2009/09/11(金)22:54
情報戦線には異状があり過ぎる
学校帰りの丸善で「スターリングラード 運命の攻囲戦」という戦史ノンフィクションを買ってきた。この手のノンフィクションを買うのは初めてである。というか、何でまた独ソ戦なのかは自分でも判らない。
もしかしたら「西部戦線異状なし」が面白かったせいかもしれない。あれもドイツの話だし。題材はWW1だけど。しかも西部戦線だから独仏戦だ。
しかし、文学であれ絵画であれ音楽であれ映像であれ、どういった形であれ“記録”なるものが遺されるのは重要だと思わざるを得ない。人間の記憶が実にいい加減で都合の良いように改変され得、また忘れられやすいものである以上は。
先日も、日韓の領土問題はおろか「竹島」という言葉すら知らない奴に直面してほとほと辟易してしまったばかりなのだ。あれだけマスコミでも騒がれており、ネットなんぞ使わずともある程度の情報が得られる状況を享受しているのに、である。
情報化社会と俗諺の如き言われようをしている現代日本だが、いくら情報が氾濫しても、それをヒトが能動的に摂取しない限りは腐るに任せて死骸の山を積み上げるに等しい行為である。レイ・ブラッドベリ的なディストピアを、自ら進んで受け容れかねない現代日本の哀しさと言ったらない。
という訳で、たとえ忘れ去られてしまっても、いつか日の目を見るために保存されるという事は必要だ。膨大な過去という財産は、ただ存在するだけでも価値がある。