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カテゴリ:’13ドラマ
「鹿鳴館の華」 捨松の方が八重より大河ヒロインに相応しいのではないかと思うくらい、捨松も、明治時代、華々しい活躍をされた方ですよね? 夫人同伴の夜会や舞踏会で、重要な外交上の駆け引きも行われていた時代、「鹿鳴館の華」として、大活躍♪ そして、当時、日本に看護婦がいなかったので、寄付を募って、日本初の看護婦学校を作ったり、留学仲間の津田梅子が女子英学塾(後の津田塾大学)を設立、維持するのをずっと支援し続けたりして、女子教育の発展に貢献しました。(Wikiより) 捨松が主役のドラマだったら、八重が腕相撲で捨松の結婚を決めるシーンはなかったと思いますが?(汗) 主役が八重だから、こうなっちゃったのかな?(汗) 第43回の視聴率は、11.5%(関東)で、このドラマの最低視聴率でした(汗) 裏に、日本シリーズ「楽天×巨人」第2戦(20.3%)があったので、きっと食われてしまったのでしょう。
それにしても、捨松さん、「鹿鳴館の華」と言われ、大山巌との「ロミオとジュリエット」のような恋話が有名なので、私は今回、期待していました(汗) それだけに、八重絡みに変えられてしまって、ちょっと残念でした(汗) 八重と大山が腕相撲して、捨松との結婚をかけて勝負するなんて・・・ 籠城戦で八重の撃った弾が大山に当たったので、その後の再会の勝負を描きたかったのかな?(汗) 大山「おはんがあん時の鉄砲撃ちか。ハハハ・・・見事、撃ち抜かれた。 じゃっどん、この通り、傷は癒えもした。(と足を叩く) 捨松さあとの結婚、薩摩と会津が恨みを乗り越えたと、民に示す意味でも意義のあいこつ。お許し願いたか」 八重「それは戦に勝った者の理屈だ」 でも、八重の提案で、腕相撲勝負をする事になりました。 八重が勝ったら結婚しない。 大山巌が勝ったら結婚。 八重が勝ちそうになりましたが、捨松が「大山様!」と応援したので、八重はわざと負けました。 負けて嬉しかったのは初めてだと、八重は自己満足しました(汗) 襄は、腕相撲の手の握り方を変えて、握手させました。 捨松の結婚話が会津と薩摩の和解になりました(^^;)
その前、大山は、捨松を後添えにほしいと毎日のように山川家を訪れて頑張りました。 でも、浩は薩摩は会津の敵だし、籠城戦で妻を亡くしているので、大山との縁談に断固反対。 艶も反対でした。 艶「何も親子ほど、年の離れた人のところに後妻に入る必要はありません!」 捨松「私は年の事は気にしませ・・・」 艶「山川家は代々、会津藩の家老の家柄だ。薩摩へ嫁げるわけねえべした!」
捨松は、家族に反対されて、迷いを捨て切れなくて、八重の腕相撲の時にようやく気付いたみたいでした(汗) でも、その前に大山と会った時に 大山「実は・・・何度かパーティーでお見かけしてかい、美しかおはんのこつが忘れられんこつ」とか、 大山「おはんは外国人などではありもはん。誇り高か会津ん女子でごわす。 おいが薩摩ん人間じゃっとが、気に障っとでごわんそ。じゃっどん・・・」 捨松「海外に出れば同じ日本人です」
これで、大山の事が好きになったように感じたのですが・・・ 会津の敵、兄嫁を殺した仇で家族皆の反対が大きく、八重が勝負するまで迷っていたようです(汗) それにしても、捨松、前回の最後、帰国した時、会津弁すら喋れなかったのに、今回は薩摩弁まで分かるとは(汗) Wikiによると、捨松は、大山の薩摩弁、分からなくて、英語で話したら、会話が弾んで理解が深まったそうです。 米国の親友・アリスに書いた捨松の手紙には、「たとえどんなに家族から反対されても、私は彼と結婚するつもりです」と記されているそうです。 交際を初めて、わずか3ヵ月で、捨松は大山との結婚を自分で決意したようです。 ヒロインの八重を無理に絡めるのは、「江」みたいで、ちょっと(^^;)
大山は、陸軍中将で偉いし、年は離れていても、外国かぶれで、捨松にはお似合いでしょう♪ 3人娘がいるのがちょっと気になりますが、金持ちなので、そんなに会わなくても済むかも?(^^;) とにかく、このドラマでは、捨松さんは八重のお陰で、無事、大山と結婚♪ 約1ヶ月後、できたばかりの鹿鳴館で、盛大に結婚披露宴を開きました。 捨松は大山と一緒に踊ったり、流暢な外国語や洗練された美しさなどで、「鹿鳴館の華」と称されるようになりました。
こちらの話は、ちょっと期待外れでしたが、襄と八重が、勝海舟(生瀬勝久)に同志社大学の設立の支援を頼んだ話は良かったです。 襄「人民が愚かなままの方が政府は国を操りやすい」 勝「そりゃ、同感だな」 襄「しかし、それでは・・・」 勝「だが、そりゃ、お伽話だ。田舎に行ってごらん。 小学校すら通えない子がそこら中にいる。 おまえさんが言う、その高等教育でこの日本を生まれ返らせるのにゃ、何年かかる?」 襄「200年・・・或いは300年かかるかもしれません。 しかし、今、始めなければならないのです」 勝「ハハハ・・・分かった。応援しようじゃないか。同志社大学の設立を。 10年とでもいい加減な事を言ったら、追い返すつもりだった。 すまない。新島さんの熱意を少し試して、無礼をした」 襄「いえ、ありがとうございます」 勝「ようよう、八重さん、あんた、男、見る目があるね」 八重「はい」と微笑む。
その後、宿泊先に帰ってきたら、捨松が来て、一緒に山川家に行ったら、大山がいて、前述の腕相撲対決になったのでした。
襄、今回、結構、体調が悪そうでした。 次回は、「襄の遺言」です。 サブタイトルといい、予告編を見た感じだと、襄、亡くなってしまうのかな?? それとも次々回? そして、時栄が浮気? 容保と義姉の照姫が抱き合っていたのも気になります♪(^^;)
【第43回あらすじ】 (Yahooテレビより) 襄(オダギリジョー)は八重(綾瀬はるか)と共に、同志社大学の設立を陳情するため東京の勝海舟(生瀬勝久)の元を訪ねた。そして、その帰りに山川家をめぐって起きた騒動を解決しようと試みる。騒動とは、元薩摩藩士の陸軍中将・大山(反町隆史)が、長期留学から帰国したばかりの山川家の末娘・捨松(水原希子)を嫁に欲しいと日参している珍事だった。長兄の浩(玉山鉄二)は少し前に、陸軍省人事局への栄転が決まっていたが、捨松を釣るための餌だったと激怒。しかし、次兄の健次郎(勝地涼)は捨松に、一度会って自分の目で見定めてはどうかと提案する。そこで捨松は大山から、パーティーで見掛け、美しさが忘れられなかったと言われる。怒りを抑え切れない浩と、迷いを捨て切れない捨松を見かねた八重は、一計を案じる。
【視聴率推移】 (視聴率は関東地区。ビデオリサーチ調べ) [第1回]21.4% [第2回]18.8% [第3回]18.1% [第4回]18.2% [第5回]18.1% [第6回]15.3% [第7回]17.5% [第8回]15.6% [第9回]15.1% [第10回]12.6% [第11回]14.3% [第12回]13.9% [第13回]14.3% [第14回]11.7% [第15回]14.2% [第16回]13.8% [第17回]13.7% [第18回]15.7% [第19回]15.0% [第20回]13.7% [第21回]14.1% [第22回]13.3% [第23回]15.0% [第24回]14.8% [第25回]12.9% [第26回]14.0% [第27回]12.9% [第28回]16.1% [第29回]14.5% [第30回]12.6% [第31回]15.4% [第32回]13.9% [第33回]15.9% [第34回]13.4% [第35回]14.2% [第36回]15.4% [第37回]15.0% [第38回]11.9% [第39回]13.3% [第40回]12.4% [第41回]12.4% [第42回]14.8% [第43回]11.5%
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>11.5%(関東)で、このドラマの最低視聴率でした
最低記録を更新してしまったようですね。 各所で話題になっていました。 日本シリーズがあったので、仕方ないでしょう…。 >襄、亡くなってしまうのかな?? あらすじを読む限りだと、亡くなるような感じですよね。 一気にオダギリさんが病気メイクになっていたので、 そろそろかな?と思っていた矢先の展開となりそうです。 http://plaza.rakuten.co.jp/brook0316/diary/201310270002/ (2013年10月29日 20時34分08秒)
ショコラさんの違和感、もしかすると視聴率の低迷は、捨松の結婚話と会津・薩摩の確執との接着剤に八重を用いたことにあります。まるで現代のようにお気軽に上京話を持ち出したのも違和感大ありでした。
大山は「もはや遺恨なし」と言ったものの、八重には大いにわだかまりのある中での、二回戦=腕相撲ですが、一応、八重らしいエピソードなので、笑いながら見ていました。手紙とは打って変わって、山川兄弟は揃って八重を応援していましたね。八重の強さは、もう少し大山にアピールしておくべきだったでしょう。 今週のステラ表紙は捨松役の水原さん、秋吉さんとの共演シーンでは悔しさと悲しさが込み上げてきて、感情がコントロールできずに涙が止まらなくなったそうです。すぐに次のシーン(浩の背中を見る)に移ったので、そこまで気づきませんでした。 捨松役では、名取裕子さんの姿が印象に残っています。EXのSPドラマと記憶していますが、「鹿鳴館の貴婦人」で踊りまくっていました。大河にするにはエピソード不足という感じはします。(汗) 冒頭に出てきた大隈重信の記念館は佐賀市で見ました。春には中津市で福沢諭吉の記念館に行っているので、早慶を制覇しました。(笑)なお、私は官立の大学を出ています。(汗)東京専門学校(当時の早稲田は南豊島郡!)の校舎前での記念写真もありましたが、学生の数は同志社より断然多かったですね。 (2013年10月29日 20時51分32秒)
鹿鳴館であれば 浪漫要素を 加え
八重さんが 慟哭 どうこくして 泣き叫ぶ 鉄砲のくだりも 迫力を メリハリ テンポがないと ストーリーは 臨場感が 感じられないと 思います 手前味噌な コメントゆえ 一笑に 附してくださいませ それでは わたくしは 消えますゆえ!!! (2013年10月29日 22時27分19秒)
いつもありがとうございます。
今日の我が家のレシピ 芝エビのチリマヨ♪ 芝エビのぷりぷりサラダ♪ 注)芝エビは本物を使用! 感謝ありがとうエール送ります! (2013年10月29日 23時49分50秒)
朝から強い日差しが差し込んでいます。
「晩秋の 銀杏並木は なほ青し」 晩秋というのに、銀杏並木の葉は生き生きと青色を保っています。今年は暑かった証拠でしょうか。 ご挨拶の一句。・・・龍 応援p (2013年10月30日 10時07分47秒)
BROOKさん
>>11.5%(関東)で、このドラマの最低視聴率でした > >最低記録を更新してしまったようですね。 >各所で話題になっていました。 >日本シリーズがあったので、仕方ないでしょう…。 はい。 きっと日本シリーズがあったせいでしょう(^^;) こちらは何度も再放送しますし♪ >>襄、亡くなってしまうのかな?? > >あらすじを読む限りだと、亡くなるような感じですよね。 >一気にオダギリさんが病気メイクになっていたので、 >そろそろかな?と思っていた矢先の展開となりそうです。 亡くなりますか? サブタイトル、思わせぶりで次回に引っ張る事が多いので、最後に倒れて、死はその次の回かな?と思います(^^;) 襄が資金集めに欧州を回る旅に出るのは、明治17年(1884年)で、亡くなるのは、1890年で、6年後です。 まだ欧州の旅にも出てないし、その時、旅先で心臓発作を起こして倒れ、2通の遺書を記したそうです。 この辺が次回、描かれるのではないかと思います。 でも、その後、帰国し、 明治19年(1886年)には京都看病婦学校(同志社病院)を作っています。 明治22年(1889年)11月28日、同志社設立運動中に心臓疾患を悪化させて群馬県の前橋で倒れ、神奈川県大磯の旅館・百足屋で静養。 北里柴三郎の従妹であり、のちの京都大学病院初代看護婦長を務めた不破ユウ(北里ユウ)の渾身の看護を受けるが、回復せず、翌明治23年(1890年)1月23日午後2時20分、徳富蘇峰、小崎弘道らに10か条の遺言を託して死去するそうです。(Wikiより) だから、襄の死は、次々回ではないかと予想します。 それとも、この6年以上を一気に1回で描くかな?(^^;) > http://plaza.rakuten.co.jp/brook0316/diary/201310270002/ レビューリンク、ありがとうございます。 (2013年10月30日 10時41分35秒)
三連星さん
>ショコラさんの違和感、もしかすると視聴率の低迷は、捨松の結婚話と会津・薩摩の確執との接着剤に八重を用いたことにあります。まるで現代のようにお気軽に上京話を持ち出したのも違和感大ありでした。 ほんと安易に上京話が出ましたね。 襄の体調も悪いし、当時、東京へ行くのは大変でしょう(汗) それもYahooのあらすじには、「同志社大学の設立を陳情するため、東京の勝海舟の元を訪ねて、その帰りに山川家をめぐって起きた騒動を解決しようと試みる」 と書いてあり、ついでに山川家に行ったみたいに思えますが、ドラマではこの逆で、最初に、山川家の捨松に会いに行こうと思ったのが最初で、その上京の理由づけに、勝に同志社大学の設立の応援を頼むという事で(汗) >大山は「もはや遺恨なし」と言ったものの、八重には大いにわだかまりのある中での、二回戦=腕相撲ですが、一応、八重らしいエピソードなので、笑いながら見ていました。手紙とは打って変わって、山川兄弟は揃って八重を応援していましたね。八重の強さは、もう少し大山にアピールしておくべきだったでしょう。 八重ファンには、腕相撲はいいエピソードだったでしょう(苦笑) 勝ちそうになって、わざと負けるところが。 そしてそれを握手に変えるというところが、感動された方も多いようです(^^) 私は、背筋がムズムズしましたが(^^;) >今週のステラ表紙は捨松役の水原さん、秋吉さんとの共演シーンでは悔しさと悲しさが込み上げてきて、感情がコントロールできずに涙が止まらなくなったそうです。すぐに次のシーン(浩の背中を見る)に移ったので、そこまで気づきませんでした。 私は、なぜ捨松が泣いているのかな?とちょっと不思議でした(汗) だったら、「結婚します」と言えばいいのにと(^^;) >捨松役では、名取裕子さんの姿が印象に残っています。EXのSPドラマと記憶していますが、「鹿鳴館の貴婦人」で踊りまくっていました。大河にするにはエピソード不足という感じはします。(汗) そのドラマでは、「鹿鳴館の華」という面しか描かれなかったのではないでしょうか? スペシャルでは短いので(汗) 冒頭に追加しましたが、捨松さんは他にもいろいろ貢献しています。 当時、日本に看護婦がいなかったので、寄付を募って、日本初の看護婦学校を作ったり、ボランティア活動の先駆けになったり、留学仲間の津田梅子が女子英学塾(後の津田塾大学)を設立、維持するのを、最初から最後まで、ずっと支援し続けたりして、女子教育の発展に貢献しました。 それに八重さんとは違って、留学仲間の3人とアリスという堅い絆の友人がいたのも魅力です♪ 八重さんはエピソードが少なくて、今回の大河3分の1位しか八重さんが登場していないような気がします(汗) 八重さんよりは、捨松さんの方がエピソードが多そうな気がします。 捨松(さき)は、籠城戦の時は、数えで8歳で、「焼玉押さえ」も手伝って大怪我をしたそうです。 大蔵(浩)の妻が重傷を負って落命した時もそばにいたそうで・・・ その時の官軍の砲兵隊長の大山巌と後に結婚するわけで。 開城後は、家族で斗南藩に行きますが、飢えと寒さなど過酷な生活で、末娘のさき(捨松)を海を隔てた函館の沢辺琢磨のもとに里子に出し、その紹介でフランス人の家庭に引き取ってもらいました。 その後、兄・健次郎が留学する事になったので、捨松も官費留学生に応募。女子の応募者が少なく5人全員合格。 でも大人の女性2人はすぐに根を上げて帰国。 子供だった3人が残り、10年の留学生活を送り、帰国後も生涯の友となりました。 朝ドラにしても、とても魅力的だと思います(^^) (2013年10月30日 13時27分59秒)
ヨッコ美魔女43さん
はじめまして♪ ようこそ♪(^^) >鹿鳴館であれば 浪漫要素を 加え 確かに、鹿鳴館というと、浪漫要素が欲しいですね(^^) >八重さんが 慟哭 どうこくして 泣き叫ぶ 八重さんは、踊れないでしょうし、綾瀬さんと違って、本物は美人でもないでしょうから、鹿鳴館には向かないでしょう(汗) 鹿鳴館より射撃場の方が好きでしょう(^^;) >鉄砲のくだりも 迫力を メリハリ テンポがないと ストーリーは >臨場感が 感じられないと 思います そうですね(^^) > 手前味噌な コメントゆえ 一笑に 附してくださいませ それでは >わたくしは 消えますゆえ!!! ヨッコ美魔女43さんの独特の雰囲気、面白いですね♪ ブログに伺いましたが、コメント欄がないようで(^^;) これからもよろしくお願いします♪(^^) (2013年10月30日 13時37分33秒)
mgs0439さん
>八重の桜、長い間みてないですがここで内容が理解できます。 >入力才能に長けているのが羨ましいです[^_-]☆キラリーンClick☆ クリック、ありがとうございます。 褒めていただいて、恐縮です。 自己評価だと、最近、逆に、どんどん下手になっているようで、書くスピードも遅いし、困ったものです(汗) (2013年10月30日 13時40分28秒)
sin3769さん
>いつもありがとうございます。 >今日の我が家のレシピ >芝エビのチリマヨ♪ >芝エビのぷりぷりサラダ♪ >注)芝エビは本物を使用! >感謝ありがとうエール送ります! エール、いつもありがとうございます。 芝エビ、本物を使用ですか(笑) 私はこの報道があるまで、芝エビって知らなかったです(^^;) レッドキャビアも知りませんでした(^^;) 例のホテルの偽装の件「レッドキャビア」はマスの卵なので、「ゴールデンキャビア」とメニューに書いておけば良かったかも? これなら「とびこ」の事で、間違いではないし、高級品っぽく感じるので(笑) (2013年10月30日 13時45分16秒)
龍5777さん
>朝から強い日差しが差し込んでいます。 >「晩秋の 銀杏並木は なほ青し」 >晩秋というのに、銀杏並木の葉は生き生きと青色を保っています。今年は暑かった証拠でしょうか。 >ご挨拶の一句。・・・龍 応援p ----- 応援P,ありがとうございます。 銀杏並木、いいですね(^^) (2013年10月30日 13時51分14秒) |