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ターザンひでおのHP

その3(アメリカ編2)

大学院に通うためにNY州のバッファローへやってきた私だが、この頃には英語
も日常生活には全く支障がないくらいになっており、アメリカの文化にもわりと
慣れてきていたので、それほど苦労は無かった。

バッファローという町は五大湖のエリー湖とオンタリオ湖をつなぐナイアガラの
滝の所に位置し、カナダとの国境にも面している。当然冬は寒く、雪も多い。南
国育ちの私には初体験のことばかりだった。バッファローでは中古の車を買った
私だったが、冬はまず車を雪の中から掘り出すのが日課になっていた。風の強い
日にはまつげが凍りまばたきがしんどかったこともあった。

しかし、意外と楽しかった。大雪の次の朝に雪の中でスタックしていると、すぐ
に周りの人達が駆け寄ってきて助けてくれた。バッファローはオースチンよりも
全然都会なのだが、そういう人の温かみを感じさせてくれる出来事は少なくなか
った。

バッファローに住んだ2年間で雪国も悪くないなと思うようになった。とは行っ
ても、日本の雪国とは大分状況が違うかもしれない。バッファローでは、雪が降
り出すと融雪剤をまく車と除雪をする車が出動し、一晩中作業をしてくれていた。
なので、よっぽど田舎に行かない限りは、どんなに雪が降っても車の運転に不便
することは少なかった。また、各家やアパートには温水暖房が完備されていて、
寒いと感じることもほとんど無かった。

また、夏は緑がとてもきれいで少し郊外をドライブすると映画か、油絵の中の世
界にでも入り込んだような錯覚を受けるほどきれいだった。秋にはナイアガラ付
近や、近くの渓谷に紅葉を見に行ったりした。渓谷ではりんごがたくさん栽培さ
れていて、りんごはとても安く手に入った。マッキントッシュという品種のりん
ごがあることはアメリカに行ってはじめて知った。

ナイアガラのカジノにはいかなかったが、週末にはよく友人とトロントまでドラ
イブし中華街で食事をしたりして帰ってきた。

さて、一方の勉強のほうはというと、大学院ではロケットエンジンについて勉強
したかったのだが、私が行った大学では航空宇宙工学とは名ばかりで、解析ばか
りしかやっていなかった。ということで私は結局大学の電気課の延長のような勉
強をした。おかげで卒業するのはそれほど大変ではなかった。

卒業がまじかになった頃、一応日本の宇宙関係の会社でも就職活動してみるかと
思い、数箇所に連絡を取ってみたが、大抵門前払いだった。結局、就職試験を受
け得させてくれたのは1箇所だけだったが、幸か不幸かその会社に合格してしま
った。私的には全く合格するつもりが無かったので、卒業してからアメリカで職
を探してアメリカに永住するのも良いなあ~、なんて事を考えていた。

しかし、せっかく合格したので私は日本に帰ることにした。自分が本当にやりた
い仕事ではないかもしれないが、宇宙関連の会社で働けば、宇宙飛行士になるた
めの情報も手に入りやすいかも?という思惑もあった。

バッファローの2年間もほんとにいろんな経験をした。車も2回壊した。自分で
パソコンを組み立てたり、車のプラグを交換したりした。大学の学食で黒人の人
達と一緒にバイトしたり、大学と企業の共同研究でアメリカの企業で働いたりも
した。とても貴重な経験ばかりだった。テキサスの1年も加えると本当に今まで
の人生の中で一番大変だったが、一番充実していて、生きているという実感を得
られた3年間でもあった。正直、日本に帰るのは乗り気では無かったが、日本に
帰ることに決めた。

(日本編へつづく)


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