425 「僕の昭和」「僕の田舎徳島」1
tankuroです、こんにちは。
◆◆ 昭和31年に徳島県で生まれて、父親の仕事で大阪に
住んでいました。
小学校に上がると夏休みには、父の実家で約1ヶ月過ごし
ました。
祖父と祖母が住んでいて、学習をしない日焼けの痛みで
楽しい日々が始まりました。
そんな田舎を記憶を辿ってみたいと思います。
今は誰もいない思い出だけが残る田舎です。◆◆
◆◆ 山間に1級河川の吉野川が流れ、平行に国道が走り
村々が散在しています。
徳島でも徳島本線のドン付きあたりの本当に田舎です。
藁葺き屋根にトタンを張る1軒屋は国道添えにあり、
脇道から裏庭に出て玄関があります。◆◆
◆◆ 玄関を入ると広い土間があります。
炊事はその土間の竈門で祖母が作ってくれます。
土釜でパチパチ音を立ててたくご飯は、おこげが内釜に
張り付いて大好物です。◆◆
◆◆ その土間から座敷に上がります。
10畳間が二つ横並びにあります。
小さい頃藁葺き屋根の吹き抜けの天井が怖いと私が言った
そうです。
翌年には低い普通の天井が張り付いていました。
その一つの部屋には皆んなでごろ寝をする為に蚊帳が
つられていて、裾を掬って素早く入らなければいけ
ません。
その近くには缶々の蓋にブリキの専用台に挟み込まれた
蚊取り線香が渦を巻いて煙を立ち上っています。◆◆
◆◆ 大きな真空管の家具調のラジオが部屋の片隅にあり
ます。
その反対側には白黒テレビがありますが、NHKと民放
1局しか映りません。
娯楽は本格的な厚みある将棋盤で祖父とする挟み将棋
です。
私が高学年になって本将棋を覚え、祖父に挑みましたが
ガンとして対戦をしてくれません。
なんでヨゥ、、と疑問符の私に祖母が「おじいさんは
字が読めないのよ」と耳打ちしてくれます。◆◆
◆◆ 中庭に面した部屋には縁側が奥に伸びています。
その縁側で足をぶらぶらさせて夕立で激しく打つ雨が
弾けるの樣をぼうと眺めるのが幸せの時です。
その縁側は奥に向かって伸び、左にガクと曲がって
汲み取り式の便所とその奥に五右衛門風呂が続きます。
便所は1m下に排泄物が水に沈み拭き上げた新聞紙だけが
浮かんでいます。◆◆
「ありがとうございました」
次回に田舎の思い出は続きます。