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2009.08.06
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カテゴリ:読書
 カレル・チャペック「ロボット R.U.R」(千野栄一訳・岩波文庫)を読了。






 「ロボット」という概念を初めてこの世界に誕生させた、記念碑的SF戯曲である。
 
 我々現代人はロボットというと精密機械を組み合わせて開発されたものを想像してしまいがちであるが、本作に登場するロボットは、むしろ「人造人間」を想起させる設定となっている。この「robot」という単語は、著者であるチャペックの兄がチェコ語で「労働」を意味する「robota」の末尾の「a」を取り除いて創作した造語であるとされており、語源そのものを見ても解るように、この戯曲におけるロボットは、労働という人間的行為と密接に関わる存在として登場する。
 元来が人間の労働を肩代わりする代替的存在として創造されたロボットであるが、技術による労働の他階級への転嫁というのは、史上、見られない出来事ではないだろうか。未だ奴隷制が維持されていた古い時代においては、略奪や戦争によって人を狩り集め、意図的に労働者階級に叩き落してから働かせるという社会構造が存在していたわけである。そこに特別の科学技術というものはあまり関係が無いはずで、「上」と「下」に分かたれる悲劇だけが存在している。
 人間を人間たらしめる要因の一つは、単純な生物学的生存および自己保存のためだけに生きるのではなく、生存を容易にする行為の延長線上に、直接的には生きるための生産と結びつかない文化の創造性があるのではないかと思う。いわば、労働とその結果によってもたらされる余剰財産の取捨選択が人間の特徴の一つではないかと見なすことができる。余剰財産の獲得こそが、人間の創造性を発揮させるための前提条件であると考えるならば、奴隷制によって富み栄える社会の「上」に属する人々はその文化を爛漫と繁栄に導く事が可能である。ただ、爛熟した文明とは腐敗と紙一重であり、それが崩壊するときは社会そのものが崩壊し、決して人間そのものが崩壊するのではなかった。それは高度化した社会や歴史という概念自体が人間によって定義付けられた思考方法だからであって、そこに技術の反乱という規格外の災難は発生し得なかったからだ。
 歴史における技術の発達というのはその多くが「不可能を可能にする事」であって、「代替を開発する事」に当てはまるのは少数である。本戯曲におけるロボットの量産化はまさしく後者としての意味での史上の革命であり、純然たる技術のみによって確立された、人間を全く用いる事の無い奴隷制度である。そこにおいては、人類は食事でさえもロボットに料理を口まで運ばせ、自らの手をいっさい動かす事が無いと言われるほどの安楽さを手に入れるに至っている。世の中の労働もその全てがロボットが行い、人間の労働者は存在しない。
 だが、奇妙な事に、人類全体の出生率が低下を始める。
 まるで堕落した人間に対して天が罰を与えたかのように、である。
 そうして、やがてある高性能なロボットに率いられた反乱が勃発し、人間はただ一人の老人を除いては滅亡してしまう。だが、ロボットたちもまた自分たちを製造する技法を知らなかったために、滅亡への道を歩み始めるのだ。
 終盤の展開で何より特徴的なのは、反乱を起こして人類を滅亡に至らしめたロボットたち自身が「人間より優れている」ことを自覚しながら、結局は人間のように栄える事が叶わなかったという点であろう。彼らの考える人間との優劣は、労働や生産という社会を維持するための第一義的なものでしかなく、その結果として生じる財産をいかにして活用していくかという「創造性」の点では遥かに人間という生き物に劣っていた。
 すなわち、ロボットの量産化で労働を忘れた人間も、作るばかりで創る事を知らなかったロボットも、ヒトとしての条件を満たし得なかったという皮肉な結末を迎えることになったのであった。
 人間は労働の生き物であり、誰かが安全と繁栄を享受するためには常に別の誰かが働かねばならない。エデンの園のアダムとイヴでさえ、神という庇護者のはたらきによって平穏を手に入れる事ができたのだ。
 安楽椅子に座り続けるには、その椅子を製造する職人の存在が必要不可欠である。けれども座る者が居なければ椅子を造る意味が無くなってしまう。人間という種はこの二者の並存によって成り立っているのであり、どちらが欠けても人間ではなくなってしまうとは、言えないだろうか。
 





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Last updated  2009.08.06 22:25:04
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