奮闘する「大器晩成」日記

2012/11/22(木)20:28

政治の「役割」と「仕組み」の本質

政治「物申す!」(216)

 いや~びっくりびっくり…。  党首討論での意表を突く「解散表明」と言い、与党から離党者続出というこれもまた前代未聞の出来事が続き、そして鳩山元首相の不出馬というこれもまた私にはちょっと想像できなかった出来事だ。  まっ、「新党さきがけ」から「民主党」結党当時のことを思い出してみれば、当時さきがけ代表だった武村正義氏を鳩山由紀夫氏は「排除の論理」で合流させなかったことがあった。  今回の出来事も基本的には「排除の論理」と同根だ。ただあの時ほど露骨ではないという違いがあるだけだ。  要するに「自分に返ってくる」という教訓だ。  さてさて…。  我が家は代々木の機関誌以上にある意味辛辣な主張をする「東京新聞」を購読しているが、今朝の朝刊には、「対立あおる政治脱却を」という見出しが躍っていた。  現下の国会を見ていると確かにその通りだ。予算案が通過したのに歳入の半分を担う「赤字国債」発行法案がつい先日まで成立せず、政府は予算の執行抑制、大きく話題になったのは「交付税の支払い延期」だったが、ごたごたのとばっちりをある意味関係のない地方自治体が被った。  こういうことを見ていれば政治の「役割」とはなんなのかという観点から「対立あおる政治脱却を」と言いたくなるのも無理からぬことと思う。  紙面にもあったが、尖閣や竹島などの「領土問題」はそれぞれ自らに理があるという主張なのだから、過激な発言や具体的な実力行使は対立を深めるばかりで「不毛」の最たるものだし、結果的に軍事力増強や核武装だのという知性のかけらもない政治家の発言ばかりがエスカレートする。  武力行使は、国会議員同士がなぐり合うだけにしてほしい。戦争の悲劇はそれを行うと決める人は常に安全に守られていて、命をさらすのは常に「決める」役割を担わない人々だということ。少なくとも現代社会のおいて我が「法治国家」日本では、内閣総理大臣だろうが天皇だろうが国民個々と命の重さに違いはない。  話を戻そう。  だが、政治の「仕組み」という観点から考えると、政党間の対立によって法案が成立しないことはあり得ることで、本来は想定されているはずだし、想定されていなければならないものだ。  そもそも今の政治の仕組みは、常に「多数決」で物事を決めることになっている。  多数決とはある一つの案に対して「賛成」か「反対」かを表明するもので、「この案の方がいい」とか「ここを直そう」というものは、多数決に至るまでの議論で原案に反映されなければ採決のテーブルには乗らない。  昔、学級会であったなぁと思うが、賛成の人、反対の人、その他の人みたいな採決は少なくとも国、地方を問わず議会の場ではありえない。  政治は第3極の出現などで複雑化しているように見えるが、仕組みの本質はこの「賛成」か「反対」かの2択に過ぎない。  この本質を理解せずに、対立が愚かだみたいな論調は、むしろ恒常的な密室談合、その果ての議会無用論といった「危険」につながるものではなかろうか。  この対立激化の結果、政治にはスピード感がない、という批判も起こると思うが、そもそも代議制民主主義はある程度の時間を費やすものだと理解するべきだ。  最も時間のかからない政治システムは「独裁」だ。  広く議論をする、手順を踏んで決めてゆく、といった「時間のかかる」手続きを排除すれば、確かに時間はかからないが、国民は結果だけを伝えられることになり、異論を唱える余地が奪われていく。  当時もっとも民主的で先進的な憲法だと言われたドイツの「ワイマール憲法」の下でヒットラーが出現し、権力を合法的に掌握した歴史の事実を忘れてはならない。  その意味で、昨今の政治家たちの発言を聞けば、特に橋下大阪市長や安倍晋三氏の発言では多いように感じるが、「スピード感を持って」とか「迅速な決定が」みたいな発言がたいへんに多い。つまり究極的には「独裁者」になりたいという気持ちの表れなのだろう。  この「仕組み」を理解しないと「決められない政治」「スピード感のない政治」はダメ、というプロパガンダに安易に納得し、「国会議員も身を切るのだ」と言いながら定数削減にすり替えられた主張になんとなくそうかなという気持ちになってしまう。  今回の総選挙の争点は消費増税の実施やTPP、震災復興、景気浮揚、社会保障政策と考えれば具体的にいろいろと思い浮かぶのだが、私はもっと基本的なこととして、強権的で権力志向、国民の管理を強化したいと思う政党や政治家なのか、より権力を抑制的にして純粋に国民の代表として国民の生活の安定を重視する政党や政治家なのかを重要に考えたいと思うのだ。

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