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息子TAKUとの母子家庭生活いろいろ・・
“心得”なんてすごいことは知らない。 貧乏で、我慢しなきゃならない事もたくさん。 ・・・でも・・なんか楽しい♪ 毎日がなんか幸せ♪ そんな私たちの“心絵”を気の向くままに描いていきます。 購入履歴
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息子が去年入部したサッカー部は・・ま、いわゆる弱小?チーム
去年から顧問になった先生は熱血サッカー教師と、女性ながらフットサルの経験があり審判の資格も持っている若い先生。 息子いわく『サッカーは素人(←失礼)』 厳しくも温かい指導のおかげで、両先生は就任一年目にして息子たちを東京都でベスト16のチームに育ててくれました。 女性の方の先生は、本当にTAKUを愛してくれて私もすっごく好きだった。 その先生が今年になって会えないまま、春休みに青年海外協力隊でアフリカに行ってしまった 卒業にも間に合わない。 急だったので、お礼の挨拶もできなかった。 ・・息子も進級して、先生が突然去った心の隙間も埋まりかけた(どんだけ愛してたんじゃい)今日この頃。 “進級おめでとう!!2年、3年でのみんなの活躍、そして卒業を見届けられないのだけが心残りです。”との手紙(プリント)が! ・・はい、今頃見たのは息子がプリントを全然持ってこないからです。 『~大きくなったらなにになりたい? 先生(以降ミィちゃん)が子どもの時に見た、当時の自分と同じくらいの歳のエチオピアの少女の写真。 ミィちゃんはその時舞妓さんかフィギアスケートの選手になりたかった。 でも、その少女の答えは・・・“生きていたい” 大学生になっていろいろな国を旅したミィちゃんは、貧しいから学校に行けない子ども、紛争に巻き込まれる子ども、日本なら軽く治る病気になって死んでいく子ども・・いろいろな国の子どもについて考えます。 子どもの時に見たあの写真がいつまでも心に焼きついているのです。 “私に何ができるだろう”と考え続けたミィちゃん。 日本の子どもに世界の問題を考えて欲しい、と教師になったそうです。 そうして30歳を迎える今年。 ミィちゃんは青年海外協力隊の一員として、アフリカで働くことを決めました。 乾季の女性の収入源や、衛生問題を現地の人とともに考えたりアドバイスする仕事です。 いろんな国の言葉が話せるのに、別にそれを活かすわけではない、 しかし。本当に現地の人を理解しようとしなければできないであろう仕事。 ミィちゃんは、そういう仕事を選びました。 水・電気は不安定で、不便なだけじゃない、いろいろな危険や不安もないわけじゃないと思うのです。 でも、最後にはこう締めくくられています。 『それでも私は希望を持って行ってきます!! それが自分に与えられた使命だと信じています。 世界中のすべての子どもが“生きる”だけでない、自分の夢を語れる世界になるように』 手紙、と言っても学年便りのプリントのような書式。 きれいに保存しておこうと思ったのに。 涙でぐちゃぐちゃですよ・・ 一時間涙がとまらずに、今も日記に書いてるだけで泣けますよ。 ひとりの力は小さいものだけど、常に『自分にできること』を考え一歩一歩進んでいくミィちゃん。 ありがと!! 私も、少しいろいろな事考えて進んでみる 先生がずっと健康で、サッカー部の“勝利の女神”であった様にアフリカの人にとっても“女神”でありますように・・・
最終更新日
2009年04月18日 01時08分50秒
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