夕張川とにんげん
夕張川とにんげん馬追橋を渡るたびに、夕張川の水の色を不思議に思う。大雨の後でもないのにいつも黄土色のにごりを帯び、それでいて水面はつややかに光を映しゆったりと流れている。年中ほとんどその色が変わらないのが不思議であり、同時に、他の澄んだ流れに比べどこか悠然とした趣があるのも不思議な気がする。母なる川と呼ぶのには、案外ふさわしい色といえるのかもしれない。 夕張川は夕張岳の南斜面に源を発し、夕張山系と空知山地とを縫って南に流れ方向を変えながら角田盆地に入っている。ところで、夕張の語源は、・ 「ユーパラ」 (「ユyu」(温泉)+「パラpar」(口))、・ 「イパロ」 (それの口~かつて文化の中心地であった千歳へ往来する東の口)、・ 「ユーバリ」 (硫黄臭がある~大雨の時、硫黄が荷より白く濁ったことにちなむ)などの諸説があります。 川の色をつくっているのはこの上流から流されてくる細かい砂や泥であるといわれる。また、上流にダムが築造されてからは、そこに沈殿した粘土や砂が、水の放出とともに一気に流れ出すことも川を黄土色にする一因と考えられている。「夕張川流域会議」と云う江別河川事務所が事務局を担当する会があり、ホームページでその活動が紹介されています。関連した情報を再掲させていただきますと<水質に関して>・大雨の時に夕張川の水が濁るのは、シルト分が多い上流部の地質に起因するというこ とを改めて自覚した。 ・夕張川の水質は、データとして悪くないが、岩盤が風化したものが水に溶けだし シルト系となり魚に悪さをしていると思われる。 注記: シルト(silt)とは、砂より小さく粘土より粗い砕屑物のこと。 地質学では、泥(粒径が1/16mm以下のもの)の中で、粘土(粒径が1/256mm以下)より 粒が大きく粗いもの(粒径1/16mm~1/256mm)をシルトと呼ぶ。 シルトが続成作用によって堆積岩になったものをシルト岩(siltstone)という。・多良津橋付近では水がとてもきれいだった。一般の人は知らないと思う。 その事を知ってもらい、川の問題に関心を持ってもらいたい。 栗山町の人々はこの夕張川に支えられ、また試されながら、ここで暮らしを営んできた。山岳地帯から運ばれる土砂は、豊富な養分を含む耕作適地を形成したため開拓者たちは競ってこの地域に入地した。かつてはサケ、マスなどが川の水が黒ずんで見えるほど群れをなしてのぼり、川は貴重な食料源でもあった。反面、春の雪解けや大雨のたびに水はあふれた。家や橋は押し流され、水田も畑も土砂に埋まり、人々は夕張川を「暴れ川」と呼んだ。そして「洪水の翌年は豊作」ともいわれ、一気に運び込まれた山の土砂は角田盆地をいっそう肥沃にし、恵みをもたらしたという。冬、夕張川は一面の氷が張り、馬そりや人が自由に渡れる便利な交通路にもなった。さかのぼると、開拓以前の松前藩政時代にはアイヌの人々が住み、さらにさらにさかのぼると、夕張川、アノロ川、ウエンベツ川の流域一帯には、1万数千年前の縄文から約千年前の擦文文化時代までの遺跡が広く分布し、川べりで人間の営みはつづいていた。その営みは今、我々に引き継がれている。・・・・。今日も淡いにごりを帯びてきらきらと光ながらゆく夕張川を見ながら、ふとそんな途方もない想いに囚われた。気がつくと美しい羽色をした小鳥が一羽、川原で遊んでいる。夕張川や周辺の沼では、ノビタキ、ホオジロ、アオサギ、ハクチョウ、ガン、カモ、シギなど季節ごとにさまざまな鳥たちを観察することができる。フナやウグイなどの川魚や、エビ、カゲロウ、カワニナなど多様な水生生物も住んでいる。にごりを帯びた水ではあるが、調査によって割合きれいな水であることが明らかにされていく。今日、工業化社会の進展や、生活スタイルの多様化によって、各地の川は汚染され、さまざまな課題を抱えるようになっているが、人は川と対決するのではなく、共生できる道をさぐっていかなければならない。栗山町では、そうした熱い思いを抱く多くの町民が、さまざまなかたちで自然を守る活動を展開している。共にこのまちで生き、美しいふるさとを次代に手渡していきたいと希望するからである。