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めがにうら日記

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2008年05月20日
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カテゴリ:日々のこと
どうも

いわずとしれためがにうらです。( ´ー`)


おもむろに網戸でけんすいをする彦。上半身が逆三角形になってます(ムキムキ!?)。
4
4 posted by (C)めがにうら


千葉在住の自称「猫使い(※どんな猫でも懐かせることができる能力の持ち主)」の妹(三女)の協力も得て、
今回、無事に引っ越しを終えることができました(^▽^)きらきら

ちなみに妹の猫使いの腕前はなかなかのもので、他者にあまり懐かない彦を手玉にとり、
さらにはみつはに「ジャンピング・スリ(※ジャンプしながらスリスリする跳び技。めがにうらにしかしない)」を2日間で自らにさせるという離れ業をやってのけました。


新居で
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2 posted by (C)めがにうら


おかげさまで凶暴な猫どもを任せて、買い物をしたり、用足しを済ませたりととても助かったのでした
(*^_^*)


甘咬みは忘却の彼方
1
1 posted by (C)めがにうら


結局、彼女は、ゴールデンウィーク残り3日をうちですべて過ごし、
猫たちに鳴く鳴く惜しまれながら千葉に戻ったのでした…。


「そのせつはありがとう○○美(妹の名前)よ」
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5 posted by (C)めがにうら



さて、ここまでは順調だったのですが

人生うまくいかないものでここから修羅場がはじまりました。
(ちなみに修羅場が落ち着いたので、ようやくブログを再開した所存です。)


まず引っ越し数日前からの睡眠不足が祟ってか、
妹が帰った翌日、珍しく風邪をひき、数年ぶりに高熱を出してぶっ倒れ、荷を解く間もなく寝込んでしまいました。

具合が悪すぎて立ち上がることができない状況に愕然とし (゜ロ゜)!!

声が出なくなるという状況に仰天し (゜ロ゜;)!!

さらに引っ越したばかりで、家に食料が妹と酒盛りした際のビールと引っ越し手伝いをしてくれた彼が土産に持ってきたまんじゅうしかないことにまた愕然としたのでした。( ̄ロ ̄;)


自分は風邪はひかないのだと思っているので風邪薬はないし、

猫は構わず暴れ回り、みつはは引っ越したばかりの壁で爪はとごうとするし、
彦はまた私も開けていないシンク下を自在に開けて配線等を咬みちぎろうとするし、

病に拍車がかかるのでした。\( ̄ロ ̄;)ああああ


7日は何も食べれず、衰弱死を恐れた私は8日はまんじゅうで食いつなぎ、夕方にはなんとかフラフラしながら近くの薬局で薬を買ってきました。

こんな苦しい中でも、猫の世話はそれなりにしていたのが我ながらよくやったというべきか…


とにかく、体力がなくひ弱なくせに、免疫力だけは異常に高く風邪だけはひかない人間が、たまに風邪をひくとろくに対処もわからず苦労するものだなあと切に思ったものでした。(-_-;)


ゴマアザラシ顔
3
3 posted by (C)めがにうら


話はこれに終わらず、ここからが本当に大変だったのですが、

風邪薬をようやく手に入れ、その恩恵に浴し、昏々と眠っていたその深夜、
突然、父から電話があり、母方の祖母がさっき亡くなったという知らせが入りました。

私は頭が働かなかったうえに、そのことがとても現実とは思えず、父に「風邪ひいてつらいからまたあとで電話するよ」などと的外れのことを言いながら、ろくに会話もせずに電話を切ったのでした。

おそらく、その意味をその時、理解できていなかったのだと思います。
おばあちゃんが亡くなるなんて、私の中でまるで有り得ないことだったのです。
いや、おばあちゃんはもう87歳で入院暮らしだったので、いつその事態が訪れても実はおかしくなかったのかもしれませんが、私の中ではありえない事でした。

私は父方の祖父母と実家では同居しており、母方の祖母にとっては外孫なのですが、家は近く、小さい頃は何かと遊びに行ったものでした。
私には、その時の、元気なおばあちゃんの顔しか思い出せないのです。その姿こそ現実です。

実を言えば、お葬式が終わった今でも実感はありません。


実家の方もバタバタしているらしく、父は「また後で電話する」とすぐに切ったのですが、私はその時、たいそう朦朧としていて、そのまま眠りについたのでした。

そして、翌日、前日の出来事を反芻し、
いまいち実感のわかないままお葬式の前日になり、新潟に帰ったのでした。

東海道線でめまいと頭痛がピークになり、倒れこむように新幹線に乗ったのを覚えています。
長岡駅で新幹線を降りると、妹(次女)が迎えに来てくれて、車でまず実家に帰りました。

妹は、お腹に第二子を宿していて、しかももうすぐ二歳になる甥も同乗していて、風邪がうつらなきゃいいなぁとばかり考えていました。

その日の夜(葬式の前日の夜)は、おばあちゃんのうちに親戚が集まってお食事会のようなものをしました。

それは全然悲壮な感じではなく、ちょっとした宴会のようで、
みんな近状を話し合ったり、よく笑い、食べ、飲んでいました。

おばあちゃんは享年87歳で亡くなったので、天寿を全うしたことになるのでしょう。
長い人生を立派に生き抜き、その生を閉じたということは、悲しむことでなく、祝うことなのだと実感しました。

おばあちゃんは常々「お葬式には子供・孫一同参加してほしい」と言っていたらしく、その願いは叶い、みんなで送り出してあげることができました。
私のように親戚のほとんどが各地に散っている中、みんな集まることができてほんとうによかったです。おばあちゃん、喜んでくれているだろうか・・・・・・

おばあちゃんのおさめられている棺に、菊の花を入れ、その際におばあちゃんの顔を見ましたが、
入院生活にもかかわらず、痩せてもおらず、きれいなお顔をしておりました。

けれど、死に化粧というのでしょうか。
おばあちゃんは蝋のように白くて、おばあちゃんに似せたなにかにようにしか思えず、
亡くなったおばあちゃんのその姿を見たにもかかわらず、それがさらに実感のなさに拍車をかけるのでした。

棺を閉める際、普段、淡々とし飄然な印象のある伯母さん(お母さんのお姉さん)が弱々しく声をあげて泣いているのを見て

私も、何年か後には、自分の親をちゃんと送り出さねばならないんだという実感が落雷のように我が身を貫き、愕然としました。

おばあちゃんが死んでしまったという実感がないのに、そんな覚悟ばかり実感してしまい、締めつけられるように悲しくなりました。

でもその悲しみは、まだ起こってもいない「いつか親を看取らねばならない」という悲しみであり、
おばあちゃんの死に対する悲しみではないのです。

とてつもない喪失感に襲われてもいいはずなのに、私は何も実感がつかめず、悲しめないのでした。

だからお経の最中や納棺の際は、ずっと感謝の気持ちと、「おばあちゃんが安らかにありますように」と祈り続けていました。

死して魂や意識がどうなるのかは全くわかりませんが、自分の祈りがおばあちゃんにとって為になるものであれと願うばかりです。





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最終更新日  2008年05月20日 22時39分10秒
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