カテゴリ:ヒーリング
おとつい サウンドレゾナンスのコンサルテーションをしていただいた方と隣の市にある 宝慶寺という曹洞宗の禅寺さんにおじゃました。
そのとき頂いたおたよりに 「たとえ年若い修行僧であっても、佛の道にいそしむならば、苦もを離れた月のように、この世を照らす」〈法句経三八二) (意訳)道場での年若い雲水達は、その内に迷いや悩みを持ち合わせながらひたむきに修行する姿は、人々の心を洗い清めていく。 と書いてあった。この禅寺の修行は北陸の雪深い中裸足にわらじをはき托鉢をしたり一畳の中で自分の生活をしていったり私にはとうてい想像もできない修行だと思う。 座禅を組んでいくと 自分の奥底から喜びがわき上がる と堂長さんがおっしゃいました。また、「若い僧が座禅を組みそのなかに喜びを見付けると、他の人より偉くなった気持ちになってしまう。だれしも感じるのだが、そこがいわゆる落とし穴のようなもので・・・(自分だけが悟ったような気持ちになり人の上煮立ったかのような錯覚に落ちるということでしょうか?)だから自分が使えていく方の全てを受け入れて丸まるの人としてのその方を敬うことが大事になってくる」というようなお話をhしてくださった。言葉では書き表すことができないのだが、座禅を組み悟りを開いていくその場にもあったのか!と思った。 ヒーリングをする方達やヒーラーの学校などで 「このクラスに来るとほっとするわ~。どうして普通の人ってなんにも解らないのかしら?全然だめよねぇ~あんなんじゃ」というような言葉を山ほど聞いた時期があった。それって?サイキックエゴ とか ヒーラーエゴとかいうこと? 私はあなたとは違ってこんなに素晴らしくてこんなに上なのよ。 っていう。 見えない世界の流れを歩んでいるとこういう場面に多々会うし私も気をつけていないとその罠にはまると思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 2, 2005 01:52:14 PM
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