取り敢えず
和太鼓・島唄チャリティーコンサートのチケットは その後三枚売れてマップ。。。(^人^)感謝♪で 以前 花粉症対策つぼ講座を掲載してくりた「ボランティア21世紀」の担当者に「ベトナム視覚障害児の夢と未来を支える会」の成り立ちやら経過報告やらコリからの先行きなど語るべく今井進先生に資料を頼んであった たらやんとしては ウィズ ユア ラブの記事と今井先生が書いたと思われる経過報告書と点字ジャーナルの記事を我がブログにアップし日本ベトナム視覚障害者交流協会と名乗っていた頃の「ベトナム訪問報告書 Vol.5」を持って来週辺り 読売新聞社阪神支局へ出向く予定だす。 長いけんど 以下に その資料転記 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆2003(H15),7月 国際ボランティア貯金第1回支援 日光首学校建築開始 教室1、実習室2、事務室1、準備室1、トイレ22004(H16),2月 佐々木氏ベトナム渡航2004(H16).6月 日光首学校開設 国際ボランティア貯金第2国支援2004(H16).9月 第1期生 15名 入学 → 2006(H18).6月 第1期生 8名 卒業 9月 日本ベトナム視覚陣害者サッカー交流会2005(H17).8月 第1回アジア視覚障害者サッカー選手権 参加国 日本・韓国・ベトナム 9月 第2期生 11名 入学 → 2007(H19).6月 第2期生 8名 卒業 国際ボランティア貯金支援3回2006(H18).6月 第1期生 8名 卒業2006(H18).9月 第3期生 15名 入学 国際ボランティア貯金第4回 マッサージセンター開設準備2007(H19).6月 第2期生 8名 卒業2007(H19).9月 第4期生 16名 入学2008(H20).2月 第3期、第4期生 前期授業修了 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆愛称は「日光盲学校」 点字ジャーナル2006年9月号の記事より転記 点字ジャーナル2006年9月10月11月号に、日光盲学校周辺のベトナム訪問記事が掲載されました。)前文省略 サイゴン中心部のホテルからタクシーで西北に30分ほど走ると、その上に有刺鉄線がトグロを巻く長大な白い塀が見えてきた。ベトナム戦争当時は米軍も駐屯していた広大な陸軍基地である。そのちょっと先に、目指す奇光(キークワン)寺はあった。 このお寺の本堂は数え方にもよるが、 6層の岩窟を模した建造物で、各階には極彩色に彩られた蓮のオブジェに飾られて、白く輝く大小あまたの仏像がピンクの台座に乗っていた。最上階から庭を見下ろすと、コンクリート造りの小山があり、そこには実物大の猪八戒が馬を引いており、その前を沙悟浄と三蔵法師が歩いていた。これはどこかにかならず孫悟空がいるはずと目をこらすと、山の頂上にて遥か行く手をうかがっていた。おそらく日本人の感覚では、いかにもキッチュな、仏教アミューズメントパークとでもいうようなお寺である。しかし、ちょっと考えると仏像や伽藍に芸術性や文化、わび・さびを感じてありがたがる方が、存外おかしいのであって、これが本来の仏教の姿かもしれない。そこには物知り顔に値踏みする姿はなく、一心不乱に仏像に叩頭し帰依する純粋な庶民の姿だけがあり、理屈抜きの仏教の始原的力強さを感じさせた。 一方、このようなきらびやかな本堂に対して、それに隣接する「庫裏」に相当するのであろう建物は、ベトナムの病院や学校とまったく同じ構造の地味なレンガ造りであったが、増築を重ねた大規模なものであった。それは寺院から学校や病院・リハビリ施設が独立する前の未分化な姿である。その一画に、寺の大僧正が「ニャックワン盲学校」という愛称を付けた2年制の「日越友好マッサージトレーニングスクール」があった。ここで佐々木さんが、事実上の校長として教えているのだ。 ニャックワンとは日光のことなので、以後は日光盲学校というが、同校は2階建てで、1階が寄宿舎と食堂、2階が職員室、教室、シャワーも備えた臨床室に、 2体の実物大の人体模型などを収めた倉庫などもあった。午前中が1年生、午後が2年生の授業ということで、もっとこぢんまりした「寺子屋」を想像していた。が、実際は、職員室とゆったりした臨床室にはエアコンも入っており、堂々としたものであった。 2004年9月に開校したこの日光盲学校は、今年の6月に第1期の卒業生8人を送り出した。そのうちの 1人は日本への留学を希望しており、そのための日本語を特訓中だが、後の7人は全員就職した。同校は 2年生の臨床実習として週 3回無料でマッサージ治療を行っており、毎回10~20人の患者が来校するという。「なぜ治療費を取らないのですか?」と聞くと、佐々木さんは、「本当のところは安くてもいいから取りたいのですが、慈悲を施すのがお寺なので、それができないんですよ」という。このお寺には、別にベトナム伝統医療の漢方診療所があり、貧しい人々に漢方薬を処方したり、伝統的な手技マッサージを施術したりしており、そこも無料だという。教育上あるいは運営上の合理性の前に教義上の理念が優先するのは、寺院と施設が未分化なのだから致し方ないところである。 話が複雑になるが、 このお寺にはキークワン・ハイ盲学校という入所施設がある。とはいっても、入所者150名余りのうち視覚障害者は30人にしか過ぎない。本来は視覚障害児のための施設であつたのだが、行き場のない障害児も入所させたためこうなったのである。なかには、おそらく枯れ葉剤の影響なのだろう、極端に足が奇形した重度障害の子どももおり、30年前に終結したはずのベトナム戦争が未だに尾を引いているのがうかがえショックである。 ベトナムの人日は日本より少ない約8,206万人であるが、障害者数は極端に多く、一説によると全土の心身障害者数は人口の 7%の約574万人におよび、そのうちの20.2%にあたる126万人が視覚障害者であるともいわれている。 この寺では、重度の障害児を多数の職員やボランティアが、とても自然に世話していたが、これはセンチメンタルなヒューマニズムとは無関係な大変な事業である。社会の苦を解決するためのひたむきで強靭な宗教的エネルギーに圧倒され、私は古いテレビニュースを想い出し、戦慄した。ベトナム戦争に反対して次々と焼身供養(自殺)を行うベトナム仏教僧の凄惨なニュースであるが、民衆に寄り添う深い慈悲は、軽々とヒューマニズムを越えるものなのかも知れないのである。 キークワン寺には 5kmほど離れた郊外の広大な敷地に職業訓練センターを開設しており、ここでは、視覚障害を持つ青年を中心に肢体障害者なども協力して、ランなどの花井栽培や民芸品作りなどを行っていた。お寺側の意向としては、敷地の広いこちらに日光盲学校を開設したかったようなのだが、人家の少ない地ではいくら無料とはいえ、患者を集めることができず、臨床ができないので断念したという。このため日光盲学校の学生はここに寄宿し、学校へはお寺のバスで通学していた。 サイゴン河に面して風の良くとおる広々とした木造2階建ての寄宿舎を訪れると、夏休みでも親元に帰らない、あるいは帰れない教え子が佐々木先生の声を聞いて笑顔で集まってきた。そして、ブラインドサッカー談義にひときわ大きな歓声がわき起こったのであった。(福山博)