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ターザンひでおのHP

日本編(その4)

H-Ⅱ8号機の事故の後、H-ⅡAのエンジンの開発は大きく見直しがかけられた。

本社に異動した後も私は先輩や上司に恵まれた。私の指導をしてくれた先輩はと
ても勉強家で知識も豊富だった。また、8号機の事故の後に事故の反省を活かし、
まわりの保守的な上司達の反対意見を押し切って、それまで不可能だと思われて
いた試験を実施した。その結果、今まで知らなかった事実が解明され、技術的に
大きな成果を得た。その結果、エンジンの部品を改良する事にもなった。

こうして、更に休日返上の深夜まで及ぶ作業と長期出張の連続の日々は続いた。
この期間、エンジン関係者は盆・正月・GWどころか土日もほとんど無く、中に
はストレスのせいで体調を壊した人もいた。私も一度、帰りの電車の中で突然め
まいに襲われ立っていられなくなり、吐き気がしたので新橋駅で這うようにして
降りたのを覚えている。ちょうどクリスマスの時期だった事もあり、駅員さんや
周りの人はただの酔っ払いだと思ったようだ。もちろん、アルコールなんて一滴
も飲んではいなかったのだが。

2001年8月29日、ようやくH-ⅡA1号機の打上げにこぎつけた。私は打
上げ当日もメーカーとの調整で飛び回っていたおかげで、打ち上げ成功の知らせ
は、メーカーの守衛さんから聞いた。正直、無事成功したとの知らせを聞き、嬉
しかったのと同時にほっとした。

H-ⅡA1号機打上げの頃は「もし、今回失敗すれば、NASDAは間違いなく
解散になるだろう」と言われていた。もし、この時失敗していたら、今頃私はど
こで何をしていただろう?

1号機成功の後、2号機(2002年2月)、3号機(2002年9月)、4号
機(2002年12月)、5号機(2003年3月)と連続で成功する事ができ
た。5号機の時は日本初のスパイ衛星を打ち上げると言う事で少しマスコミに取
り上げられたが、それ以外はほとんどニュースになる事も無かったので、ほとん
どの方が打ち上げがあった事すら、知らないのではないかと思う。

1号機成功の後、徐々に私を含め関係者の仕事も楽になっていった。今思うと、
忙しかったが、とても楽しかった気もする。

仕事が楽になり始めると、今までは忙しさのせいで目をそらしていた、自分の内
面と向き合う事になった。そしてだんだんと今の仕事に対して疑問を抱き始めた。

自分はもともと宇宙飛行士になりたかったのだが、就職してからの6年間で宇宙
飛行士の募集は1度しか行われていない。しかも、それは就職1年目で、募集条
件の経験年数を満たしていなかったっため、その時は応募する事もできなかった。

今、自分の好きな宇宙に関わる仕事はしているが、正直満足感や、充実感は低かっ
た。それは、今の仕事が一体誰の為になっているのか?誰が喜んででくれるのか?
本当に必要なのか?といった疑問があったからだった。

失敗すればマスコミにたたかれ、税金の無駄遣いといわれる。成功しても喜んで
くれる人の顔は見えない。一体、自分の仕事に意味があるのだろうか?自分は本
当にこの仕事を続けていきたいのだろうか?もっと自分の能力を生かして、人の
役に立てる職場があるのではないか?

理事長は天下り官僚が多く、2年程度で交代する。重役クラスの人達はみな、失
敗を恐れ、ビジョンも無く、お役所の顔色をうかがってばかりの官僚のような人
たちに私には見えた。これから20年、ああいう人達の下で働きたいか?20年
後、私はあの人たちのようになりたいか?

心の声は次第に大きくなり、転職セミナーに通ったりもした。様々な本を読むよ
うにもなった。そして、自分が望んでいるものや理想の生活、理想の自分、今ま
で気付いていなかった事に気付いた。自分が、お金持ちになって多くの拘束から
逃れ、自由になりたいと望んでいることにも気付いた。

それからはお金に関する本も読み漁るようになった。その中で私の心を一番捉え
たのが、本田健さん「幸せな小金もち」という考え方だった。自分が心からわく
わくする事(ライフワーク)を仕事にする事によって、経済的にも豊かになると
いう考え方である。

それ以来、この1年間、私はライフワークを求めて、いろいろなセミナーに参加
したり、本を読んだりした。

そして、2003年3月、ジェームス・スキナーの「成功の9ステップ」に参加
しているときに、1つの答えを得た。「自分は逃げている」と。

少なくとも今現在、自分が本当にやりたい事はやはり、宇宙に行く事である。し
かし、それがあまりにも自分には実現不可能に思えたために、逃げていたのである。

正直、「これが私のライフワークだ!」と胸を張って言えるほどの確信は得てい
ないが、会社の体質や社会の情勢を抜きにすれば、今、自分が一番惹かれるもの
がここにある。今、自分にできる事をやろう、と決めた。そして、きっと、でき
る事をやり尽くしたときに何か答えが出るのだと思う。

今、私は誰もが特別な訓練無しに、飛行機で海外旅行に行く感覚で宇宙に行ける
ようにしたいと思っている。

そのためにはまず、一般の人達が宇宙に行くという実績をたくさん作る必要が有
ると思っている。宇宙に言った経験のある人を少しづつでも増やして、宇宙に行
く事が特別な事でなくなり始めた時、宇宙旅行がブームになっているかもしれな
い。そういうムーブメントを起こしたい。そのために自分にできる事をやりたい。

今年、中国は中国独自のロケットとロシアのソユーズの技術を使って、ロシア、
アメリカに次ぐ、世界で3番目の有人飛行を実現させる事を宣言している。恐ら
く実現するだろう。

そして、中国はその後宇宙旅行ビジネスにも進出するのではないかと言われてい
る。既に、ロシアは一人約25億円で宇宙旅行を提供している。中国はその数分
の1~十分の一程度でやるかもしれない。

また、アメリカでは2005年を目標に高度100km程度の低軌道に数十分程
度の宇宙旅行をするツアーを1200万円で計画している企業がある。

私はこれらのあらゆる手段を使って、一人でも多くの日本人に宇宙を経験できる
機会を提供できたらと思う。そして、日本でも宇宙旅行ブームが起こり、日本政
府が思い腰を上げて、日本独自の宇宙旅行計画をスタートさせる着火剤になりたい。

また、そのために、10万人規模の署名を集め、日本の宇宙開発の方針を決定し
ている宇宙開発委員会(現在、日本では有人飛行の開発は行わないと明言してい
る)と文部科学省に提出したい。

私は多くの人が宇宙に行き、宇宙環境がもっと利用される事で、多くの問題が解
決されると思っている。

多くの人が宇宙から地球を見て、宇宙から見た地球には国境が無く1つなのだと
いうことを実感する事ができれば、地球全体が一つであると言う意識が生まれ、
世界の紛争がなくなるのではないかと思う。明治維新の頃に、日本の人たちが初
めて、藩という意識を捨てて日本が1つの国であるという意識が芽生えた時に、
初めて日本が1つの国家としてまとまったように。

また、宇宙から青く美しい地球を見ることで、また、砂漠化や環境破壊の現状を
目の当りにする事で、環境に対する意識が高まるかもしれない。

だから、まず世界の政財界を中心とするリーダーの人たちに宇宙を体験して欲しい。

また、宇宙空間に宇宙ステーションを浮かべて野菜の栽培をできれば、日照時間
さえも完全にコントロールでき、野菜や穀物の生産も無農薬で生産性も高める事
ができるだろう。エネルギー問題も24時間太陽光発電で安定供給が可能になる
だろう。小惑星帯からの鉱物資源の入手も可能になるだろう。

無重力や微小重力を利用して生産した、安定した結晶の新素材を利用すれば、コ
ンピュータの性能を飛躍的に上げることができるかもしれない。

食物やエネルギーの生産の不安が無くなり、それらをオートメーション化できれ
ば、人類の生活はもっとクリエーティブで豊かになるかもしれない。

私と宇宙に関わる話はこれにて一旦終了と致します。でも、まだ新たなスタート
地点に立っただけです。これから先の話は5年後か10年後にまたお伝えできる
機会がればいいなと思います。

そのような豊かな世界が実現する日を夢見て。

一旦完


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