告知される親の気持ち
月命日の日は、さすがに朝からメソメソ、シクシクしていたのですが、寂しさを感じつつも、泣いたりということは思ったより多くありません。むしろ泣いていたのは、○ちゃんには何の異常もないと言われていた頃、生まれてすぐNICUに入ってしまい、なかなか出てくることがなかったあの頃のほうが泣いていました。毎日、毎日、産科の病棟で泣きつくし、言葉より先に涙が流れ、夜になると病院のロビーで公衆電話から実家の母に電話して泣き崩れていて、それを看護師が探しに来る・・・そんな日々でした。その後、次々に告知を受けてきて、その内容はだんだんと厳しいものへとなっていきましたが、涙を流すことがなくなっていきました。医師からの説明を聞き、心臓が高鳴り、みぞおちのあたりがキリキリしたり、ぎゅーっと押しつぶされそうに感じながら、必死に頭をフル回転させ、説明された現状を理解しようと勤めていたことを思い出します。私の気持ちも少し落ち着いたので、一番最後の告知のメモを見直してみました。今年の5月下旬に進行性の病気だとの告知をされたときのものです。メモを取ったのは、私ではなく、当時の病棟担当医です。カルテにも残されるそのメモを告知後は必ずもらっていたので、それを読み直してみました。私は、○ちゃんの病気について、あるいは、そこから起こる合併症について、告知後も、毎回の外来の中で説明されていましたが、あまりにも複雑で、理解しきれずにいました。ただ、ただ、何かがおかしい・・・これは一体何が起こっているのか・・・とそればかりでした。当時のメモを読み返してみると、かなり厳しい内容の告知を受けていることがわかりました。自分で理解している以上に厳しい内容でした。しかも、かなり思い違いもあったりして、「あらら・・・ちゃんと説明されてる・・・」ってな具合です。告知を受けた時、どんな気持ちだったかは、鮮明に覚えているのですが、その直後の自分の行動は不明です。そんな状態だったのだから、内容だってあやふやなわけです。泣きもしなかったから、自分では冷静に振舞っているようで、実は冷静ではないということがメモを読み返して改めてわかりました。理解しよう、現実を受け入れようと思っていながら、一方でどこかで厳しい一面を無意識のうちに排除していたんだなと思います。