2006/10/08(日)23:46
いのちの仕様書!?の夢
誕生日に見た夢だから、何か意味があるのかもしれないけれど、非常にインパクトのある言葉が出てきた夢なので書いておきます。
夢の詳細は、もうひとつの別ブログに書いていますが、ちょっと恥ずかしいのでページ認証をかけることにしました。興味のある方は私書箱で認証用のユーザ名・パスワードを聞いてくださいませませ・・・。
さて、前置きはこれぐらいにして・・・。
私は、どうやら仕事に復帰したのかも、といった様子。
体育館のような、講堂のようなところで、会社の同僚が、何か資料を持って発表している。
その同僚の晴れ舞台のような雰囲気だけど、舞台の上に立っておらず、司会進行者がいるようなはじっこでスポットライトを浴びている。
私は、なんとなくそれを歓迎できない気持ちで見ている。
ふと、ある女性が質問した。中学時代に同じクラブに所属していた友人(今は付き合いなし)。
彼女が、同僚に批判的なことを言う。確か、「その書類(発表)は結局なんなんだ」と。
彼は、バカにしたように一言、何か(ワスレタが彼女を見下した言葉)を言って、その質問にまともに答えないで先に進もうとする。
しかし、彼女は、さらに食い下がる。
そこで彼は、答えなくてはいけないと思ったのか、大声で一喝、
「これは、いのちの仕様書なんだ!」と言う。
彼が発表していたのは、確かに、大きなシステム開発で必要になるシステムの仕様書だという感じはしていた。しかし、彼の言う、「いのちの仕様書」の意味は、「自分がいのちをかけて作った仕様書」という意味ではなかった。
それはあきらかに、「人間の生命をコンピュータに乗せるプログラムとして設計し、考えた仕様書」という意味だった。
私には、人間の生命をプログラムで全て表現できるとしているその表現としての「いのちの仕様書」という言葉があまりにも大げさで傲慢な気がして、ますます彼がイヤになった。
・・・なんか、たまねぎぼうず的にはものすごくインパクトのある言葉でした。
「いのちの仕様書」って、なんだか恐いよ。
夢の中の登場人物は全て自分の分身である・・・とすると、いのちの仕様書を振りかざす自分がいないのか、よく振り返らなければいけないと思っています。