テーマ:アダルトチルドレン(394)
カテゴリ:アダルトチルドレン
昨日の日記をUPしてから、しばらく考えた。
昨日の日記の最後は、こんな感じ。 >ちなみに、私の母は民生委員。 >ACのあたしの母親だもの、当然、機能不全家庭を作ったヒト。 >機能不全家庭を営み、ACの子どもを育てたヒト。 >未だに、あたしのことを被害妄想に囚われた困った娘、と見なして、 >自分の非は悲劇のヒロイン的にしか認められないヒト。 >そんなヒトが他人様の家庭の何を助けられるってんだろう? >たまにものすごーく、皮肉に見えて笑ってしまう。 この記事を書いたときに、アタマの右端で、 これに似た記事を何度も書いてきたことがとても気になっていた。 あたしの母が民生委員だってことは、今回初めて書いたわけじゃない。 母が民生委員をやってることに対する、複雑な思いも初めて書いたわけじゃない。 むしろ、2度3度と繰り返し書いてきた気がする。 かなりクドイ感じ。。。。 何度も繰り返し、こんなことを書かずに居られない意味は何だろう? 民生委員の重要性が大して高くないものだと書かずに居られない、 仮に民生委員が大切なものだとするなら母は適任じゃない、 と、何度も繰り返し書かなくちゃいけないのは、なぜなんだろう。 初めてあたしは、それがとても気になった。 あたしは、機能不全家庭に育って、ACになった。 あたしの中には、たくさんのたすくちゃんが居た。 小さなあたしは、たくさんのサインを発していた。 両親や先生がちゃんと見ていれば、分かったはずのサインを。 そのサインは全く誰にも届かなかった。 救われなかった、たすくちゃん。 あたしは母の最も身近に居る被虐待児だと思う。 なのに、過去のあたしも、今のあたしも、全く認めてもらえない。 過去の両親の言動であたしがひどく傷つけられたことも、 それが今なお、あたしの人格を傷つけていることも、認めてもらえない。 あたしは、今も被虐待児の体質を引きずっている。 最も近くに居て、最も認めてもらいたいと思っている人間のはずなのに、 母はあたしの方を見ようともせず、他の子どものことを心配している。 自分の子どもすら救えない人に、他の子どもを救えるというのか。 他人の子どもを救う前に、なぜ自分の子どもを救おうとしないのか。 他人の家庭を救う前に、なぜ自分の家庭を救おうとしないのか。 あたしは、そのことがひどく腹立たしい。 そうだ、今も、見捨てられ不安を抱えているのかも知れない。 母がそうやって、他人の家庭に介入していこうとする姿が、 あたしに背を向けて突っ走っていく姿に見えて、哀しいのかもしれない。 他所の子どもよりも、他所の家庭よりも、あたしを見て欲しい。 まず、あたしのことを見て欲しい。 傷ついたあたしと、その温床を認めて欲しい。 その思いが、裏返って、非難に繋がってるんじゃないか。 ひとつの、「矮小化」だ。 実の娘の面倒さえ出来なかったんでしょう! その程度の人間に何が出来るって言うのさ! ンなシゴトにつくなんて、オカシイんじゃないの!? つか、それが妥当だと言うなら、そのシゴトがお粗末なんじゃないの!? って……。 あたしの中にある恨みは、根深いものだと、思い知らされる。 書けばこのやり切れぬ思いは流れていくかと思った。 全然、流れていかない。 流れていくどころか、ものすごい怒りの言葉になって溢れそうだ。 今まであたし、どこかでこれを口にしちゃいけないと思ってた。 どこかで、自分の感情を押し殺してたんだと思う。 抑圧されているうちに、悲しみは怒りになってしまった。 たぶん、そんな感じ。 母にあたしの傷を認めさせるのは無理だと、 何度も諦めてきたつもりなのに、未だに囚われているのだろうか。 なんとも、やり切れぬ思いがする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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