2008/11/21(金)23:07
読んだ本とか読んでる本とか
ミシュレ「魔女」(篠田浩一郎訳・岩波文庫)を読み始める。
中世におけるキリスト教会の支配体制確立と、その中で焚殺された夥しい数の「魔女」なる人々について論じた書。
……いかん、元から興味のある分野だったけれども、これは俺には難解すぎて理解できそうにない。学術書を読んでこんな難解さを味わったのは宮田登「流行り神と民俗宗教」以来、という気がする。
もちろん、元を取るために一応最後まで読み通すけど。
その訳解らなさからも、何かしらの得るところがあるかもしれないし。
レイ・ブラッドベリ「華氏451度」(宇野利泰訳・ハヤカワ文庫)を読んでる。
マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「華氏911」のタイトルの元ネタとして有名だが、ブラッドベリ本人は怒ってるとかなんとか。
「書物」や「本」の所持が禁じられた世界を描いたSFディストピア小説だが、wikiによれば
「現実に存在する情報統制や言論弾圧あるいは焚書の危険性を、フィクションを通して告発したもの」と評する者が多い。ただし、ブラッドベリ自身は『この作品で描いたのは国家の検閲ではなく、テレビによる文化の破壊』と2007年のインタビューで述べている。
との事。
なるほど確かに、両面的な解釈のできる話だと思う。
作中における一般民衆は本を手にする事もそんな気持ちを起こす事もなく、国家が垂れ流すテレビ番組だけを享受して、自らの頭で思考する力を失っている。この点だけ見れば情報統制の脅威を描写しているとも言えるが、これって、実は現実でも見ようによっては既に発生している。
たとえ国家による恣意的な情報統制が行われていないにしても、視聴者側がより簡単に情報を得る事ができるテレビというメディアのみを見るのであれば、それは本を読まずにいるのと同じ事で知らず知らずのうちに愚民化していくし、やはり書物の文化は破壊されていく。
問題は自分の頭で考えようとせず与えられた情報を鵜呑みにして解った気になり、一面的な見方しかしない事だとは思うが。
だから、多種多様な知識を獲得し、価値観の相違を受け入れ、物事を様々な側面から見るためにも本は読まなければならない。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」……よくぞ言ったものだ。
谷崎潤一郎「痴人の愛」(新潮文庫)を読了。
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あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
『おれは美少女を調教する話を読んでいたと思ったら
いつのまにか主人公の方が調教されていた』
な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
おれも 何を読んだのか わからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…
エロゲだとかエロ漫画だとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしい谷崎文学の 片鱗を味わったぜ…
ここ最近読んだ本の中では最も面白かった。
ナオミはあからさまな、実に判り易いファム・ファタールだ。
彼女に一身を捧げるという事は、即ち「破滅」への片道切符である事はとっくの昔に判り切っているにも関わらず、譲治は何故。これが男という生き物の性なのか。
人間は破滅の具体的表現を見せつけられると、どうしようもなくそれに惹かれてしまう生き物だと言った人が居た。もしかしたらそんなものかも知れない。
特筆すべきは、譲治とナオミの間に肉体関係らしいものが一切なかった事だと思う。
肉の交わりが存在しない=自らの身をもってナオミを楽しんだ経験が無いからこそ、譲治は日々美しさを増していくナオミの美貌、その肢体、媚びる表情にどうしようもなく籠絡されてしまった。彼は彼のイメージの中で想念をどうしようもなく膨らませていき、プライドを捨てた。否、劇中で明言されている通り、彼は誘惑されることを望んでいた。
決して手の届くこと無い美貌に入れあげるという点、ある意味では二次元美少女に莫大な投資をする喪男・兼・オタクとどこか相通ずるものを感じさせられる。喪男文学などと一部で呼ばれる所以かしら。
美女に嬲られることを心のどこかで望む。譲治と喪男系のオタクは、きっと共通の心性を持っている。被虐の境遇にあることを自覚しているか否かの違いはあるかもしれないけれど。