完治まで足かけ2年と3か月。
おととしの夏にカヤコさんが入院した。歩くと何かと息切れがして苦しいと電話で話していたけどお盆前で忙しく、直接会っていたわけではなかった。聞けば、呼吸が苦しいのに加えて熱も少々あって体調不良が続いていたのにお盆にはお墓参りに親戚が寄るのがわかってるからと無理をしていたそうな。近くの病院で点滴をうちながら2カ月も経過していた。カヤコさんの様子をみた親戚の叔父がすぐに病院に行った方がいいとすすめてくれてお盆前だったけどしぶしぶ腰を上げて市民病院に行ったところ、 「即入院してください。」 えー? すぐですか? 「ただですね、ベッドの空きがないので日赤を紹介します。」 えー? 遠いから近いとこがいいんですけど。 市民病院ですよ?市民病院ですぐに入院しろって言われりゃどんな大病なんじゃろう??って思いますがな。日赤ですよ?日本赤十字ですよ?日本赤十字病院を紹介するって言われりゃほんとに助かるんじゃろう??って不安がりますがな。それがですよ? 「近くの病院にゆぅてもらえません?」 元祖モンスターペイシェントじゃね。****************************そんなだから、お盆の最中にドタバタと入院したにもかかわらず、たいそうなこととは思わなかったのだけどこの時カヤコさんは間質性肺炎だった。一般の肺炎なら治療をすれば元に戻るらしい。火事にたとえると部屋のカーテンやじゅうたんが燃えるようなもので消火すれば復旧はする。間質性肺炎は、家の柱や天井や屋根が燃えるようなもの、家の構造にかかわる部分が燃えるから、消火が遅れると、家は焼け落ちるので火事が消えても部屋(肺胞)は、失う。その結果、息ができなくなって死にいたる。城山三郎さんや美空ひばりさんもこの病気が死因だったらしい。日赤をことわって近所の病院に入院したとき、ドクターが「・・・よくこんなになるまで我慢できましたね。」と驚かれたとか。よく、『ダ』に買い物に来られるお客さまの中にも鼻にチューブを通して酸素を常時取り込む装置をカートに持参している方がいらっしゃる。退院しても、このように予後をたどる人が多いそうな。知れば知るほど、大変な病気だったのだとわかって実家で一人暮らしのカヤコさんを案じながらも根拠ない強運に感謝するのだった。********************************* ところが、カヤコさんから電話がかかってきた。「今ー! 時間いいー?!」 なんだか、うれしそうじゃね。「先生がねー! 『そろそろ完治したと言えそうですね。』ってゆぅてくれたんよー!!」「数値がやっと正常な範囲におさまったんよ。」「入院したときは6倍もあったんよ。」 やっと、ったって正常に戻る人だってそうそういないんだからやっぱり運がいいんだよ。既往症はないから薬のアレルギーじゃないんだもの原因がわかってる肺炎と違って原因不明の間質性肺炎なんてそう1、2年では治らないって聞くもの、やっぱり運がいいんだよ。 「ほうなんよ! じゃけぇ、やっぱりお父さんが守ってくれとるんじゃね!!」 いや、あの、とうちゃんの手柄にするのはいいけど、やっぱりここはドクターでしょ。ドクター、ありがとうございました。(代理でお礼)とうちゃん、グッジョブ。(感謝)