本当に今年はなんなんだ!
今年は心理状態がとてもよくて、この年にしてとても前向き。外出を控えながらも、自分の戒めのためにも行きつけの神社、蛇窪神社に、少し早めの夏の大祓へ行った翌週、通勤途中で、階段を踏み外し、左足首の脱臼&骨折(3か所)で救急車搬送。即、手術が決まったものの、事前検査で心臓のトラブルから、全身麻酔のリスクがあるということで、埼玉医大へ転送。当初、創外固定をし。そののちプレートやボルトをいれて固定する、創外固定の着脱で二回、プレートなどを入れるで、一回、計三回の手術ということだったけれど、全身麻酔のリスクが高いため、一回の手術でプレートとボルトを入れることに。私自身は「俎板の上の鯉」で、なるようにしかならんと思っていたけれど、メンタルがおぼろ豆腐並みのお嬢、緊急搬送だけでも、混乱しているところに、次々と、転院、手術、同意書へのサイン、とパニック状態。それでも、駆け付けてくれた従姉弟の協力なバックアップがあり、無事に手術となった。このコロナ禍で、対面して事情を伝えるということができず、お嬢と会ったのは、緊急搬送の翌日の転院時、そしてその翌日の術前術後。怒涛のような展開だったため、おそらく目の前のことしか考えられなかったお嬢。術前に会った時は、普通に見えたけれど、親から見れば動揺しているのがまるわかり。病気の想定はしていたけれど、けがは眼中になかったから、あ~~~~~、すまぬな~~~と思いつつも、どうにもできず、手術へ。目が覚めた時には、病室に戻っていて、足元にお嬢はい、動揺してますね。別にウケを狙ったわけではなく、本当にナチュラルに「なんか、意識戻った瞬間に、D.D.が脳内再生されてるわ」一気にお嬢の顔が呆れて「アー、ソウデスカ、ヨカッタデスネ」D.D.は、現在ドはまり中の、Snowman(ジャニーズ事務所)のデビュー曲。まぁ、確かにお気楽ですな。ずっと付き添ってくれた従姉妹によると「しょうがないけれど、ずっと緊張してて、張り詰めてたけれど、術後に会ったら、一気に気が抜けたみたいで、号泣してた」とのこと。術後のケアをうけ、一般病室に移ってからも、心電図と酸素飽和度のモニターをつけトイレなど、車いすで動き回れるようになり、心臓の動きをコントロールする薬をもらってからは、かなり落ち着き、二週間ほどで、リハビリ転院となった。転院先は、最初に運び込まれた病院。実はその時の対応で、ひっかかることがいくつかあり、そこへの転院は避けたかったのだが、そうもいかず、戻ることに。この転院も、かなり急だったので、てんやわんやしたものの、仕事を休んだお嬢が付き添えたので、手術日以降、移動中の1時間ほど、しゃべることができた。この戻った病院では、やはりいろいろあったのだが、それはまた別の時に。そして、骨折してから二か月、やっと退院することができた!とはいえ、まだリハビリに通院が必要で、完治したわけではないけれど、生活しながら、リハビリをしていくことに。心配していた病院も、徒歩圏内に病院があることがわかり、一安心。この入院中、仕事の仕方や、今後どうしていけばいいのだろうか、どう生きていけはいいのだろうか、などなどいろいろ考えた。骨折をしたのは、痛いけど、でも、立ち止まっていろいろ考えることができたのは、有意義だったのではないかと思った。さて、考えたことを、具現化していかないとね