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ペルテスっ子

ペルテスの記録

ペルテス氏病

ドイツの外科医ペルテス氏が発見しました。

《原因》
成長期の子供の大腿骨の股関節側の骨頭が血行障害で壊死して、関節が変形していくものです。

《症状》
股関節の痛みの為に、ビッコを引くようになります。
股関節は内側にひねると痛みが増します。


《治療》
けん引をしたり、装具で股関節への負担を軽減したりもします。
骨頭の再生には、3年前後かかります。
手術する場合もあります。


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2003/4/1
takuは小学2年生に進級しました。末っ子のtakuは、我が家のアイドル。

保育園年少の時にお兄ちゃんにくっ付いて行く様になったスポーツ少年野球も
少しずつ真剣に取り組める様になりました。
これからが益々楽しみ! と言うその頃に・・・。

「足が痛い。」と言う様になりました。

「ペルテス氏病」と言う病名に直ぐには辿り着けませんでした。
その頃からの記憶を少しずつ書き留めていこうと思います。

絶対に忘れたくないから・・・。


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1999年

長男が小学3年の頃、スポーツ野球少年団に入団。
保育園年少だったtakuが、お父さんと練習に付いて行く様になりました。


2001年
長男が小学5年の時、保育園年長のtakuは正式にスポ少に入団しました。
この頃は、毎週グラウンドに行って試合観戦するのが本当に楽しかった。


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2003年 発病した年

2003年/5月

小学校の運動会の練習が始まりました。
takuは運動神経は良い方だと思うけど、足はそんなに速くない。

そのtakuが、リレーの選手に選ばれた。選手は放課後残って練習するんだそうです。

或る日、takuがポツリと言った。

「俺ね、何かこの頃足が痛いんだよ。」
「え? リレーの練習やってるからかな? 大丈夫?」
「うん、太腿の所がちょっと痛いんだけど・・大丈夫だよ。」

takuが一番最初に私に訴えたのは

「太腿の所が痛い。」と言う言葉でした。

長男もよく「足が痛い。」と口にする子でした。
私は(ああ、またか・・・)位に軽く考えていました。


2003年/6月

takuは負けん気の強い子です。走っている時の顔は闘志むき出しです。(*'へ'*)
私は一生懸命走っているtakuの顔が大好きでした。

無事運動会が終わりましたが、takuはまだ
「足が痛い。」と言います。
スポ少もずっと休んでいます。


(なんか変だな・・・。)と少し思いました。

丁度同じ頃、中学で野球部に入ったばかりの長男が、オスグッド病を発症しました。
12、13歳の成長期の子供によくある病気です。


長男とtakuの二人を整形外科に連れていきました。

私は野球部に入って頑張っている長男が心配でした。
takuを連れて行ったのは(ついでに診てもらおう)位の軽い気持ちでした。

受診して二人共、レントゲンを撮りました。
長男は症状がひどく、暫く部活は休むように言われました。

takuは「腿が痛い」と言ったので、ドクターは腿の辺りを見て
「特に異常はみられないね。成長痛でしょう。スポ少は1ヶ月位休んで。」との事。

takuの事はホっとしました。長男の事ばかりが心配でした。

病院では、長男とtakuの二人に湿布が出ました。
「俺ね、2年生になった頃から足が痛いんだよね。」とtakuは言っていました。
今思えば、takuはこの頃から
ビッコを引くようになっていました。

2003年/7月

7月になってもtakuの足は相変わらずです。
様子を見ていると、お風呂から出て着替えをする時に
片足立ちが出来ません。

「お父さん座りをすると痛いんだよ。」
と言います。お父さん座りって、あぐらの格好の事です。
「自転車に乗ると痛い。」とも言っていた。

私は股関節が痛いのかな? と思いました。

整形外科 再受診

私は、目に付いたtakuの様子をドクターに話しました。
takuの股関節の辺りを触って
「硬いね。」 歩き方を見て「不自然だねぇ。」
「子供の股関節の病気で大腿骨頭すべり症とかペルテスとか有るけど、それじゃないと思うよ。」

「股関節症でしょう。」と言われ電気治療をしましょうと言う事になった。
長男が小学6年の時に股関節症で、2週間松葉杖を突いた事が有る。

(股関節症か~)と私は納得した。

整形外科は自宅から少し遠い為、近所の接骨医に経過を話して電気治療がスタート。
まだ膝を痛がる長男と一緒にtakuは接骨医に通い始めた。

もう少しすればtakuの足は良くなるって、私は思っていた。

7月26日 花火大会の夜

私達は、家族揃って花火大会に出掛けた。
打ち上げ会場の直ぐそばで見る花火は、とても綺麗でtakuも嬉しそうだった。

帰り道は大渋滞。車の助手席で、takuは膝を立てたまま眠ってしまった。
グラっと足が倒れて、
あぐらの格好になってしまい「痛いっ!」と目を覚ました。
私はその時になって、やっと
( おかしいよ! どうして!?)と思った。

整形外科 3回目の受診

私は花火大会の夜の事を話した。
「MRI検査をしましょう。」とドクターは言った。

8月5日  MRI検査

「動いちゃいけなんだよ。40分位だって。我慢できる?」
「え~!?」takuは不安そうな様子。
「頑張ってね!」私は検査室の外で待っていた。

出来上がった写真には
股関節の回りに水が溜まっている様子が写っていた。
でもtakuはやはり、じっとしていられなかったようで写真がブレていて良く分からない。
「う~ん・・・もう一度撮りましょう。」


8月7日  MRI検査 2回目

ドクターに「私も一緒に検査室に入ります。」と言った。
takuには「今日は動かないように頑張ろうね!上手く出来たら帰りにコンビニで何か買ってあげるから~!」
なんて話して・・・。


検査結果

写真には明らかにおかしいtakuの股関節の様子が写っていた。
「ペルテスと言う病気かもしれない。」と初めて言われた。
(ペルテスって?? どんな病気??)私にはサッパリ分からなかった。

股関節専門の医師が居ると言う総合病院を紹介してもらう。


総合病院 受診

まずレントゲンを撮る。そして診察。先生は写真を指差して、
「両方の股関節を比べて見て下さい。右が崩れかけているのが判るでしょう。
これは
『ペルテス』と言って骨頭が血行が悪くなって壊死してしまって、段々溶けてしまう病気なんです。
溶けてしまったら
再生してきますが長く掛かります。」

私はペルテスの事を本で調べたので、少し知識が有った。
装具を着けなければいけない事、治癒までには長い時間が掛かる事が本には書かれていた。
その事を思うと、涙が溢れてきた。
「死ぬ様な病気じゃないから、
将来歩けなくなる訳でもないから。」と先生は説明して下さった。

(とにかくシッカリ治療する事が、今は大切なんだな。)と思う。
「これからの治療なんだけどね、治療はここでは出来ないんですよ。
あっちこっち行かせる様で悪いんだけどこれからの事は直ぐ側の、あちらの病院になります。」
と先生はおっしゃった。

先生は股関節が専門だから、この先生に診てもらえば安心なんだろうと思っていた私は戸惑う。

ペルテスは長く掛かる子供の病気。
だから普通の病院では治療出来ない(両足装具で治療する場合)事が、
その時の私にはまだ分からなかった。

これから掛かるという、その病院はお盆休みで閉まっていた。
月曜日には外来が開くそうで、診察は次週に持ち越しとなる。
これからどうなるのか不安で一杯だった。

楽しいはずのお盆休みを、複雑な気持ちで過ごす。
プールに行く予定があった。病院で先生に聞いたら「あまり無茶しなければ、まぁ良いでしょう。」と言われたので
出掛けるが心から楽しめるはずも無く、私の気持ちは沈んでいたが、takuは笑っている。


月曜日

お盆休み明けという事も有り、病院はとても混んでいて長い時間待つ事になる。
普通の病院とは違うなと感じる。
かなり待って、やっと名前が呼ばれた。

先週撮った写真を見ながら
ペルテスと言う病気は、骨頭が溶けちゃう。でも溶けたら、ちゃんと再生してくる治る病気。
治療は両足を開いた状態で装具で固定する。足をこの形にする事によって、ちゃんと治る。

約2年間の入院になる。」

「2年間ですか・・・!?」私は又、涙がこぼれる。

「入院は嫌だ!」とtakuもすかさず言う。

「嫌と言っても仕方が無い。
装具を着けて普通の学校には通えないよ。
ここは隣に養護学校が有るから病院から、そのまま通えるから。」

両足装具。2年間の入院。どちらも思ってもみない事だった。
私たち夫婦は、頭の中が真っ白になった。

「2年の入院なんて言うとね、お母さんはオロオロして取り乱しちゃうけど子供は慣れるのが早いよ。
上が入院施設になってるから見学しておいで。」と言われる。

上から担当の方が降りてきて私達を案内して下さった。
夏休みだから子供達が、遊んでいた。

同じペルテスの子が、両足装具を着けて変わった車椅子に乗っていた。
初めて見るその様子に驚く。まるで足を縛り付けられている様だ。

病室、食堂と案内してもらう。
丁度、食事をしている子供達も居る。様々な子供達が居た。
ここは
「肢体不自由児施設」なんだと初めて気が付く。重度の障害を持った子も居る。

その時の正直な気持ちは・・・。


(ここに入院しなきゃならないの?)
障害者に対して偏見を持っているつもりは無かったけれど・・・。
(足だけが悪いtakuが、ここでこの子達と一緒に生活しなきゃならないの?)

そんな風に思うなんて、自分は何様だって言うんだろう。
誰だって、好きで障害を持って生まれてきた訳じゃないのに・・・。
今思えば、本当に恥ずかしいけれど・・・、その時の私は、ただただショックだった。

「今、病室は一杯なんだけど
9月から入院出来る様に何とかします。」と言われ
「分かりました。お願いします。」と言って病院を出た。
私達は、ぐったりと疲れていた。お昼はとっくに過ぎていた。

そんな気分では無かったけど、takuが「回転寿司」に行きたいと言うのでお店に入る。
順番を待つ間、takuは
「入院なんて嫌だ。」と何回も口にする。
夫は、黙って目頭を擦っていた。私は言葉が無かった・・・。

「ペルテスかもしれない。」とドクターに言われてから、私は毎日泣いていた。
「まだ決まった訳でも無いのに、メソメソするな!」といつも夫に叱られていた。
その夫が黙って泣いている。初めて見る夫の
・・・。

本当に
長期入院しか、手立ては無いのか? 他に方法は無いのか?
そう考えると、居てもたっても居られない。 
「私、これから整形外科に行ってくる。相談してくる。」

お店を出てから、夫とtakuは帰宅。私は整形外科に向かう。
とにかくドクターに話を聞いてもらう。


「2年間も入院するなんて考えていなかったから、どうして良いか分からなくて・・・。」

「ペルテスの治療はね、
装具を着けなければならない。とても普通小には、通えない。
それに、装具を着けた姿は子供達には、とても
奇異な姿に見えてしまう。
ジロジロ見られたり、何か言われたりしたら、何より本人がとても
傷ついてしまう。
でも、養護学校の中なら、そういう気持ちは感じないでいられる。
あそこは、隣が学校だから、そういう意味でも良いと思って紹介させてもらったんです。」

「入院するしか無いんでしょうか。他にはどうしようも無いんでしょうか?」

「後は、
『こども病院』でもペルテスの治療はやっているけど、あそこは手術だからねぇ・・・。」

(手術? 入院は嫌だけど、手術なんて・・・!?)

ドクターは私の話を、親身になって聞いて下さいました。
「良く考えてみます。」お礼を言って整形外科を出る。

私は、その足でそのまま市内の大きな総合病院に向かった。
何処でも良いから、すがりたかった。何でも良いから、情報が欲しかった。

「こちらではペルテスの治療はしていません。『こども病院』なら治療していますよ。」と言われる。
手術・・・と聞いていたから、気は進まないけれど、とにかく話だけでも聞こうと思った。

朝から、4軒目の病院。
『こども病院』は、完全予約制の病院だと聞いたが、私は電話もしないで門をくぐった。
時間が無い。こうしている間にも、takuの病気はドンドン進行している。

医事課の女性が話を聞いてくれた。私は今までの経過を一気に話した。

「そうですか・・・。ここでは治療は手術ですが、一度子供さんを連れて来て下さい。
長期入院を選ぶにしても、手術を選ぶにしても、
セカンドオピニオン
は受けておいた方が良いですよ。」

私の必死な気持ちが伝わったのか、彼女も又親身に相談に乗ってくれた。

「ちゃんと話して、写真を借りて紹介状を書いてもらって来て下さい。
言いにくいかも知れないけれど、今はセカンドオピニオンを受けるのは当たり前の事ですよ。」

「良く考えて、主人とも相談してみます。」お礼を言って病院を出る。
家に着いた時には、もう日が暮れかかっていた。

夫に病院で聞いてきた話をする。隣でtakuも聞いている。

「入院は嫌だけど、手術はもっと嫌だよ!」と言う・・・。

とにかく、セカンドオピニオンを受けてみよう。話だけでも聞いてみよう・・・という事に決まった。


翌日、仕事の帰りに書店に立ち寄った。一つのビルが丸ごと色々な分野に分かれている巨大書店。
医学書専門の、コーナーで難しい整形外科の本(ペルテスの事が書いてある)を、片っ端から読んだ。


本に書いてあった事・・・。
『ペルテスは、4歳までに発症した子は、ほぼ100%後遺症無しで治る。
5歳以降に発症した子は年齢が上がるに従って100%が、80%、70%と段々下がっていく。
後遺症が残ってしまった子は、大人になってから変形股関節症を繰り返し
人工関節にしなければならない場合も有る。』

本によって、書いてある事は少しずつ違ったけれど、だいたい内容は同じだった。
一口にペルテスと言っても、一人々症状も、治癒した後の事も違うだろうけど・・・。
その足で今度は、インターネットカフェに行く。(当時、我が家にネット環境は無かったのです。)

『ペルテス病』で検索すると、多数のHPがヒットする。
病気の子供を、かかえた
お母さんのHPは前向きで勇気付けられたけれど、
医学的な立場で書いてあるHPはシビアな現実を書いてあるものが多くて・・・泣けてくる・・・。
この時初めて、私は『ペルテス病』について、ほぼ正確に理解できた。

どうして、こんな大変な病気になっちゃったのかなぁ・・・。


次の日、入院を勧められた病院に行く。紹介状を書いて欲しいと言う意思は、予め伝えてある。
私達は、先生に
率直な気持ちを話した。

「自分達の気持ちに、踏ん切りを付ける為にもセカンドオピニオンを受けたいんです。」

「話を聞きに行くのは、全然構わないよ。『こども病院』の先生は僕も良く知っているし、
ただ、
僕とは考えが全く違うからね。話しを聞いたら余計にね・・・。」

迷ってしまう・・・と言う事ですか?」
「うーん・・・。」と先生は難しい顔をされた。

「私達の中に『手術』と言う考えは有りませんから、ただ話を聞いてくるだけになると思います。
でも、それでも良いから話を聞きに行きたいんです。」

先生は私達の気持ちを理解してくれて、
紹介状を書いてくれました。
でも・・・
入院の申し込みはしてきました。
もうこれ以上、引き伸ばしたくは無いから・・・。

そこまで覚悟しているなら何故? と人は思うでしょうね。
自己満足かも知れないけれど、何かせずには居られなかった。

こんな事をしても、何もならないのかも知れないけれど、それでも・・・。


『こども病院』での診察は、8月29日に決まりました。


8月25日

前から決まっていた家族旅行の為、河口湖に出掛ける。
病院で、車椅子を貸してくれました。

この旅行の間は、
何もかも忘れて笑っていよう・・・!

予約した
ペンションは、とても素敵だった。名前のとおりの『ワンダーランド』(^-^)
外壁には、
ファルコンの素晴らしい壁画が描かれていました。
夢一杯です・・・!ヽ(*^‐^)人(^-^*)ノ

オーナーさんが、takuをおんぶして運ぶ様子を不思議そうに見ていらしたので
病気で入院する事を話すと 「
こんなに元気そうなのに!?」と驚いていた。
足が痛い事以外は、元気そのもののtakuなんです。

夜、『
ネバーエンディング・ストーリー3』のビデオを借りて観ました。
字幕版だったので、私の吹き替えです。σ(^◇^;)。。。

面白かった。子供達も夢中になって観ていました!
ビデオが終わって灯りを消したら・・・天井一杯に、
キラキラ広がる星空!

みんな
大歓声です!
こんな、素敵な仕掛けが有ったなんて~~!(^〇^)
楽しいお喋りは、しばらくの間続き、夜が更けてゆきました・・・。


翌日

オーナーが『河口湖オルゴールの森』に行ってみたら と勧めてくれました。
行き先決定です!

私達の車が、見えなくなるまで
オーナーは手を振っていてくれました。
とても話が面白くて、楽しい方でした。\(^-^ )

『オルゴールの森』で、初めて聴いた生の
弦楽四重奏。うっとりする程、素敵でした。
何故でしょうね。聴いていて涙が溢れてきて・・・。

この楽しい旅行が終わったら、takuは・・・と思うと

感傷的になっていたのでしょうね。

『オルゴールの森』を出て帰り道。
白糸の滝に寄ってみるか。」と、夫が言いました。

「行きたいけど、あそこは(車椅子では)
無理でしょ・・・!」と私。
「taku行ってみたい?」と聞く夫。聞かれれば・・・。
行きたい!」と言うに決まってるよ・・・!

子供達は『白糸の滝』は、初めて。
夫が、takuをおんぶして急な階段を歩き始めます。


豪快・・・!それでいて、とても美しい『白糸の滝』にtakuも感激です!

夫と出会った頃『白糸の滝』までドライブに行った事が有るのですが
その日の滝は、素晴らしかった。

初夏の陽射しと、水しぶきが交差して
美しい虹が、あちらこちらで何重も見えたのです。
幻想的な景色でした・・・!

その時の事を、takuに話したら
「ふ~ん・・・! 俺も見たい~!」
「takuの
足が治ったら、みんなで又
見に来ようね!」と約束しました。

滝を充分に楽しんでから、駐車場に引き返します。
夫は黙って、takuをおんぶして階段を上って行きます。


最初から分かっていたんだよね。
長い長い、
急な階段をおんぶして歩く大変さ・・・。

それでも楽しい旅の最後に、夫はtakuに素晴らしい滝を見せてあげたかった。
そんな夫の
優しい気持ちが、私にも痛いほど伝わってきた・・・。

普段、口に出して優しい言葉なんて言えない性格の夫だけど、本当はとても優しい。


父親の気持ちは、takuにも伝わっていました。顔を見れば分かります。

1泊2日の、短い旅行だったけど、忘れられない思いが一杯詰まったものになりました。
そうして私達は、家に帰ってゆきました。

旅行から、帰ってきたら留守番電話に
「9月1日からの、入院が可能になりました。」とメッセージが入っていました。


8月29日

午前中
は、「子供病院」です。待合室は、子供達が溢れている。
此処に来る家族はみんな、色々な思いを抱えているのだろうなあ・・・。

暫くして、名前を呼ばれて診察室に入る。
医師は、まず写真を見て、そして私の話(今までの経過)を、じっと聞いていた。

「一口にペルテスと言っても、
病気の程度が軽いか、重いか、色々なパターンが有りますが
お子さんの場合は、軽い方ではありません。」

レベルを、5段階で分けるとしたら、
レベル4 位らしい。

「こちらの病院では、治療法は手術です。そのままに、しておいても治る病気ですが
手術をしない場合は、個人差も有りますが、約2年は入院生活をしなければならない。
成長期の、貴重な2年間、入院しなければならないと言うのは、長いですよね。
そんなに
時間を掛ける必要は、僕は無いと思います。」

骨切り術の説明を受ける。

「保存的治療も、手術も同じ事なんですよ。だったら、三ヶ月程度で退院できる
手術をした方が、僕は良いと思います。約1年後位に、金具を抜く手術が必要ですが
それは、2週間程度の入院です。」

子供病院の医師は、とても感じの良い人だった。
私の話もちゃんと聞いてくれたし、手術についても丁寧に時間を掛けて説明して下さった。

そこまで聞いても、私は手術は嫌だった。でも
夫は・・・迷っている様子だった。
入院の申し込みをしてある事は、こちらの医師には、まだ話していない。

「どちらを選ぶか、もう少し、よく考えてみたらどうですか?」と言われた。

「先生には、大変失礼な話なんですけど・・・実はもう入院を予約してあるんです。
今日は、話を聞くだけのつもりだったんですが・・・。
今、
少し考えさせてもらえますか?

「そうでしたか・・・。あまり時間が無いようですが、じゃあ少ししたら、お呼びしますので
考えてみて下さい。」

と言われて、診察室を一旦出る。


「手術をした方が、良いんじゃないか?」と夫が言う。
「手術は嫌だよ!」隣で、takuがすかさず言う。

最初の先生が言った通り・・・夫は迷ってしまった。
私も・・・
気持ちはグラグラするが・・・。

今、決めなければならない。あまりにも時間が無かった。
少しして・・・。

「私は、
やっぱり長期入院で治した方が良いと思う。」と夫に言う。
「分かったよ・・・。」と夫。

夫は、takuを傍に置いておきたい気持ちが強く、本当は手術を受けさせたかったようだ。
でも、私が言い出したら聞かない事を、分かっていて、それ以上は何も言わなかった。

もう一度名前を呼ばれて
「すみませんが・・・、やっぱり長期入院にします。」

「そうですか・・・。分かりました。もし又時間が経って、何か有りましたら

いつでも相談して下さいね。」
とまで言って下さる。良い医師だ。ありがたかった。

私が、
長期入院を選択した理由は・・・。
実は、ハッキリとした根拠が有った訳では無く

母親としての直感みたいなものでした。
手術が怖いと言う気持ちは、確かに有った。takuの身体を、傷付けたくなかった。

でも、それだけじゃなく・・・
takuは、保存的治療で治した方が良いと

何故だか分からないけど、どうしても、その方が良いと思ったんです。

やっと、
治療方法が決まりました。


午後

小学校に、転校の手続きをする為に行きました。
転勤族でも無い我が家。まさか転校する事になるなんて、思ってもいなかったな。

治る病気だから、行ったきりじゃない。又、この学校に戻って来れるんだ。
そんな思いが心の支えだった。小学校4年生の頃には、帰って来れるのだろうか・・・??

転校の手続きの後、病院に向かう。今度は、
入院の手続きです。

病棟の婦長さんと、指導の先生が入院生活について色々と説明をしてくれました。
takuは強い子だから、大丈夫! と思うけれど・・・。まだ8歳・・・。

離れ々の生活が、いよいよ始まるんだなあ。
不安は、いっぱいだけど・・・
頑張ろうね taku!!(^ヘ^)v


《 入院 》 の前に

両足装具を着けての、保存的治療を選択したtakuは、入院する事になりました。
この装具で治療するなら、入院しかないと私は思います。

在宅治療は・・・。
やって出来ない事はないとも思いますが・・・親も子も、かなり精神的、そして体力的に大変です。
私は、takuが大人になった時の事を一番に考えました。

今は確かに辛いけれど、入院生活の2、3年の我慢は、これから先の長い人生を考えれば
わずかな時間でしょう。


大人になった時に、後遺症の残っていない身体であって欲しい。
それが、私達の一番の願いでした。

『ペルテスは治る病気』と言われているけれど・・・。
治り方は、10人10色で・・・。みんなが、みんな骨頭が綺麗な丸い形に治るとは限らない。
哀しいけれど・・・。

だからこそ私たちは、この治療法を選んだ。
将来を考えて、大事に大事に治したかったから。

ペルテスの子を持った親は、みんな悩んで悩んで
発症年齢や、病気の進行の具合を考えて
自分達が、一番良かれと思った治療法を選択しているのだと思います。

私達は、takuを入院させる事にしました。


(  《入院》 へ続く )






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