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でっかい独り言、内緒話に戯言三昧

でっかい独り言、内緒話に戯言三昧

願いの叶うとき

 全身全霊で願ったことがあるだろうか?
私はある。
でも、2回叶った願いは、どちらもとてつもない犠牲を伴った。
絶対にそのことを私は忘れてはならない。


 ほんの少し上2人とは年の離れた末っ子は、なんだかんだいいつつも
甘やかされていたのだと思う。
ふとしたことから不登校になってみたり、原因不明の病気になってみたりしたが、
自分自身「幸せ」だと思っていた。

 その生活が一変したのは、中学進学に伴う寮生活だった。
小生意気で高慢稚気な末っ子は、自分がどれだけ守られ、弱い心の持ち主だったかを思い知らされた。
 いやでいやでたまらない生活。苦しくて苦しくて、でも勝ち気な私は
それを認めることを潔しとしなかった。
 助けてくれる手を払い、時折ある小さな楽しさや幸せな時間を決して認めようとしなかった。

 そして願う「寮を出たい。家に帰りたい」

 願いは叶った。父の死をもって。

 父の仕事の関係で、小学校を転校し、中学からは寮のある学校に入った。
つまり、父の仕事がなければ、寮にいる必要はどこにもなかったのだ。
 どうしても学校を続けさせたかった母は、二度と寮にもどりたくないという私の思いをうけいれ、
学校に通えるところに家を買った。
自分自身、京都育ちで関東はあまり好きではなかったくせに…

 ところが、父の死をもって叶った願いは、私をさらに打ちのめす結果をなった。
それぞれが中学から家をでて寮にいたためか、家族内でのコミュニケーションが全くなかったのだ。
家族でありながら、個々に生活していた。家庭ではなかった。

 私の願いは、父の死をもって叶ったのに、誰のためにもならなかったのだ。
願ってはいけない、絶対に。強く強くそう思った。

 激しく落ち込んで、なにもする気がない日々が何年も続いた。
「前向きに」といわれても、
私の前には、死んだ父の背中が見えるのだ。
自分の幼い願いでなくしたたくさんのもの、それが見える。
そんな状態で前向きになんて考えられるわけがないのだ。

 それでも、見捨てなかった友人たちのおかげと、
そしてなによりも伸びずにはいられない若さとが
たくさん遠回りしたものの、なんとか顔をあげていられるようになった。
 誓いは忘れていなかった。
「願ってはいけない。今ある幸せで満足するんだ」


 だけど、結局は心の弱い私のこと、またもや願ってしまった。
「子供が欲しい」

 未だに、本心から欲したのか、まわりの重圧に負けたのかよくわからない。
何度かの自然流産らしきあとに、ようやく妊娠が認められた時、
母が入院することとなった。
 私の2度目の願いは、母の死をもって叶うことになったのだ。

 ようやくの妊娠を喜ぶどころではなかった。
私はまた同じ過ちを繰り返したのだ。
あれほど、願ってはいけないと思っていたのに、
長い年月の中で、前向きにひた向きに生きることと、慢心、幸せに慣れるということをはき違えてしまった。

 自宅と実家とを通う日々は、贖罪の日々でもあった。
でも、取り返しのつかないことは知っていた。
誰かが許してくれることではないことも知っていた。
なにより、自分が許せない。
毎日、父にすがる思いで願った。
でもある晩、父は「こればっかりはどうにもならない」と言って、
二度と現れなくなった。夢の中にも…

 父を失い、母を失い、そうして叶った私の願い。
もう二度と願ってはいけない、幸せであることに欲をもってはいけない。
私はそう思っている。

もし3度目があるのなら、そのときは私の死をもって叶うように。
最初から、そうあるべきなのだから…


(2007/02/23)



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