして、思わず二人で笑ってしまった。それにしてもすごい馬力だった。
 崖の淵に二人で座りながら太平洋を見つめていた。この海の向こうには、50代前半の東村山の両親が待つ日本がある、なんてことはこういう時には絶対に思わない。ドナが私のスニーカーの紐と戯れている。何かのサインだろうか、単なる癖なのだろうか。明後日はもう帰国しなくてはならない中で、今二人でここにいることが世界からまったく隔離されたように大きく浮いていた。何も起こらないような、しかしなんでも可能なように思える時が流れる。胸は高鳴るばかりで、その動悸が周りの人にも聞こえそうで抑えようがない。下を向いているドナにゆっくりと近づいた。
 ドナのうっすらとピンク色の頬に触れようとする瞬間だった。良く見ると、彼女の顔中の金髪の小さいウブ毛が太陽に照らされて燦々と輝いている。やはり金髪は光に映えて夏に相応しい。こういうときにはスペイン娘の濃いめのウブ毛は似合わない。金髪は得だな、という思いが過る。一体なんでこんな時に、、、。このウブ毛がしっかりと成長したとしても、よほど接近しないと目立たない。足でもどこでもそうなのだ。こういう発見は思いもしなかったときにやってくるもので抗しがたい。

こうして紺碧の海に輝きたなびくドナの金髪のウブ毛を、ただただ厭きることなく眺め続けていたいと思ったのだが、、、

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Last updated  2013年12月30日 18時09分22秒
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2013年11月08日
カテゴリ:タコ生徒・学生期
高校3年の2学期のある日、私は全く同じクラスになったこともなければ話したこともない同学年の真理という学生に、「付き合って欲しい」と突然手紙を書いて友人に頼んで渡してもらった。後にも先にもこれ一回のことだった。屋上で話した。小柄で色黒、目が大きくてチャーミング、髪も長めの目立つ学生だった。どうして、あんな大胆なことができたのか、火事場のバカ力ともやや違うような気もするが、思い切ったものだ。今だったら、面と向かってガンガンと誘える臆面のなさが自慢ではあるが。

しかし、会ってすぐ手紙なんか出さなきゃよかったと感じてしまった。心弾むような気持ちがどこかに吹っ飛んでしまった。相手の仕草、表情、歩き方などで一瞬にしてその気持ちが読めてしまった。いつものパターンだ。案の定、良かったら付き合ってあげてもいい、みたいなことを言われて別れた。この屈辱感がたまらない、などと思った訳ではないがもうこの先はないと感じた。そして、実際に何も起こらなかった。

私には高校2年間、しつこく片思いしていた同級生のMがいた。しかし、Mには学生運動の闘士の彼氏がいて、私の思いは絶対に通じなかった。どうやっても壊れない壁に何度も頭を打ち続けているような生活から抜け出したかった。真理に手紙を書いたのも、そんな気持ちからだったのだろうか。

その手紙から一月くらいしたある日、学校からの帰りにMと二人で歩いて帰った日があった。学校は国立にあった。一橋大学のある大学通りは、両側の桜並木が名所となっているくらい素敵で広く、高校から中央線国立駅までは歩いて15分くらいかかる。だらだらと、Mと歩いていると反対側からあの真里が1人で歩いて来るではないか。ゆっくりとスローモーションのようにすれ違った。軽く挨拶はしたが、何も話さずに離れていった。後ろを振り返って真理の後を目で追うなってことはまったく必要ないと心が躍った。

「タコ君、真里さんにラブレター出したんだって?どうなの?あなたには、あんな感じの可愛い子が似合うよ。ああいう子が絶対いいよ。タコ君には可愛い子がいいよ。」Mは、2度そう繰り返した。彼女は、私が少なからず自分に思いを寄せていることを知っていた。私は、顔がかあっと熱くなって言葉に詰まった。どうして手紙を出したことを、彼女は知っていたのだろうか。Mは一生懸命私を突き放そうとしているようだった。

その晩のことだった。真理から初めて電話があった。やけに明るい元気な声だった。
「タコ君 ! 明日、会わない ?!」


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Last updated  2013年11月08日 14時38分34秒
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2013年09月27日
カテゴリ:タコ生徒・学生期
細い階段を上ると、だだっ広いクラブのような部屋があった。もう営業していないこの部屋は薄暗いアンバー色の電球に照らされて、意味もなくただそこにあるような部屋だった。古いソファーのかびたような匂いがする。以前は営業で使っていたのだろう。私はここで、いつも独りで白いYシャツと高校時代の黒のズボンに履き替え、蝶ネクタイをしてスタンバイする。部屋の隅には、ジュークボックスがあり只で掛けられる。来る日も来る日も、アメリカの「名前のない馬」とカリー・サイモンの「うつろな愛」を聴いていた。
You're so vain
You probably think this song is about you
You're so vain
I'll bet you think this song is about you
Don't you? Don't you?

あなたは、自意識過剰でうぬぼれ屋 ♪

「お早うございます!」階段を下りて元気な声で皆に挨拶する。池袋西口「ロサ会館」の横にあったエロ映画館の前の喫茶店「ニューサカエ」での仕事のスタートだ。1974年1月、大学1年の冬休みに毎日ここで夕方からバイトをしていた。やっと、チョコレートパフェ、クリームあんみつなんかが手早く作れるようになっていた。8人ほど座れるカウンターを1人で任されることもあった。

ある日、化粧のやや濃い30代半ばの肉感的な女性が1人でカウンターに座った。髪を茶色に染めてパーマを大きくかけている。口紅は真っ赤だ。薄茶色のパンタロンに白のブラウスで、何とも艶めかしい。

カウンターの高い位置から、何度もこの女性を見てしまった。すると、パンタロンの色と同じでよく見ないと分からなかったが、パンタロンのジッパーが空いていて下着が見えているのだ。女性は上目づかいに私を見ながら、薄く微笑んでいる。私にはそう見えた。パフェを作りながら手が定まらない。「誘われているのだろうか?そんな訳はない。」21歳の世間知らずの心が、空気を抜いた風船のように暴れる。

「新しい顔ね。」「はい、2週間目です。」会話はそれだけで、続かなかった。あらぬ先のことまで想像してしまって、心臓の鼓動が痛い。すると女性は、下を向いたかと思うと、ものすごい勢いでジッパーを上げ、急に怖い形相になり私を睨みつけて勘定を済ませ出て行ってしまった。

その後ろ姿をガラス張りから追いかけ、エロ映画館の金髪女性の姿態を見つめながら思った。「そんな訳、ないだろう!」状況判断を遠慮なく間違え、物事を正確に捉えられない特性は今に続いている。

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Last updated  2013年09月27日 08時23分37秒
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2013年08月19日
テーマ:国際恋愛(192)
カテゴリ:タコ生徒・学生期
「もしもし、マーラをお願いします。」
大学3年の時アメリカのシアトルで2ヶ月過ごした。お世話になったピターソンさんの姪のマーラに性懲りもなくデートを申し込もうとして、1時間くらい受話器のそばを行ったりきたり。思い切って掛けた。お母さんが出た。こういう時に本人以外、それもお母さんが出る確率が高いように思える。お母さんがマーラを呼んでいる。彼女が受話器にゆっくり近づいてくる足音まで聞こえてきた。どうやらこうやら、彼女が夏休み中にバイトをしているファーストフードの店の仕事の後会う約束ができた。私は、22歳でマーラは18歳だった。
 
「店長が、いやらしい人で、話すときに肩や腰に手を回してきたりするの。」
私は、基本的にはこういう店長みたいな方々はあまり好ましいとは思わない。しかし、当時はそんな悠長な気持ちでは収まらなく、とんでもない男だと激昂してしまった。年を重ねてくると、男女間の営みにやや寛容になってくる。

「でもね、時給は安いけどチップがいいから我慢してやってるの。」
やさしい英語でゆっくりとマーラ話してくれた。私は、輝くばかりの笑顔を時々見せながら、腰まで素直に伸びた金髪の長い髪を揺らすマーラに魅せられて、思わず手を伸ばそうとして店長の話しを思い出し躊躇した。

「日本じゃどうか知らないけど、アメリカでは最初のデートはたいした意味がないの。だって、好きかどうかなんて、付き合ってみないと分かんないじゃない?だからデートするのよ。」
デートしただけで、結婚なんかがストレートに想像されてしまうような当時の私には、いかにも新鮮な考え方で、大きな感動さえおぼえた。と同時に、今会っていることは、彼女の側からするとそんなに大したことではないのだとやや興ざめした。そうだったんだ。じゃあんなに緊張して電話しなくてもよかったんだ。アメリカ人とは、なんと合理的な考え方をする人種なんだろう。何も考えずにやたらめったら異性をデートに誘う私の習慣の原点は、どうやら前の大戦で敗れたこのアメリカにあったようだ。

「タコ、もう一つ言っておくわ。ヤンキー娘はみんなワイルドと思っているかもしれないけどそれは絶対に誤解よ。気をつけてね。」
私は、この言葉のあと体全体が金縛りにあってしまった。

幸いにして、次回のデートがあった。マーラの通っている高校のキャンパスツアーだった。
「タコ、私ね、高校のチアリーダーやってるのよ。見てみたい?」
私は間髪を入れずに素直に言った「はい。」。

ところがどうだ、マーラはブルーマとかいった格好ではなかったが、普段着でいきなり芝生の上で大きくチアリーダーの振り付けをやりだした。あっけに取られながらも,笑顔で見ていた私だが、それがいつまでたってもまったく終わりそうにないのだ。その内、自分の顔がこわばってくるのがわかった。笑顔じゃなくなってきている。マーラ一人をそこに置いて、立ち去りたくなった。

マーラとのデートはこれ以降はなかったが、異文化交流の勉強にはなったと思うし、変な度胸も少しはついたとは思う。アメリカ人というのは、本当に臆面がない方々の総体的名称なのだということは肝に銘じさせてもらえた。

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Last updated  2013年08月19日 15時31分18秒
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2013年08月05日
カテゴリ:タコ生徒・学生期
高校は、昭和55年に都立高校としては史上初の甲子園出場を果たした都立国立高校だった。近くい、後に憧れた同年代の天地真理が卒業して国立音楽高校がある。

「吸いなよ!」国立南口のロータリーを越えて右側の狭い路地を入った所にあった「邪宗門」という喫茶店で、Mがショートホープを私に勧めた。高校3年の春、前年の学園紛争の結果、制服が廃止になり、Mは細長く白い足がしっかり見えるミニスカート姿だった。

私は、勧められたままタバコに火をつけた。皆で「ジャモン」と読んでいたこの喫茶店は、中が狭く入り組んでいてアンバー色の光が鈍く漂う隠れ屋のような空間を与えてくれていた。因みに、このジャモン、マスターが亡くなって閉店した数年前まで営業していたという。因みついでに、私は19歳でタバコを止めた。これは、いい判断だったと今も思っている。

Mは、1年の学園祭でそれまでの腰まで届くほどのおさげ髪を思いっきりボーイッシュにカットしてギターを抱え、「いいじゃないの幸せならば」を歌っていた。私も幸せにあやかりたくなった。2年のクラス替えの発表があり、同じクラスの中にMの名前があったときは、思わず一人で微笑んでしまった。

国立の並木道は有名だ。春は桜並木が見事だ。駅から高校に向かって右側はカップルが、そして左側は団体で歩くように自然になっていた。私は左側が専門だった。2年の2学期頃からMは右側を歩くようになっていた。相手は反体制活動を始めていた前田という同学年の学生だった。長髪でやや猫背気味に歩く、翳のあるニキビ顔の男だった。そして、Mが学園紛争を引っ張るような集団の一人になっていった。私は細いガラスの花瓶のような彼女が、その内脆く壊れてしまうのではないかと心配した。

「私ね、昔は東大に行きたかったのよ。」「それで?」
「馬鹿ね、ヘルメットかぶって昼間からこんな所でタバコ吸ってたりして行ける訳ないじゃん。」
Mと二人っきりになったのは、この邪宗門の時が初めてだった。彼氏とは続いていた。
「タコ君、高橋和巳、読んでる?」
「えっ、巨人の高橋和巳、本書いたの?」
「相変わらず馬鹿言ってるね。『悲の器』『わがこころは石にあらず』いいよ。読んでみて。」
私はおどけて見せたが、高橋の作品を読んでみようと思った。
「どんどん、逃げて逃げて、逃げまくってね、そこできっと何か見つかるんだよ。きっと。」
Mは、私の目を見ずに自分に言い聞かすように言って鼻からタバコの煙を吐いた。

結局私は、強烈に彼女に2年間片思いをしいているだけで彼女との関係は終わった。学生運動にのめり込んでいったMは、それでも現役で学芸大に入り大学生活を初めていた。私は、予備校生活の中でもMのことが心から離れなかった。

これじゃいけないと、7月のある日、思い切って会えないかとMを誘って会うことになった。国分寺の薄汚いそば屋で会った。私は、うどんのカレー南蛮を食べながら、久しぶりに彼女を見つめていた。ところが、学生運動は続けていると言っていたが、紺の半袖のTシャツを着て底抜けに明るく話続けるMを見て、それまで募っていた思いがスーッと霧散していった。あの薄暗い邪宗門で、涙を見せながら独り言を言っていたMは、私の心の中にしか残っていないのを知った。大学で新しい彼氏ができたとも言っていた。

Mは大学卒業後、都内の小学校の教師になった。その後、三多摩地区の小学校の校長になったと聞いた。今、日本に一時帰国するたびにクラス会をやるが、彼女はこの30年近く出てきていない。

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Last updated  2013年08月05日 07時49分12秒
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2013年08月01日
カテゴリ:タコ生徒・学生期
東京は山手の手線の池袋の隣、大塚駅にあった「武蔵予備校」で浪人時代の1年を過ごした。自慢じゃないが、受験したすべての大学をすべった。文系の午後のクラスは無試験で入れたが、午前の2クラスは試験に受からないと入れない。これにも1度落ちて2度目にやっとのことで入れていただいた。予備校の試験に落ちることほどマゾッけをそそられるものもない。因みに、2年前の大震災際、私はこの大塚駅にいた。母に頼まれて、年寄の原宿、巣鴨地蔵通りでイナゴの佃煮と塩大福を勝っての帰りのことだった、、、、。

カフカを愛読し、ショートホープに手を出し、ついでに予備校同級の女子学生にも出そうと試みた。紀子さんといった。予備校の三人掛けベンチはお尻に冷たく硬かい。座高が高かったので後ろの人たちに迷惑をかけながらも、毎日前の方に座っていた。カフカの「城」を、西武池袋線の車内で毎日立って読みながら、自分をいつまでも城に辿り着けない測量士に見立てて納得していた。私は一生浪人から抜け出せないかも知れないと。

都立白鳳高校卒の紀子さんと、東京中央区にある隅田川に架かる勝鬨橋を歩きながら、私の熱しやすく冷めやすい恋心が勝手に一人歩きをしているのを体が感じた。佃煮の匂いが恋を助長してくれている。

「男と女、好きとか嫌いとかとは別な世界で、きれいな花を見たら『きれいね』とへらへらと笑っているような仲でもいいのでは?私はそんな関係が好き。」と別れの手紙に紀子さんは書いて寄越した。受験が間近に迫った正月明けのことだ。これ以上、悪い時期はない。人をその気にさせておきながら、こんな訳のわからない手紙をもらっても持って生き場がない。まして、栃木県出身の警察官の父に相談なんかするわけにいかない。はっきりと、「あなたは、顔が大きいし、私の趣味じゃありません。」とか言われた方がどんなに嬉しかったことか。

今は、物事をはっきりとストレートに言い過ぎる人たちの世界、オーストラリアに身を置いていて、ときどき、日本人の曖昧な物言い、思わせ振りな態度、察する文化が懐かしいと思わないでもないが。

10年ほど前にこの予備校を探して大塚駅で電車を降りたことがあった。一杯60円のコーヒーを出す喫茶店もあった界隈を歩いてみたが、この小さな予備校は姿を消していた。


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Last updated  2013年08月02日 00時16分54秒
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2013年07月21日
テーマ:海外生活(7222)
カテゴリ:タコ生徒・学生期
予備校のイスは背もたれのない3人がけのベンチだった。1971年の4月、翌年の大学合格を目指し予備校生としての生活が始まった。

山の手線の大塚駅から歩いて5分の所にあった「武蔵予備校」だった。今はもうなくなっている。午前のクラスは理科系が6クラス、文系が私のクラスN組とO組の2組だった。

「俺、佐川。」ちょっと世を拗ねたように挨拶したのが、都立白鳳高校出身の佐川だった。頬がこけめがねをかけ俯き加減に話す態度はやや暗く見えた。

もう一人は、広島大学付属高校出身の高山と甲高い声で元気に自己紹介した。髪を短くかった秀才風の学生。これからの半年この二人と同じ机で勉強することになる。

予 備校では、毎日小テストがあり「お前は受験生なんだ。」と思い知らされる日々が続き、パチンコをやっていても何をしていても受験のことが頭から離れない。 そんな中、ちょっと毛色の違った高山とはその後疎遠になってしまったが、ヤクザっぽい佐川とは後期になっても付き合いが続いた。

その年の11月、佐川と同じ高校出身の女子学生に恋心を抱いたりしたこともあり、佐川とは腹を割って話す友人となっていった。

「お前は本当にどこでも友達を作るんだね。予備校で友達ができるなんてね。」
秋田出身の母が、ラジオ部品を作る内職の手を休めてそういった。実直を絵に描いたような栃木出身の父は警察官で、その安月給で兄を大学にやり、そして次男を予備校に通わせているが、家のローンもありそれだけではとても賄えず母は内職をしていた。

「私立なんかとてもじゃないけどやれないからね。予備校だって本当は行かせられないんだよ。」
母の言葉に、家計の苦しさがひしひしと伝わってきた。しかしそういわれても、頭の悪さが変わるわけでもなく苦戦を強いられてはいた。両親に対してはとても じゃないけど、女子学生にうつつを抜かしているなんて口が裂けてもいえなかった。結局、その女子学生には見事に振られ後遺症も大きかったが、受験生は勉強を続けるしかなかった。

大学を卒業して、就職しても佐川とは定期的に会っていたが、私がオーストラリアに移住してからはあまりあう機会がなくなっていた。

「初めてメルボルンに女房と行くことにしたよ。」
数年前の話になるが、日本でサラリーマンをしている佐川から電話が入った。末っ子がこちらに留学していることもあり、なかなか取れない休みを思い切って取って来ることにしたというのだった。あの予備校の硬いイスに座って挨拶したときの我々のあのときの年と、その息子さんの年が同じだという。

オランダ系の連れ合いも一緒に皆でギリシャ料理レストランに出向いた。やはりメルボルン、ギリシャ料理は外せない。ギリシャ人移民がそこら中にいる。

「佐川、もうすぐ還暦だな。」
「タコ、おれは、定年だよ。」
すると香港など海外生活の長いこの息子さんが言った。

「還暦って何?」

この息子さん、メルボルンの大学を卒業し日本の建設会社に勤め今は大阪で頑張っているとのことだ。


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Last updated  2013年07月21日 11時23分15秒
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2013年07月15日
カテゴリ:タコ生徒・学生期
「吸いなよ!」国立南口のロータリーを越えて右側の狭い路地を入った所にあった「邪宗門」という喫茶店で、Mがショートホープを私に勧めた。高校3年の春、前年の学園紛争の結果、制服が廃止になり、Mは細長く白い足がしっかり見えるミニスカート姿だった。私は、勧められたままタバコに火をつけた。皆で「ジャモン」と読んでいたこの喫茶店は、中が狭く入り組んでいてアンバー色の光が鈍く漂う隠れ屋のような空間を与えてくれていた。
 Mは、「洗濯板に干しブドウ」と揶揄されていたほど痩せていたが背が高く目立つ学生だった。一見、清楚。高校1年のとき、バレー部の松本合宿で、テニス部で合宿に来ていたMに惚れてしまった。腰まであるくらいのお下げで顔は小さく目が愛くるしい。デッカイ顔の私と対照的だった。1年の学園祭で髪を思いっきりボーイッシュにカットしてギターを抱え、「いいじゃないの幸せならば」を歌っていた。私も幸せにあやかりたくなった。2年のクラス替えの発表があり、その中にMの名前があったときは、思わず一人で微笑んでしまった。
 国立の並木道は有名だ。春は桜並木が見事だ。駅から高校に向かって右側はカップルが、そして左側は団体で歩くように自然になっていた。私は左側が専門だった。2年の2学期頃からMは右側を歩くようになっていた。相手は反体制活動を始めていた前田という同学年の学生だった。長髪でやや猫背気味に歩く、翳のあるニキビ顔の男だった。そして、Mが学園紛争を引っ張るような集団の一人になっていった。私は細いガラスの花瓶のような彼女が、その内脆く壊れてしまうのではないかと心配した。
 「私ね、昔は東大に行きたかったのよ。」「それで?」
「馬鹿ね、ヘルメットかぶって昼間からこんな所でタバコ吸ってたりして行ける訳ないじゃん。」
Mと二人っきりになったのは、この邪宗門の時が初めてだった。彼氏とは続いていた。
「タコ君、高橋和巳、読んでる?」
「えっ、巨人の高橋和巳、本書いたの?」
「相変わらず馬鹿言ってるね。『悲の器』『わがこころは石にあらず』いいよ。読んでみて。」
私はおどけて見せたが、高橋の作品を読んでみようと思った。
「どんどん、逃げて逃げて、逃げまくってね、そこできっと何か見つかるんだよ。きっと。」
Mは、私の目を見ずに自分に言い聞かすように言って鼻からタバコの煙を吐いた。
12月のある日、Mは自分で抱えている「レッドツェペリン」のアルバムをどうしても聴きたいと私を誘って、国分寺北口のロック喫茶で無理を言ってかけてもらった。二人で何時間も一緒に過ごしても、私の気持ちは荒んでいくだけあった。コークハイを飲んで彼女は眼を細めて薄く笑っているだけだ。
 結局私は、強烈に彼女に2年間片思いをしいているだけで彼女との関係は終わった。学生運動にのめり込んでいったMは、それでも現役で学芸大学に入り大学生活を初めていた。私は、予備校生活の中でもMのことが心から離れなかった。
 これじゃいけないと、7月のある日、思い切って会えないかとMを誘って会うことになった。国分寺の薄汚いそば屋で会った。私は、うどんのカレー南蛮を食べながら、久しぶりに彼女を見つめていた。ところが、学生運動は続けていると言っていたが、紺の半袖のTシャツを着て底抜けに明るく話続けるMを見て、それまで募っていた思いがスーッと霧散していってしまったのだ。あの薄暗い邪宗門で、涙を見せながら独り言を言っていたMは、私の心の中にしか残っていないのを知った。会ってよかったと思った。大学で新しい彼氏ができたとも言っていたが、気にならなかった。Mは大学卒業後、都内の小学校の教師になった。風の便りで、数年前、三多摩地区の小学校の校長になったと聞いた。

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Last updated  2013年07月15日 15時36分07秒
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2013年07月13日
カテゴリ:タコ生徒・学生期
石神井公園の三宝寺池はどっぷりと日が暮れて、街灯の白い光が遠慮がちに辺りを照らしている。

「おんぶして!」早苗が急にそう言い出した。
細身の足にジーンズがやけに似合う。空色のカーディガンがくっきりと浮かんでいる。
「私ね、おんぶされるのがすごく好きなの。」
変な人だな、などとは思わなかった。惚れた弱みっていうのとも違うだろうが、おんぶした。

早苗は立教大学の2年生だったが、そのときは休学中だった。私は、一浪してどうにか大学に入学、その入学式の前の日に、池袋の場末のトイレの臭いが逃げていかない地下の喫茶店でバイトをしていた彼女と意気投合して付き合い始めていた。

年頃の女性をおんぶしたことはそれまでなかったが、おんぶしたふわーっとした彼女の体を私の背中がしっかりと探るように抱いている。5月の夜の生温かさと、早苗の体の熱さで汗が出そうになった。

「そう?牧師さんになるの?」
こんな状態で話す内容ではなかったが。
「まだ分からない。」私は、10メートルくらいおんぶして早苗を下ろしながらそういった。
中学3年から教会に通っていた。好きになった人に、理解してもらおうと話し始めていた。

早苗は、大学の教授と恋仲になりトラブルを起こし休学しているようだった。そして、このときには婚約者がいた。私は、完全に弄ばれていたのだろうか。しか し、この婚約者とはどうもうまくいっていないようで、その人から逃げるようにバイトに没頭しているようにみえた。そして、私がそんな彼女の境遇の片棒担ぎに選ばれたのかもしれない。19歳の私には、完全に力不足の感が否めなかった。

そんな彼女は、1972年の6月のある日、突然家出して行方不明となってしまった。あっけない幕切れだった。元気のあった背中を丸め、膝を抱える日々が続いた。

切れ長の一重まぶたで、あれほど色気のある人を知らない。

今は、ギックリ腰も心配だし、結構重い方々の多い国オーストラリアで生活しているので、抱っこはもとよりおんぶしたりはできなくなっている。若い、というのはそれだけでいろいろな可能性があっていいものだとつくづく思う。

あの早苗も、今年は62歳になる。大学ノートの裏表紙も、もうすっかり薄汚れてしまっている。

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2013年02月18日
カテゴリ:タコ生徒・学生期
満天の星を仰ぎながら露に湿った干草の匂いをかいで歩く。豪華で大きなログハウスのキャンプ場から、ボランティアのスタッフ男性4人が寝泊りする古い小屋まで歩く。気をつけないと道を外してしまう。

アメリカのワシントン州のシアトルから、車で3時間東に走った所にあるクリスチャンのキャンプ場で2週間働いていた。1974年8月のことだった。私は大学3年になっていた。

「タコ、明日の晩、ボーリングに行かないか。」
16歳のビルが言う。身長は私と変わらない185センチだが、足が何と32センチとデカイ。丸メガネを掛けて髪はジョンデンバーカット。因みに私は今は183センチに縮まっている。

キャンプの仕事が終わってから、ビルと私と、18歳のシンディーともう1人の女の子の4人で近くのボーリング場に遊びに行った。もう1人の女の子の名前と顔がどうしても思い出せない。

ハンバーガー屋で腹ごしらえ。厚さ20センチくらいあるハンバーガーにどうやって食いつくのかと訝しがっていたら、ビルが思いっきり私のハンバーガーを押しつぶしてくれた。こうやって食べるのか。因みに、私が今住んでいるオーストラリアではナイフとフォークを使ってハンバーガーを切り刻んで食べる。

素直な黒髪を腰まで伸ばしたシンディーは、アイダホの農家の出身だった。ちょっと舌足らずに話す英語が分かり難いときがあった。熱心なクリスチャンで、キャンプ場ではいつも子どもたちに神様の話をしていた。黒い大きな目で見つめられるともう駄目だった。もしかしたら、アメリカインディアンの血が混じっているのだろう。

ボーリング場からの帰り道に私はビルに話しかけた。
「ビル、ちょっと車を止めてくれないか。シンディーとここから歩いて帰るよ。」
何でこんなに大胆に言えるのかと自分で自分を褒めてやりたくなった。ビルが無免許で運転する車はキャンプ場の敷地に入っていて道は分かる。ありがたいことに、シンディーは断らなかった。断られていたら、話はここで終わっていた。

その夜も星が輝いていた。干草の匂いに甘い香水の匂いが漂ってくる。
「東京のなんていう所に住んでいるの?」
「ひがしむらやま、っていう所」
「随分長いのね。」
こんな所で東村山の話になるとは思いもよらなかったが、どんな話題でも楽しく響いた。

シンディーをログハウスにゆっくり送ってから、小屋に戻った。ビルは起きていて聖書を読んでいた。挨拶はしたが、私に何も訊かない。アメリカ人は若いときからプライバシーのルールをしっかり心得ている。私は、何があったのか話したくて仕方なかったが、黙って眠りについた。22歳の自分が子どもに思えてしまった。

ハンバーガーを食い過ぎたのかどうか知らないが、その夜はなかなか寝付けなかった。



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Last updated  2013年02月18日 20時24分05秒
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