オープンしてから7年、何人かの「仲間」を見送ってきた。
多くは入院先の病院で、最後の時を過ごしている。
そしてまた今、まもなく命の終わりを迎えるだろうと思われている、1人の男性がいる。
家族は、延命措置は一切拒否しているとのこと。
なおかつ、大好きな通所にはできるだけ通わせて、楽しい経験をさせてあげたい
というのが家族の希望。
つまり・・・
家族のいない状況で、我々職員が彼の最期を見取る可能性がある。
職種にかかわらず、こういう職場で働く以上はこんな可能性もあるということは
覚悟しながら働いているものだと思う。
でもここは病院ではないし、なおかつ送迎バスの中でもしものことがあったら
自分1人でなんとかしなくてはならない。
なんとか、と言っても吸引と酸素投与くらいしかできることはないのだけれど。
もしも何かが起こっても、あなたたち職員を恨んだりはしません、と家族は言ったそうだ。
そのための念書を書いてもいいのですが、という家族に「信頼しているので
書いていただかなくて結構です」と医師は言ったとのこと。
でも・・・
「その時」に絶対に側にはいないはずの医師が、なぜそこまで言い切ってしまうのだろう。
「恨んだりはしません」とは言っても、「もっと他に何かできたのではないか」
と思うのが人間だと思う。
当事者も自分を責めるだろう。
家族が当事者を責めないと言い切ることはできないと思う。
私たち、現場の人間が一番不安なのは。
もしかして家族が彼の死に不審を抱いたとき、ウチの職場の責任者が
現場の人間を守ってくれると信じ切れないところにある。
責任者である園長(医師)は、バスに添乗することはない。
「何かあっても必ず責任は取るから任せろ」と、職員を安心させる言葉一つくれることもない。
情けない話だけど、そんな園長の下で働かざるを得ない私たち。
「死」という、重大な問題に直面していてもなお変えられない体質。
順番で回ってくるバス添乗。
「どうか自分のバス添乗中に何事もおきませんように・・・」と祈りながら仕事をしている。
ロシアンルーレットのマスみたいだ。
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それから数ヶ月して、彼は亡くなられた。
短命と言われる病気を抱えた彼が、25歳までの人生を楽しんで生きるお手伝いができただろうか。
私は、もらうばっかりだったかもしれない。
養護学校を卒業した彼が、この通所に入ってこられたのは平成9年。
私も同時期に非常勤としてこの職場に入った。
職員と利用者さん、立場は違うけど、私たちは『同期』だったんだね。
いわゆるターミナル時期に入ってから数ヶ月。
病気の特性上、急変することが多いだろうと思われていたのに、少しずつ
少しずつ悪くなっていった。
まるで職員全員が「いつお別れの時が来てもいいように」と心してかかわることができるように、
考えてくれていたかのように。
なくなる日直前の週末も、元気、とは言えないけれど来てくれていた。
いつものように「また月曜日ね」と声をかけた気がする。
延命処置を拒否されていたので、最後は自宅でお父様に抱かれて眠るようにしていかれた、と聞いた。
最期の時を一緒に過ごせて、親孝行、弟孝行ができたんだね。
いつも通所を盛り上げてくれたね。あなたの声が聞けなくなるのは寂しいな。
でも、Rくんに出会えて良かったよ。ありがとう。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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