053699 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ターザンひでおのHP

ターザンひでおのHP

日本編(その3)

H-Ⅱ8号機の失敗は関係者にとって大きなショックだった。H-Ⅱ5号機の時
も失敗だったのだが、予定の軌道から大幅にずれたものの、とりあえず衛星軌道
には乗せる事ができ、衛星の目的であった通信試験も一部実施する事ができた。

しかし、今回は完全な失敗であり、ロケットも衛星も完全に失ってしまった。

新聞・テレビのマスコミもここぞとばかりに騒ぎ立ててくれた。マスコミは成功
した時は報道しないが、失敗した時は連日騒ぎ立ててくれる。おかげで、関係者
以外の人とロケットの話をすると、「2回連続で失敗して大変でしょう」と言わ
れる。実はその後H-ⅡAロケットというH-Ⅱの改良型のロケットが5機連続で
打上げが成功されている事は知られていない。しかも、報道の内容も知識不足の
記者が多く事実と違う事が堂々と新聞に書かれている事も多い。

私は、このような経験もあってマスコミの報道は基本的に信用していない。新聞
も取っていないし、テレビのニュースも基本的に見ない。見るときも一個人の意
見を聞く程度にしか捉えないようにしている。

この時の失敗は社内にも大きな影響があった。搭載していた衛星が、気象衛星ひ
まわりの後継機であり、飛行機の運行の効率化もできるという運輸省の衛星だっ
たため、政治的な圧力等もあったようだ。早急な原因究明が急務とされ、全社を
上げて原因を究明する事となった。と、同時に開発が進められていたH-ⅡAの
開発も原因が究明されるまで凍結となった。

私は当時は種子島の勤務だったので、事故原因究明の作業にはほとんど加わって
いなかった。原因究明は東京本社の開発グループで実施された。原因究明作業は
この後、約半年続く事となるのだが、1ヶ月した頃に東京本社から人手が足りな
いので応援してくれとの要請があり、東京に数週間出張する事となった。そして
事故から2ヵ月後の1月には東京本社に異動することとなった。

原因究明作業は情報の収集から始まった。車や列車、飛行機と違い、ロケットの
事故の場合は手がかりとなる物が極端に少ない。唯一の頼りはロケットからリア
ルタイムで送られてくる各部の圧力・温度等のデータのみである。

ロケットは、空気抵抗によるロスを極力避けるため、はじめはほぼ真上に打ちあ
げるが、空気の抵抗が少ない高度に達すると、地球の周りをまわるような軌道に
進路を変えていく。そのため、ロケットのデータも一箇所で受けれる通信範囲が
限られてくる為、データの受信局は、打上げ場である種子島、それから軌道上に
当たる小笠原、サンチャゴ等で受信している。

いつもはこれらの基地局から郵送で送ってもらうのだが、今回は各担当者がハン
ドキャリーで持ち帰ってきた。それらのデータを全てつなぎ合わせ、何が起こっ
たのかを関係者一同で検討し、一体ロケットに何が起こったのかを検証していく。

しかし、1段エンジンでトラブルがあった事はわかるものの、その原因について
はつじつまが合わない事が多く原因究明の検討は行き詰まった。結局、少しでも
多くの情報を集める為、海に落ちたロケットを回収しに行く事となった。この辺
りの話はNHKのプロジェクトXでも放送されたので、ご存知の方も多いかもし
れない。ちなみに私はその放送は見ていない。

ロケットの回収のために海洋開発事業団の協力を仰ぎ、大荒れの冬の小笠原沖へ
と捜索へ出る事になった。私も乗組員の候補になっていたようだが、私は捜索船
に乗る事は無かった。乗った人の話を聞くとやっぱり船酔いして大変だったらしい。

捜索は軌道の計算から落下予測範囲を計算し数キロメートル四方の海をしらみつ
ぶしにソナーで探索していくのだが、第1回目の捜索では結局発見する事ができ
なかった。再度、風のデータ等を修正し落下予測範囲を再計算して実施した2回
目の捜索で問題となる1段エンジン部を発見する事ができ、エンジン部を回収した。しかし、この時エンジンが見つかったのは奇跡に近いと思う。実際、H-Ⅱ
A1号機の後もエンジンを捜索しに行ったのだが、結局発見できなかった。

回収されたエンジンは各メーカに運ばれ、分解する事となった。私はターボポン
プを担当していた為、分解調査作業中はIHIの工場に通いつめて作業に立ち合
わせてもらった。

回収されたエンジンの調査結果から、燃料である液体水素の圧力を高めるターボ
ポンプという装置の入口についているインデューサという羽根車が飛行中に何ら
かの要因で破損した事が原因である可能性が一番高いという事になった。

では、なぜ破損したのか?今度はその調査になったのだが、これがまた難航した。
考えられる全ての要因を合わせても、破損する可能性が少ないのである。結局、
事故原因究明の報告書としては、ココまでの内容になっているはずである。

関係者のほとんどは未だに本当の事故の原因についてはよくわからないと思って
いる事だろう。しかし、これ以上の調査研究には莫大な費用と時間が要すると思
われた。何より、ある程度原因の目処が立った今、一刻も早くH-ⅡAの開発を
再開させ前に進む必要があった。このため事故原因究明作業はいったん打ち切ら
れる事になった。

原因調査の半年間、関係者は皆、土日も返上して毎日、朝から深夜まで作業して
いた。しかし、この原因究明調査のおかげで私はもちろんの事、メーカーの人た
ちも含め、貴重な経験を積む事ができた。それまでアメリカの見様見真似でやっ
ていた部分にまで立ち入って、調査する事ができた。この事故のおかげで、ロケ
ットエンジン開発の技術は確実に向上したと思う。もちろん、多くの人たちの献
身的な協力の結果なのだが。

ロケット関係者は、今度はH-ⅡAロケットの開発の見直しや試験のやり直しで、
土日返上の深夜に及ぶ作業がさらに1年続く事になる。

今のH-ⅡAが1号機から5機連続で、しかも、そのほとんどが打上げ予定日の
予定時刻きっかりに打ちあがっている事は、この失敗から得られた経験が大きい
のだと思う。H-Ⅱロケットは7機打ち上げたが、ロケットまたは衛星のトラブ
ルにより、予定日の予定時刻に打ちあがった事は一度も無かったと思うので、こ
の進歩は関係者にとっては驚きに近い物がある。

つづく


© Rakuten Group, Inc.