日本版レコンキスタ宣言 旅立った孫と子孫への私の人生卒業論文

2024/02/04(日)14:43

杉良太郎さんの記事2つ

世相について(78)

「これぞ本当の千両役者」能登半島地震で炊き出しの杉良太郎さん 称賛相次ぐ 「これぞ本当の千両役者」能登半島地震で炊き出しの杉良太郎さん 称賛相次ぐ - 産経ニュース (sankei.com) 俳優の杉良太郎さん(79)が21日まで3日間、能登半島地震の被災地である金沢市の避難所で炊き出しを行ったことに、称賛の声が相次いでいる。杉さんは15歳からボランティア活動を続け、阪神大震災や東日本大震災でも現地で炊き出しを行っており、「福祉の杉」の呼び名が定着している。今回も温かい肉うどんなどを、被災者に声を掛けながら振る舞った。 「炊き出しでふるまった特製肉うどんを被災者の皆さまにお声がけしながら、ひとつひとつ手渡し。 感激するだろうな。これぞ、本当の千両役者」「杉良太郎さんの姿勢や熱意には頭が下がります。売名?偽善?違います!!素晴らしい行動力!」…。ネット上では、杉さんの炊き出しのニュースを引用した上で、称賛する書き込みがあふれた。 杉さんが訪問したのは、高齢者や障害者らを安全なホテルなどに移す2次避難に向け、一時的に受け入れる金沢市の1・5次避難所「いしかわ総合スポーツセンター」と「石川県産業展示館2号館」。石川県は被害が大きい地域の支援活動を規制しているが、17日から金沢市で一般災害ボランティアの受け入れが始まったことを受け、杉さんは19日に現地入り。温かい肉うどんやイチゴなど、昼夕食で各300食を振る舞い、被災者に「体を大切に」などと声をかけながら自ら配膳した。またフェイスタオルや生理用品など、支援物資も調達した。炊き出しは21日まで3日間、昼夜行われ、温かい炊き込みご飯や豚汁、肉野菜炒めなどを提供した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「ほんまかいな。杉さんが息子になってくれるんか」伊藤忠“中興の祖”が杉良太郎に見せた孤独な素顔 「ほんまかいな。杉さんが息子になってくれるんか」伊藤忠“中興の祖”が杉良太郎に見せた孤独な素顔|au Webポータル芸能ニュース (auone.jp) 能登半島地震の被災者の避難先に物資を持って駆け付け、自ら食事も振る舞ったことが大きな話題となっている俳優で歌手の杉良太郎(79)。長年の福祉活動などを通じて、芸能界から政財官界まで幅広い人脈を築き、その知られざる人間関係については月刊「文藝春秋」の連載で語っている。 財界人の中には、杉と親子の契りを交した人物もいる。それが伊藤忠商事会長の越後正一(まさかず、1991年没、享年89)だ。伊藤忠の五代目社長として辣腕をふるい、関西の繊維商社を日本を代表する総合商社へと成長させた“伊藤忠中興の祖”。杉が見てきたのは、社員たちが知らない彼の素顔だった。(聞き手・構成=音部美穂・ライター) ◆◆◆  越後さんとの付き合いが始まったのは、奥様のきみ子夫人がきっかけ。夫人は僕の公演をよく観に来てくれていて、楽屋の外で出待ちしていた。それを劇場の支配人から聞いて、楽屋に入ってもらったんだよ。以来、きみ子夫人は、楽屋によくご飯を炊いて持ってきてくれた。なんでも、「主人は、高級料亭で食事する時でも、このご飯をタッパーに入れて持って行くんですよ」って言うんだよ。普通の米をお鍋で炊いているだけらしいんだけど、粘り気といい風味といい、絶妙でね。越後さんが持ち歩くのも納得だった。 越後正一夫妻と交わした契り  ご夫妻と一緒に食事するようになってしばらく経った頃、かつて夫妻が息子さん全員を一度に亡くされていたことを知った。 「それで、お母さん(夫人)ともう一緒に死んじゃおうって思って……」  越後さんの沈痛な面持ちを見たら「なぜ亡くなったのか」なんて、とても聞けなかった。 「死んで息子さんたちのところに行きたい……?」  2人ともうつむいて黙ったまま。とっさに「僕が息子になるから、死なないで」と言った。2人が目を丸くしてね。 「ほんまか、杉さん!」 「僕で良かったら息子になるから」 「えっ……。ほんまかいな。杉さんが息子になってくれるんか。よかった……。よかったー! ありがとう、ありがとう」 そこから、僕は夫妻を「お父さん、お母さん」と呼んで、籍は入れずとも精神的な親子になった。僕のことは「杉さん」って呼んでいたけど、3人で食事した後に送られてきた手紙には、「親子3人水入らずの夕食、楽しかった。幸せだった」という内容が書かれていて、本当の息子のように思ってくれていた。  親子の契りを交わしてから、僕は毎晩、お父さんに電話するようになった。お母さんによると、お父さんは帰宅後、電話の前で待ち構えていたらしい。いつもワンコールで出るんだ。 「お父さん待ってた?」 「ああ〜、電話、待ってたよぉ!」  お父さんとはお互い仕事の話をしたことはない。僕らの会話はたわいもない内容ばかりだった。携帯のない時代だったから、1度、撮影で電話が出来ない日があったんだけど、お父さんは3時間も電話の前で待ち続けて「今日は電話がないなぁ」とガックリしたまま床についたらしい。それをお母さんから聞き、何があっても絶対に毎日電話しようと誓った。 「お父さん」の孤独 お父さんは常に秘書や部下などたくさんの人に囲まれていたけど、僕が「お父さん」って肩を抱いたりすると、秘書が「会長に馴れ馴れしくするな」とばかりにこっちを睨むんだよ。でも、お父さんは大勢の人に囲まれていても心は満たされていなかったんじゃないかな。僕は、お父さんにとって、その穴を埋める存在だったのかもしれないね。  財界の大物は皆孤独だよ。権力や富を利用しようと近づく輩が大勢いるから警戒もするだろうし、おべっかを使う人間はいても、本音を言う人間はほとんどいない。コクヨの会長だった黒田暲之助(しょうのすけ)さん(2009年没、享年93)には、亡くなる直前に「みんな損得勘定でしかものを言わないから、杉さんだけは子供らに本当のことを言うたってな」とよく頼まれたぐらいだからね。相手が誰であれ態度を変えず、本気で向き合う人間のほうが信頼できると感じてくれたんだろうな。だからこそ、みんな心を開いて付き合ってくれたんじゃないかと思うんだ。 ◆ 本記事の全文は「文藝春秋」2024年2月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。杉良太郎氏の連載「人生は桜吹雪」全回は「文藝春秋 電子版」で読むことができます。 ーーーーーーーーーーーーー私の意見ーーーーーーーーーーーー 凄いなこんなスケールの人間になりたいなと。 あいち交通死をなくすボランティアにじいろ会|さえりん♥ストラップ (aichinijiirokai.wixsite.com)

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