奮闘する「大器晩成」日記

2012/09/05(水)11:06

「脅迫」を連発する政治「政権末期の断末魔か?」

政治「物申す!」(216)

 YAHOO天気の予報では今日の我が上尾の最高気温は33℃となっているが、隣り×5の埼玉県熊谷では36℃の予報だ。今朝のNHKは熊谷37℃と言っていた。市境を一つ越える毎に気温が1℃下がるとは思えないが、9月も5日なのにこの暑さ…。ツラいね。くれぐれも健康にはご留意のほどを。  さてさて。  政権は末期になると「国民を脅す」という症状が現れるようだ。  自民党の末期政権の「麻生」当時の首相も「民主党に任せたらこの国はとんでもないことになってしまう!」と街頭演説で絶叫していた記憶がある。  「麻生」氏はもしかしたら今日の民主党政治を見て「ほれ見ろ。言わんこっちゃない」と思っているかもしれないが、そして結果的には脅しではなかった、と思っているかもしれないが、そのことよりも崖っぷちとなると「脅し」に入るという政治家の性に何とも哀れを感じた。  「麻生」氏の「脅し」は、とはいえその程度、だった。  ところがところが、民主党野田政権はちょっと救いのない脅しを始めた。  例えば、原発再稼働の問題。  この夏は全国的に相当な「猛暑」だ。にもかかわらず特に電気が足りないという報道も政府の発表もなかった。つまり原発を動かさなくても電気は足りた。  特に関西電力は、大飯原発を動かさないと電気が足りなくなると脅した。そして大飯原発の再稼働を強行したが、今日現在、動かさなくても電気は足りていたという結果となった。  私は、橋下大阪市長のことは「懐疑的」に見ているひとりだが、この大飯原発再稼働への怒りだけは同感できる。  今年の春ごろには再稼働しなくても電力は賄えると試算していたシンクタンクは少なからずやあった。どんな根拠で政府と関電は足りなくなると主張したのか。  このブログの今年6月9日のエントリーでも書いているが、脅して脅して脅したのだけれど結果は要するにそれなりの余裕をもって「足りた」のだ。  こういう政治手法がまかり通ると、国民の冷静さを奪い思考停止の「迎合」の雰囲気だけが醸成される。「恐れがある」というだけでそれ大変だ、となったならとんでもない軍備をしなければ安心しておちおち眠れないということにもなってくる。  政府や霞が関は、国民が知りえない、国民に知らせない数多くの情報を握っているのだから、使い方ひとつであからさまに極端な方向へと引っ張ることもできる。  いま私たちに必要なことは「冷静さ」を保つこと、に尽きる。  この夏は「再稼働」しなくても乗り切れたではないか、という主張がメディアに載るのと同タイミングで、政府はこのまま再稼働しないと電気料金は現在の最大2倍まで上がると言い始めた。そしてそうなると、製造業などで経営が立ち行かなくなるところも出てくるともいう。  これもまたおかしな話だ。  今現在の原発に掛かる費用はすべて電力会社が賄っているとでもいうのだろうか。  当然、あたりまえだが、そんなことはない。国の予算からも支出されている。これらの費用は他に振り向けられずに原発問題に使われているのだ。その額は世帯当たりいったいどのくらいになるのか。  例えば、我が日本は資源が乏しく、ウランも例外ではないということでこれまで研究を続けてきた核燃料再処理とプルサーマル発電は実用化に至っていないが、これまで10兆円もの巨費が投じられてきた。すべて国民の負担だ。  今回の原発事故だって結局税金が投入され、東電は事実上の国営会社になっている。  もう一度書くが、要するにすでに国民は直接的な電気料金だけでなく、税金からの支出という形ですでに、電気料金以上の負担をしているのだ。  こんな単純なことを、しかし政府は何とか国民の目をごまかして危機を煽って、進めようとしているのだ。  しかも、前述の6月9日のエントリーの後段でも触れているように、「脱ポピュリズム」なる言葉で、自分たちに都合の悪い国民世論は「無視」することをはっきり言っている。  私が卒業した高等学校の恩師の言葉が心に蘇る。卒業の時に私たちに贈ってくれた言葉だ。その先生は残念ながらもうとうに鬼籍入りしてしまったが。  「いつも驚きながら生きてください。玄人が素人の意見に耳を傾けなくなったら玄人の進歩はない」

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