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2011年08月15日
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遅くなってしまって、すみませんm(__)m

第31回の視聴率は、前回の17.6%より大きく下がって、13.1%でした。ショック

お盆休みとはいえ、驚くほどの低視聴率で、これまでの最低視聴率でした。

今回は、サブタイトルに偽りはなく、秀吉の死を丁寧に描きました。

でも、このドラマの秀吉、あまり人気なかったですからね(^^;)

それに、主役は一応、江ですから(^^;)

でも、江が千姫を身籠って出産したのは、サラッと簡単に終わってしまいました(汗)

慶長2年(1597年)5月、江は女子を出産。

秀忠が、既に名前を決めてあって、「」と名づけました。

実は、男だったら徳川家の嫡男によくつけられる幼名「竹千代」と思っていたみたいで、その中の「千」という字を選んだようです(^^;)

秀忠は、江の妊娠中は子供に興味がなさそうでしたが、生まれてみると、意外に子煩悩で可愛がってくれました。

江が可愛がっているシーンは、殆ど出てこなかったです(汗)

 

淀から、文と沢山のお祝いの品が届きました。

文には、お祝いの言葉と、完が元気なことも書いてありました。

完ちゃん、元気で良かったです。

 

秀吉は、拾のことが心配で、4歳で早くも元服させました。

名を拾から、秀頼と改めました。

家康は「殿下は、生き急いでおられるのかもしれぬな」と言いました。

秀吉がもう自分の命が長くないので、その後の準備をしているのだろうと思ったようです。

そして、早くも、秀吉から千を秀頼の許婚にと申し出がありました。

江は嫌がりましたが、家康は受けました。

 

史実では、千は、1597年に生まれて、1603年に、秀頼に嫁ぐようです。

ということは、6歳(数えで7歳)の花嫁ですね?

この時の千姫の子役は、芦田愛菜ちゃん(7)です。

茶々の幼少時代も演じました。

7歳で早くも白無垢姿で祝言の三三九度にも挑戦した芦田愛菜ちゃんの談話が、以前、ネットのニュースに載っていました。

 

娘・千のことは、その位でした。

あとは、狂ったような秀吉の様子と臨終でした。

再度、朝鮮に出兵させ・・・

慶長3年(1598年)3月、秀吉は、京都の醍醐寺にで、絢爛たる花見の宴を開きました。さくら

そして、伏見の屋敷にて、桜の舞い散る中で、夢想。さくら

秀吉「生きるとは・・・夢 幻のごとくじゃな」

 

これより後に、秀吉は伏見城で病に伏して、そのまま寝たきりになってしまったそうです。

そして、自分亡き後を秀頼に継がせようと、後を託す者たちを枕元に呼び出しました。

家康も呼びました。

秀吉「天下の仕置きをしばし、貴殿に委ねたい。

 貴殿、並びに前田利家を筆頭とする5人の大老を、この三成を含む5人の奉行の上に置き、諸事相談の上、事を決する」

家康「お任せくださりませ」

秀吉「ただし・・・」

家康「無論、秀頼様がご成長あそばされました暁には、政の座は直ちにお返し致しまする」

秀吉「かたじけない」

家康の手を握り、

秀吉「頼みまするぞ」 

家康「ははあ・・・」

 

そして、8月に病状が悪化してしまいました。

初には、近江国蒲生郡の所領をやるから龍子を頼むと頼みました。

秀吉「高次、これまでの働き、あっぱれであった。

 今後は秀頼を守り立ててやってくれるようにのう」

高次にもしっかり秀頼のことを頼みました。

 

秀忠も秀頼のことを頼まれたようです。

秀忠は、江にも殿下に会いに行かないのかと言いました。

江は嫌がっていましたが・・・

結局、会いに行きました。

秀頼のことをきっと頼まれるのだろうと思っていましたが、江に言ったのは違うことでした。

秀吉「幸せになれ。

 此度こそは、徳川の家で幸せになってくれ。

 これでさらばじゃ」

最後は、カッコいいセリフで決めましたね。

これで死んでしまうのかと思いましたが、まだ生きていました。

 

慶長3年(1598年)8月18日、

秀吉は、北政所の腕の中で静かに息を引き取りました。

江と会った時でなく、北政所と一緒での臨終で良かったです。

享年62歳でした。

 

天下人の死で、また世の中が乱れそうですね(汗)

どうなることやら?

 

とりあえず、次回は「江戸の鬼」

秀忠の乳母、大姥局(おおばのつぼね)役で、加賀まりこさんが登場するようです。

この人が姑のような感じになるようです。

次回は、ホームドラマでしょうか?

それとも、三成と家康の攻防?

それでは、また来週♪(^^)

 

【第31回粗筋】 (公式HPより)

文禄5年(1596)、大火事の際、夫・秀忠(向井理)が身をていして自分を守ってくれたことで、江(上野樹里)は、徳川の妻として生きる決意を固める。
 そんな江が暮らす徳川屋敷を、秀吉(岸谷五朗)が訪ね、2人は久々の対面を果たす。病から回復したものの秀吉の衰えは明らかで、家康(北大路欣也)は、秀吉亡き後に思いを巡らす。
 9月、明の皇帝からの返書に怒った秀吉は、家康が止めるのも聞かず、再び朝鮮への出兵を決める。
 そんな折、江の懐妊が判明。嫡男誕生を期待する徳川家にあって、秀忠はさして喜ぶでもなく、「女子であればよい」とも口にする。
 明けて慶長2年(1597)5月、江は娘・千を出産。嫡男誕生はならなかったが、夫の意外な子ぼんのうぶりに、江は安心する。
 しかし、家康は千を豊臣秀頼に嫁がせることを早々に決め、江は自分の子もまた政治の道具とされる運命を嘆くしかなかった。
 慶長3年(1598)春、秀吉は醍醐で花見を開くが、それからまもなく病の床に就く。自分亡き後をなんとか秀頼に継がせようと、病床であらゆる手を尽くし、後を託す者たちを枕元に呼び出した。
 その様子を秀忠から聞き、会いにいくべきか悩む江。迷った末に、江は秀吉と面会することに。そこで秀吉は、「幸せになってくれ」と言葉を残し、この世を去った。

 

【視聴率推移とレビューリンク】 (関東地区)

[第1回]21.7%  [第2回]22.1%  [第3回]22.6%  [第4回]21.5%

[第5回]22.0%  [第6回]19.6%  [第7回]18.5%  [第8回]20.9%

[第9回]20.0%  [第10回]16.9%  [第11回]15.7%  [第12回]17.1%

[第13回]16.6%  [第14回]19.2%  [?15回]18.0%  [第16回]15.9%

[第17回]20.7%  [第18回]18.1%  [第19回]17.3%  [第20回]19.0%

第21回]17.6%  [第22回]18.3%  [第23回]18.0%  [第24回]18.1%

第25回]16.3%  [第26回]16.2%  [第27回]15.3%  [第28回]18.9%

第29回]17.4%  [第30回]17.6%  [第31回]13.1%

第20回以前のレビューは、第21回から飛んで下さい。全回レビューあります。 

 

<秀吉の十一ヶ条の「覚」の相手>

第一条、徳川家康宛。

第二条、前田利家宛。

第三条、徳川秀忠宛。

第四条、前田利家の嫡男・利長宛。

第五条、宇喜多秀家宛。

第六条、毛利輝元&上杉景勝宛。

第七条と第八条は五大老全員宛。

第九条から第十一条までは、五奉行の前田玄以&長束正家宛。

 

公式HP(次回粗筋)

公式HP(夢の終焉!秀吉死す)←十一ヶ条の「覚」を出した相手の詳しい説明もあり

公式HP(大姥局って誰?)

 

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最終更新日  2011年08月16日 17時03分00秒
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