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カテゴリ:旅
![]() 午前中はホテルから東へ歩いて15分ほど、比治山という小高い丘まで。トンネルを抜けて東側に周り、動く歩道とエスカレーターを使って中腹まで登ることができました。陸軍墓地・放射線影響研究所とその横の展望台から街を眺めていましたが、広島の都心は高いビルがいっぱい建ってます。イメージでは、原爆ドームと市民球場の照明がどかんと目立っているはずだったのですが、「はだしのゲン」の読み過ぎでしょう。 山を下りて広電に乗り、宇品の海岸へ向かいます。この広電、マニアにはたまらない“動くチンチン電車博物館”でして、よそで走っていた車両がほとんどそのまま(車内放送やプリペイドカードリーダーなどの設備は後から取り付けてある)走っています。この時に乗ったのは、元・大阪市電で、昭和40年に広島に来たようです。京都市電ともすれ違いました。かと思えば、5両編成の宮島口行き最新型が走っていたりして、不思議な感じです。原爆が落ちたときに走っていたやつも、数台残っているようです。 宇品の港から、江田島へ。20分ほどの船旅で着いた港にて「旧海軍学校一般見学」の案内を見つけました。予約無しで行けるそうなので、港からタクシーで急ぎ、受付を済ませます。 敷地内はさすがにキレイに手入れが行き届いています。写真の建物は、幹部士官養成コースの校舎だそうで、120年ほど前にイギリスからレンガを運んできて建てられたものだそうです。1個1個のレンガがしっかり焼かれていて、100年以上雨ざらしになっても表面がすべすべしています。そして資料館を自由見学(ただし、この館内は写真撮影不可)。東郷平八郎を初めとする著名な海軍司令官の遺品とともに、特攻隊員の直筆遺書や“回天”の資料もありました。今で言うと「自爆テロ」のようなこの作戦、いろいろな人の意見もありますし、また別の機会に書こうと思います。ただ、この手紙を書いた人達は、現代の「竹島」や「テポドン」をどのような思いで見るだろうか。 宇品へ戻り、試合開始までまだ時間があるので、旧客船ターミナルにできたという韓国物産店をのぞいてみました。昨年末にできたばかりと言うことで、中は小綺麗かつ殺風景でした。ま、その辺のキムチ屋に毛が生えた程度だろうと思っていましたが、ハングルだらけのインスタントラーメンやスナック菓子、2~3キロ入りのコチュジャンのバケツ、「ロッテ・フラボノ」とハングルで書かれたガム、韓国国内版ジンロ、ペットボトル入りのマッコルリなどなど。韓国フード好きのワタシにとって半日以上時間をつぶせそうな店でした。近くにあったら、絶対行きつけになりそうです。 そんなこんなで、球場入りは試合開始10分前。2階席のほぼ中央の席に着くと、場内放送で「残念なお知らせです!」とのアナウンス。何でも、カープ草創期の看板投手だった長谷川良平氏が亡くなられたそうです。よく見ると、球場の旗も全部半旗になってます。これにカープが発憤したのか、それともベイスターズが広島の暑さにまだついて行けてなかったのか。前日と同じような試合展開でした。というか、嶋が守備に打撃に大活躍です。 ただでさえ遅めの試合展開に加えて、ブラウン監督が20分近い抗議で退場しました。池乃めだか(保安官のロバート)ばりに「もういい!」と両手を広げ、審判の「退場」の声を聞くとお辞儀をして一塁ベースへ。これは…と思ったら、ベースの砂を手で払いのけておしまい。いいセンスしてます。 せっかくなので、ホテルへの帰り際にまたお好み焼きを食べ。関西のお好み焼きに比べて野菜が多いので、結構あっさりと食べられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/08/03 12:18:43 AM
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