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ポルトガルの窓から日本が見える

2009.06.23
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カテゴリ:紀行文

ポルトガルの窓から日本が見える 

文:吉田千津子 写真:奥村森


Grandmother & cat おばあちゃんと猫
 

オブリガーダ アテ ブレーヴェ
11月1日18時15分のフライトは、16時20分からチェックインが始まる。禁煙座席をリクエストするのを忘れたので喫煙シートが来てしまった。変えて貰うのも面倒だ、それに搭乗出来ただけでも感謝しなければならない。
パリまでの飛行時間は2時間30分、隣にチェーンスモーカーが来ないことを祈ろう。夕方になるにつれ空港は混雑し始める。リスボア空港は搭乗者以外チェックイン・カウンターに入れないので、見送りに来た人はカウンター前で「さようなら」をしなければならない。
出入国管理局でパスポートにスタンプを貰ってからエスカレーターで階上の待合室へと向かう。待合室までの通路にはキャビア・ハウス、アルテザナート(工芸店)、アガーシュテルン(宝石店)、免税店、ヴィスタ・アレグレ(陶器店)、食品店が出店している。何処の空港でも同様だが、町中の値段よりもずっと高い。
椅子に座ってフライトを待っていると、騒がしく「キャーキャー」と走り回る日本人の子供がいる。親は、他の乗客に迷惑がかかっているのに注意する様子も見られない。人が嫌な顔をしていても知らんぷり、まったく呆れる。何処の空港でもこういう光景は見られるが、残念なことに子供を我儘放題にさせているのは、いつも東洋人である。
日本は先進国だと誇っているが、マナー教育においては最後進国といって良いだろう。搭乗手続きが始まり機内に入る、臨時便のせいで席は空いているようだ。喫煙座席も全席禁煙と表示されているので心配することもなさそうだ。
まもなく離陸、我が町のように歩きまわったリスボアの町が下界に広がる。高度を上げるにつれて荒涼とした風景も上空からは健康的な茶褐色の大地に見える。「ポルトガルの太陽と笑顔を忘れないでね」と語りかけているような気がする。
早く帰りたいとあれほど望んでいた私だったが、ポルトガルに後髪をひかれる思いだ。ポルトガルとはそういう情愛に満ちた国なのである。「ありがとうポルトガル、ありがとう明るく優しい友よ、オブリガーダ アテ ブレーヴェ」。
ポルトガル42日間の旅から長い歳月が流れた。その間、欧州連合の統一により、ポルトガル貨幣がエスクードからユーロになり、ポルトガルにも大きな変化が起きた。あの頃のポルトガルは、ファックス10枚送信する代金と3星ホテル一晩の宿泊費が同じだったことに驚かされた。確かに電化製品やハイテク機器はとても高価であったが、生活必需品の野菜、肉、魚介類などの食品は安価であった。
最近の日本の傾向は、ハイテクを駆使し便利になることが人間を幸せにするという考えが世間の常識となっている。果たして、日本人の目ざす方向は人間にとって幸せなことなのだろうか。ポルトガルは、日本に比べると物質的、経済的には貧しかったかもしれない。しかし、私たちがポルトガルで感じたのは、人々の心の温かさ、寛容さ、私が子供の頃に感じたよい意味でのお節介。今、日本の社会で失われてしまったものが、まだ沢山ポルトガルには残っていた。
ポルトガル42日間に同行した春子の事を、当時は自分勝手な人だと思っていたが、今世間を見渡すと同じような性格の人々が山ほどいる。春子は、その走りだったのではないだろうか。先日、2人の若い母親が道端にたたずみ携帯電話に夢中になっていた。地ベタに赤ん坊がいて母親の足にすがりつこうとしていたが、彼女は視線すらあわせずに携帯に見入っていた。乳母車を押して散歩する母親も手には携帯、忙しく指を動かしていた。
長い海外生活から日本に帰国した時は、スピードの早いハイテクだらけの東京に違和感を抱いていた。当時、私が「日本はおかしい」と話しても、あの奥村さんですら「日本はこうなのだから」と私を諭した。
この旅で出会ったポルトガルの人々は、この社会変化にどう向き合って暮しているのだろうか。昔のままなのだろうか。是非、もう一度ポルトガルを訪れ、彼らに再会したいと思っている。もし、彼らが昔のままだったら、今度こそ大声をだして「日本社会はおかしい、ポルトガルを見習うべきだ」と日本人に訴えたい。最後になりましたが「ポルトガルの窓から日本が見える」を読んで頂いた皆様、ありがとうございました。







Last updated  2016.12.26 21:41:34
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