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カテゴリ:夏休みの旅行
ダッカまでの航空券を買うときに、旅行会社から外務省が出している海外安全情報のコピーを渡され、注意をするように念を押されました。 それで、出発前に、危険な目に会わないための対策などを聞きました。 怖いのは誘拐で、使用人には日程、予定を知らせないことが大事である事を知りました。 使用人は悪くなくても、使用人が家族を拉致されて、日本人を誘導したり、予定をしゃべらないと家族を殺すと脅されている場合があるそうです。 3日目には少し田舎も見てみたいと思い、ダッカ市内から1時間余りのところに、バングラデシュ独立の記念のモニュメントがあるので。 そこに行ってみようという事になりました。 朝、地図を探しましたが、昨日まで車の中などで使っていた地図が見当たりません。 しかしドライバーが場所を知っている、との事でしたので、地図がないまま出発しました。 車窓からの景色 ダッカ市内を出ると、すぐに大型トラックがたくさん通行しているのが見られました。また道路の両側は海のようで、工場の屋根と煙突だけが水面から出て、ほとんどのものが水没している状態でした。 これは大変な国だなあと思いました。
途中、停まって、日本の援助でこの道路を高くして、今まで雨季には道路も水をかぶっていたが、今年は通行できるようになり便利になった、という話をドライバーさんがしてくれました。 日本の援助が役に立ち、とても嬉しい感じがしました。
白っぽいワイシャツを着ているのが ブロックで盛り土されているのを説明するドライバーさんです。 そして、1時間余りでモニュメントに到着しました。 モニュメントは30メートルくらいの高さのコンクリート造りで、幾何学的な形をしていました。 ここも撮影禁止でした。 周りは広い公園広場で、独立戦争で亡くなった方のお墓にもなっているようでした。 このモニュメントを裏からも見ようと、私達は公園の遊歩道を歩きました。 同行者は若いので前をサカサカ歩き、その後ろにわたしが、さらにその後ろをドライバーが歩きました。 しばらくすると後ろから話声が聞こえ、ドライバーが携帯電話で話をしているのがわかりました。 かなり長話で、遊歩道を歩いているだけなので、退屈だからでしょう、と思っていましたが、そのうちに後ろから聞こえてくる声が詰まるようになり、さらに涙声になって、ついには大泣きをしていました。 なぜ泣いているのか、などと聞くのも悪いような気がして、私は前を歩く二人には知らせましたが、知らない振りをして歩いていました。 小1時間も歩いたでしょうか。 出口の門に戻った時には、ドライバーも普通の表情になっており、 帰りましょう、という事になりました。 そして、車に乗り込んだのですが、何と車はダッカとは反対の方向に走り始めました。 私達は不安になり、 朝、地図が無くなっていた事、ドライバーが泣いていた事、ダッカと反対方向に走っている事、 等々で、まさかドライバーが悪者に脅され、それで泣いていたのではないか、それで、私達が拉致されるのではないか、と、本当にドキドキとした時間を過ごしました。 あと1日ちゃんと勤めればこのドライバーはボーナスをもらう事になっている事を私達は知っていたので、そんな前日に、こんな馬鹿なことをするはずないよね、などと話していました。 しばらく走ると車は右折、右折をして、もと来た道とは違う道でダッカ方向に向かって走り始めました。 私達は本当にホッとしました。 今から思うと、帰ろうという事になったときに 「sight どうたらこうたら・・・・」 と 言われたような気がしましたが、聞き取れず、気にもしませんでしたが、多分観光のために別の道で帰ると言われたのだと思います。 初めて会って3日くらいの異国の人を信用しろという方が無理があり、本当にドキドキしてしまいました。 ちなみに地図は後から個室に置き忘れているのを見つけました。 なぜ電話であんなに大泣きしていたかは謎ですが、このドライバーさんのおかけで、楽しい旅ができ、本当に感謝しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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