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tartaros  ―タルタロス―

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こうず2608

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2009.01.04
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カテゴリ:夢日記
 気が付くと一冊の文庫本を手に取っていた。書店で買った覚えも無ければ図書館で借りた覚えも、人から譲り受けたりした覚えも無い。
 
 一月の、ある寒い日の事だった。

 例年よりも水気を多く含んだ湿った雪が連日のように降り注ぎ、寒気は例年とはどこか違う、陰湿な、醜悪さを漂わせていた。部屋に設置されている暖房器具といえば、数年前に市内のホームセンターで買って来たヒーターが一台。それほど広い部屋、という訳でもなかったが(むしろ“狭い”部類であろうか)部屋全体の温度の低さからすれば、そうした暖房など申し訳程度の助けにしかならないのは深く考えずとも言うまでも無い。しかし、傍に寄ればかなり暖かいのであるし、何より醜ささえをも湛えずにはおかない、人間の心に不安を滲ませてしまう気色の寒さから一時とはいえ逃れられるのであれば御の字だ。
 本の内容は、小説が全体の七割くらい、後の三割ほどは写真だった。開く前から何故判ったのか。それが解らない。表紙も裏表紙も見ず、果ては著者名やタイトルさえも確認しないままに何の気なしに開いてみる。本は開くためにあるのであって、決して外面だけを眺めて満足を得るための物ではないからだ。何のために沢山の紙を綴じているのか。文字の連なりに特別の意味づけを行って著者の思想めいた何某かを世に問うためではないか。そうして、誰かに読まれて伝えられる事を至上として肯んじているからに他ならない。
 けれども、どこかしらに躊躇いを生じさせる本だったのだ。開くことへの躊躇い。読むことへの戸惑い。これは本当に読んでいいものなのだろうか。もしかしたら、非常に大きな後悔をするような事になるのではないだろうか……開いて中を見てみたい、読んでみたいという俺の内発的な欲求に突き動かされた行動とは根本から矛盾するそうしたもう一つの感情は、そして、実際に中身を見てからもまた持続したのである。
 その文庫本の内部に記されていたのは、「死」ということだった。
 抽象的概念を超えた「死」の具体化。「死者」たちの肖像だった。
 地下の牢獄に閉じ込められたまま、拷問にあって血塗れの肉塊と化した男。喜び勇んで戦争に志願し、最初の戦いで砲弾に当たってあっけなくバラバラにされた兵士。街の不良たちに陵辱された挙句、口封じのためにナイフで裂かれた少女。何となくの人殺しの犠牲になって死んだ通行人。そんな、勇ましさとも美しさとも隔絶された、深い深い哀れさの喚起しかもたらさない人々の死骸が、文庫本の中の文字の連なり――何の救いも無い、ただの残酷な物語――には横たわっていた。突き放した、冷たい残酷さこそが「文学のふるさと」と称した小説家がかつて居たそうだ。けれども、こんな刻苦の形式しか残せなかった人々の墓場から、果たして文学は産まれ得るのだろうか? 墓石の下から苦悶に満ちた叫び声を上げ、生きていた頃への未練、生者への郷愁しか今や発し得ないであろう人々の中から? 無残さを美へと転化させる装置を持たないままの死が、果たして? 想像とも空想とも妄想とも、そのいずれにもとることの出来る思考は、そして、一つの言葉を俺の中に蘇らしめた。

“Memento mori”

 死を忘れな。死を想え。死を覚えよ。
 そうだ、「メメント・モリ」。すべて人間は生まれた瞬間から死に始めている。栄華の絶頂に達した文明がいずれ滅びるように、完成は目標の終了であると同時に、まさに衰亡の始まりでもあるのである。 
 踊れ。踊れ。死人たち。腐乱した肉の塊。
 可愛い可愛い真白い骨。楽器を持って、手を取り合って。
 百荘も職人も商人も。坊主も俗人も。
 教皇様も王様も。善き人々も悪き人々も。喧嘩する事はもうありませんとも。
 死ぬ事は皆に平等に訪れるのでありますから……。
 さあ、思い切り良くドアを開いて。墓石なんて放り投げて。
 皆で一緒に踊りましょう。遊びましょう。歌いましょウ……。
 やや! これが噂によく聞く“La Danse Macabre”ですか――――。

 ページを繰る手はさらに早まっていた。いつの間にか手が異常に湿っていた。指の触れた紙の一部分だけが奇妙にふやける。きっと無性に興奮しているせいに違いない。貪り読むうちに、どうやら冷たさに満ちた小説のページは終わってしまっていた。文庫本そのものの全体のうち、一番最初のところを読み終わってしまっていたようだ。カラーの写真が目に飛び込んでくる。白い紙に、白だの、黒だの。きっと、じっくり見なければならないはずだ。本が表紙でなくて中身を読まれて初めて意味を持つのと同じように、写真はじっくりと、眼と脳味噌に深甚な刻み込みを行うほど人に眺められてこそ価値があると思うからだ。
 けれども俺は、それがよくよく解っていながら、生得のせっかちな性分に突き動かされてしょうがなかった。一番最初の写真を初めとして、それほど深くは見ないままに次々と繰っていた。湿った指に光沢のある写真のページはよくくっ付き、剥がす時にペリペリと小さな音を聞いた。
 写真のページは、位置的には文庫本全体の真ん中に陣取っていた。分量が少ない割りには大きな存在感を放っているような感じがする。流すようにパラパラと読んでいた俺だったが、大体の内容は把握できたのである。
 それは、またも「死」の具体化の展開だった。
 もっと正確な表現をするならば、「死」と「生」の間にある人間たちの姿だった。
 先の小説がひたすらに「死」の具象を描き続けていたのと同じように、写真達は「死」と「生」に間する者達を見せ付けていた。写真は一ページに二枚。ということは、左右が共に写真のページだとすると同時に四枚の写真を読者は見ることになる。常に同時に見せ付けられることになる写真、「死」と「生」の間に嵌まり込んだ人々の姿は、烈しい病に冒されているのが見て取れた。何も説明文やメモの無い、非常に不親切な造りのページである。それでも死に瀕した病人達の記録であると俺が理解することが出来たのは、それと同じような写真や画像や絵画をどこかで見たことがあったからだ。
 写真の群れは時代の順に配置されているらしい。
 ペスト。レプラ。天然痘。梅毒。
 そのいずれもが人間の外見と容姿に対する深刻な激変を誘引する伝染病だった。その文庫本に収められている写真や絵画に現れているのは、病に侵されて無残に崩れた顔たちに他ならなかった。眼を背けたい、と思った。しかし、どうあっても醜さ以外の感覚に転化できそうも無い、俺の意識の中で不動にして不名誉な位置を占め続ける崩れた容姿の病人の姿から眼を話すことは出来なかった。理性が奇妙な抵抗を続けていた。見なければならない。決して眼を背けてはならないのであると。俺が一人だけ食い入るように見つめても何が変わる訳でもなし、この人たちを病魔から解き放てるわけでもなし、時間を巻き戻せるわけでもなし。それがよく理解できていながら、何故か、俺は苦悶に満ちた醜さから視線を外すことが出来なかったのだ。この感覚には既視的な何かを感じる。そして思い出した。写真の病人達は、俺の心に記憶されていた醜さとの同調であった。子供の頃に見たことのある、焼け爛れて真っ黒になった若い女の死体、その顔の写真。苦悶を何よりもその汚穢で以って体現している病人達と、その黒焦げの女は合致していたのであった。
 ある感情が、再び立ち現れた。ふつふつと、いつも醜いもの、劣ったものを見るときに感じる心だった。
 俺は醜悪を見たいのだ。この眼で確認したいのだ。あたかも気持ちの悪い蟲を興味本位で見てしまうことがあるように。俺の悪意に満ちた好奇心がそうさせているのだ……。
 そう思うと、手はさらに湿っていくように思われた。もはや濡れていると表現した方が正確とも思しいほどなのだ。俺はもっとずっと速くページを捲っていた。と、突然、紙の質感が急変する。写真のページは終わり、どうやらまた小説か何かのページが始まったらしい。
 最後の写真は何だろうか。躊躇いの気持ちがまた湧出している。この本を開くべきか、あるいは読むべきか。ささやかな逡巡がまたちらつき始めている。だが、俺は負けた。やはり悪意に負けた。好奇心は、何よりも俺を突き動かした。
 そこに在ったのは病人の写真ではなく――盲人である。盲人の写真である。彼は髪の毛を一本も余さずに剃られ、ゆで卵の様にツルツルの頭皮がカメラのフラッシュらしい光を反射している。
 彼……盲人が居る場所は、病院の一室であることは少なくとも確からしい。一台のベッドの上にその盲人が仰向けに寝かされている。周りには幾人もの医者や看護師が彼を見守っている。重大な手術か何かの後にその経過を確認しているのだろうか。だが、その写真に写されている病院には何か決定的に「病院」的な要素が欠落している。ベッドも白。医者も看護婦も白だ。だが、盲人の身体を覆う布団や何かは赤く染まっている。塗料の赤ではない。塗料めいた赤はもっと明るく鮮やかに見えるはずだ。これは血だ。この、黒との混合を示す生物的な赤色は、血の赤なのだ。
 もっと俺はよく目を凝らした。すると、盲人の顔には何か銀色の板のような物が嵌め込まれているらしい。ちょうど、両眼の辺りに。いや……両眼だ。両眼に何か銀色の器具が嵌め込まれている。目蓋から眼のすぐ下を覆う金属板があり、その中心には白い塊。白い塊の中心部にはさらに銀色の丸い塊。
 これは、眼球ではないか! 眼球、人工の眼球が嵌め込まれているんだ!
 写真の下に説明文があった(なぜこの写真にだけ付されているのだろう?)。
 曰く――。

「××年××月
 
 ある盲人に対して行われた視力回復実験。生得の眼球を切除し、人工的に製造された機械製の眼球を移植している。この移植された眼球は単体では眼球としての機能を果たしえず、身体の外部に設置されたコンピューターとの接続を必要とする。それによって初めて視力が発生するのである。」


 俺は、合点がいったように思った。
 この盲人は実験体で、周りは実験後の経過を観察するために集まった研究者達だ。
 となると、これは人のためになる出来事の様子なのだろうか。だが、どうしてもそのようには思えなかった。この研究者達も、結局は俺と同じなのではないか。つまり、悪意に根ざした好奇心ゆえの実験。それを社会のためという外皮で覆って大儀を獲得している。捕まえた蟲の足を千切る子供のような、無垢な残酷さと悪意に基づいた好奇心と同根ではないのだろうか。
 そう思った刹那のことであった。
 動いたのだ。ギョロギョロと。彼の盲人の眼の球が! 
 これは写真ではなかったのか? もしや俺は写真と思っていただけで、無音無声の映像をこの手に収めていたのだろうか? そう思って見る間にもやはり盲人――かつて盲人だった男――の眼の球はなおも動き続け、ついに俺の顔を真正面に見据えてしまった。





という夢を見た。
支離滅裂なのと尻が切れてるのは、夢だから内容が不統一で中途半端なせいじゃねえの。
俺の文章力では上手く伝えられないのだが、形容し難い「肉」じみた色と、黒と赤の混ざった血の色と、ただ悲惨さと不気味さを湛えた本当にグロテスクな夢だったのです。

なお、これが初夢という訳ではない。初夢はもっと猥褻な内容だったよw





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Last updated  2009.01.04 23:50:58
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