岡村喬生というバス歌手
岡村喬生というバス歌手 昭和6年生まれのバス歌手である。私は、この人の歌が好きだ。なんと喜寿記念のコンサートを10月にするそうである。 この岡村さんは、早稲田大学第一政経学部新聞学科に入学した。歌とは、まったく関係ない。入学してすぐに、この学部の人たちが、一人一人将来の夢をみんなの前で披露したんだそうだ。たまたま横にいたSという同級生に「君は、実に大きな声をしている。ぼくは、グリークラブに入ろうと思っている。いっしょにこないか」と言われ、最初は断っていたそうなのだが、何度も何度も誘ってくるので、ひやかしにでもいくかという感じで、のこのこついていったのである。 「君のパートは何だ。」 S「バリトンです」 「君は?」 岡村「バリトンて何ですか。」 「男声合唱で下から2番目に低いパートだ」 岡村「たしか、おふくろがソプラノだったから、わたしもソプラノかもしれません」 つまり、まったく歌のことを知らなかったのである。その岡村さんが、オペラ歌手、しかも世界でも有名なオペラ歌手になったのである。私は、1度、岡村さんをお見かけしたことがある。20年くらい前のことである。小松空港で、他の人とはまるでちがう雰囲気を持った男の人がいた。私は、すぐにわかった。あっ、あの人が岡村さんか。」 人生、何がきっかけになるか分からない。Sという同級生が,岡村さんをグリークラブにつれていかなかったら、岡村喬生という大オペラ歌手は存在しなかったのである。 人間というのは、ちょっとしたきっかけでまったく違う人生を歩むことになる。私の病気もなにかのきっかけの前触れなのかもしれない。そういうふうに最近思うようになってきた。一回きりの人生。いろいろなことに挑戦してみよう。何が幸いになるか分からないのである。チャレンジだ。