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tartaros  ―タルタロス―

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2008.08.17
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カテゴリ:与太話
最近、このブログの記事にはやたらと「アウトサイダー」「共同体」という単語が登場しているような気がするけれども、今日も懲りずに登場させてみよう。

―――――――

以前、望月峯太郎の漫画「座敷女」の感想を書いた。
そこでは「座敷女」なる奇怪な存在の不条理性について重きを置いた感想を書いたような気がするが、今回はまた別の視点から考えてみようか……。

―――――――


「座敷女」は「都市」を舞台とした物語である。
この「都市」というのは、この恐怖譚を考えてみる上では非常に重要なものであるような気がする。
ある共同体というのは本来、内部の連帯性を高めるためにある程度の「閉じた」状態が必要になってくるのではないだろうか。共同体にある程度の閉鎖性を持たせる事によって内と外とを明確に区別し、外部からの不当な侵入を拒絶するのだ。それは、不和をもたらす原因となるモノを極力排除し、共同体内部の秩序を堅守しようと努める考えの現れだ。この外部との小規模な隔絶が機能している間、共同体内部に侵入した異物は疑惑の目を向けられて排除の対象となる。

が、一方で「都市」はどうだろうか。
確かに都市もまた一共同体ではあるけれど、いわゆる「ムラ」という共同体に比べて内部においては人間同士の結び付きの緩い場所であるとは言えないだろうか。
住民相互の緊密な関係によるネットワークが構築されている共同体は、外来の異物に対しては時として冷淡である。ひとたび怪しい者が現れれば、それが共同体にとってより明確な危険性を持っている程に忌避・攻撃の対象になり易いのではないか。それは、時として「村八分」という形態を取りながら内部に発生した矛盾にも向けられる事があるが、とにかくも、この共同体内部における異質な存在を排除しようという考えは、住民同士の強固な結び付きが存在するのが前提となっていると考えられる。
ところが都市の場合、確かに人は多いものの、決して住民同士の強い結び付きを構築しているとは言い難い場合がある。どんなに近くに住んでいてもただそれだけ、互いに顔を知らないという事もあるだろう。
それは言うなれば「都市」という緩い結び付きの共同体は、一「家庭」、あるいは一「個人」という非常に小さい単位が寄り集まった、乱暴な言い方をしてしまえば共同体としての意識の弱い、単位ごとの独立した意識を持った「それだけ」の人々の集まりと言えるのではないだろうか。
もちろん、物理的には「都市」も「ムラ」も家庭や個人の寄り集まりに過ぎないのだが、前者の場合は共同体への帰属意識がそれほど強くないために、住人相互の緊密な関係とネットワークが生まれ難い。
そこに住まう人々は、共同体成員としての意識ではなく、あくまで家庭の一員、あるいは個人=自分自身という意識に基づいているのである。


そして、この共同体にある種の明らかな異常〈あるいは危険性〉を持った外部の人間が侵入してくると、一体どのような反応が引き起こされるのだろうか。
繰り返すが、「ムラ」のように住民同士の緊密な関係が存在している共同体においては、外部から侵入してきたその共同体にとってのアウトサイダーは排除の対象となり易いのである。内部での均一さを求める閉じた社会には、アウトサイダーは邪魔な存在であろう。
だが、「都市」のように緩い結び付きしか持たない共同体……そもそも共同体としての意識さえ希薄な人々の間においては、侵入してくる存在の異常性は「ムラ」と変わらないまでも、侵入される側は「共同体」ではなく「家庭」あるいは「個人」としてその脅威を認識する。

座敷女.png

森ヒロシの元へ現れたサチコ=座敷女もまた、次第にヒロシという個人の生活内部に巧みな侵入を開始していった。
共同体としての拒否反応を持たない個人がこのような、彼にとってのアウトサイダーと戦うためには友人や恋人といった、やはり個人を基点とする存在を頼る必要がある。ヒロシもまた友人と協力して座敷女と対峙していくのである。
「個」の内部に全く別の強力な(しかも彼にとって異常な)「個」が侵入すると、あくまで自分自身を基点として対抗しなければならない。
この物語の特異性の一つを成しているのはこの点にあると思う。座敷女を社会的な枠から外れた=共同体にとっての異常者・アウトサイダーではなく、あくまで森ヒロシという大学生の個人的存在への侵食を行う怪物として描くからこそ、本来であればごく親しい人間にしか解放される事無き彼自身の聖域が侵される恐怖が表出されるのである。
一方で「公」に強力な「個」が侵入した場合、「個」をさらに上回る強力な「公」によって圧殺されかねない。
しかし、それでは単なる共同体内部における免疫機能の発露であり、侵入される恐怖は発生し得ないだろう。
「都市」という共同体における人間同士の関係の希薄性が、座敷女なる怪物が現れる恐怖を支えている。
ヒロシが隣人の行方を知らなかった事、さらに隣人の部屋の中には座敷女によると思われる不気味な呪詛の言葉が氾濫していたという事実が、それをよく体現しているのではないだろうか。

―――――――

では、「座敷女」の名も無き市民たちにとって共同体意識が全く存在しないと言えるのだろうか?
答えは「否」であろう。
日常を生きる市民達。彼らは日々何気なく交わす「噂話」という形で、自らがある集団の一員だという認識を新たにする。それは、普段絶対に見ることのできない世界を言葉によって束の間のぞき見る行為に他ならない。噂話によって覗く異界が奇妙で機会で異常であるほどに、彼らはある一つの確信を強めるのである。
「自分達は普通の人間」だと。「自分達の日々は紛れもなく当たり前のもの」だと。

「都市」という場所は紛れも無く「個」の集合体である。構成している一つ一つの独立性の高い場所である。
けれども、何処にあるとも知れない仄かな異常性を孕んだ噂話を交わすことで、共同体成員である彼らはようやく自分達もまた共同体成員たる自覚をする。
一方で、既に死者となったヒロシは噂話の中の存在でしか有り得なくなった。その為にもはや彼の「個」は消滅したからだ。最終話で彼の死因が座敷女の存在と共に実に曖昧なままに語られるのは、それを象徴しているように思われて仕方が無い。
座敷女に殺された森ヒロシは異常性の殻に包まれたまま、都市なる共同体を繋ぎとめる、実体の見えない噂話の中に取り込まれたのである。

決して理解する事のできない確固たる異常を内部のどこかに抱えながらも、成員同士の関係の希薄性ゆえに、その正体と恐怖が曖昧にしか語られる事の無い世界。
「日常」を確認して安堵するために「異常」を語る世界。
これもまた、「座敷女」という作品を構成する要素、であるのかもしれないと思う。












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Last updated  2008.08.24 15:36:51
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life   バルザーヤ さん
共同体の内部で「個」が作り出した「噂話」が個に干渉するまでの存在になれば、それは架空を越えて市民権を得ようと生活に浸透してくるのですね。
高度に共同体内でしか存在しない「人種」も生まれ始めて、やがて現れるのは、それを操作し、コントロールすることに利益と野心を見いだす者たちでしょうか。

この場では文字でしか会話できないので、浅い考えから来る意味の取り違えとかが↑あります……… (2008.08.17 23:55:32)

Re:life(08/17)   こうず2608 さん
バルザーヤさん

「噂話」が加速し、やがてリアルな印象を持ち始めるのであれば、現実への如実な影響力を持つというのは確かにあるかもしれません。座敷女やヒロシは実体を持つ存在でしたが、それがあくまで「噂話」である間は人々も数ある物語の一つとして面白半分で語ることができるでしょう。何故ならば、彼らはそれが真実だという事を知らないのだから。
しかし、その物語が多くの人々に共有されるうちに何時からか現実性を持ち始めた場合〈あるいは真実を知ってしまった場合?)それはもはや「噂話」ではなく実体の見えないながらの「現実」的脅威であるのかもしれません。
共同体の中における噂話の中にしか存在しないある人種が誕生すると考えるならば、その噂話が巧みであればあるほど、人口に膾炙していればいるほど、人々はそれに扇動され易いのではないでしょうか。
その「人種」をコントロールする事が可能であるとするなら、それによって民衆を動かす事も…(さすがに飛躍しすぎですね)?

>この場では文字でしか会話できないので、浅い考えから来る意味の取り違えとかが↑あります………

というか、こんな妄言に真面目なコメントが付く日が来るとは予想だにしていなかったので驚いています(笑)
こちらが思いもよらない視点の意見だったのでタメになりましたよ。 (2008.08.18 21:28:34)


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