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カテゴリ:鍼(Acupuncture)
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↓↓↓記事より引用(一部編集) *********************************** ■世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局が 2006年11月2日に茨城県つくば市で開かれていた国際会議で、ツボの位置を国際統一した ■ツボの数は全部で361カ所だが、長い歴史の間に、国によって名称や位置に違いが生じていた。 この問題にWHOが乗り出した。 89年に名称の統一。 03年から日中韓が統一基準の策定に取り組んできた。 この3カ国間では始めは計92カ所で食い違いをみせていていたが、このうち6カ所では合意できずにいた。 今回の国際会議では、これまでの3カ国にモンゴルやベトナムなど6カ国と2組織が参加し、 難題の6カ所は投票で決着した。 *********************************** ↑↑↑引用終わり ■統一前のツボは「間違っていた」事になるのか? ---と言えば、それはNoである。 よっぽどの教条主義的な治療家でない限り、ツボの位置は個人や疾病の状態で変化することが、通念として昔からある。 それに、「基本的に全身がなんらかのツボ」なのであり、特に反応の現れやすい点、治療効果が出やすい点が、固有名詞を持ったツボとなったのである。 また、端的に言えば経穴(ツボ)の前に経絡と言う概念があり、経絡上の反応が強く表れる場所が治療対象としてのツボなのである。例え、教科書でxy座標が決定していたとしても、その付近に強く反応が出ていれば、一般の治療家であればそちらを治療に用いるであろう。 それが臨床(実際の治療)と言うものである。 ■では、今回の穴位の決定にはどんな意味があるのだろうか。 臨床的な側面では全く日本の鍼灸界が受ける衝撃は無いと言ってよいだろう。(マスコミの人はセンセーショナルに書きたくなるのもわからないではないが。) むしろ、鍼灸と言うタームをトップに取り上げてくれてありがとう、と言ったところである。 今回の決定で意味があるのは、学術・研究に於てである。 よく、「鍼灸は科学的でない」と鍼灸師に言う人(特に他の医療に携わっている人)がいるが、二重の意味で間違っている。一つは、実は国外の先進国では鍼灸は次々と科学的な論文が発表されて、医療費削減の担い手として注目をされはじめているのである。「はじめている」と言う言い方も、日本人のプライドを考慮した言い方である。実はもう何年も前に鍼灸・漢方は世界的にメジャーな医学(CAM)となっていて、医学大学・病院・保険などの制度が敷かれているのである。 日本は遅れているのだ。 もう一つの間違いは、鍼灸の非科学性を、臨床家に求めている点である。 自国の文化である鍼灸が科学化されないのは、偏に「科学者」の責任であると強く言いたい。これは科学者に対しても言いたいし、「科学的でないから」と卑屈になり、妙な「西洋医学的鍼灸治療」と言う(ステーキをご飯に乗っけて、味噌汁でシチューを作るが如き)珍妙な治療術をのみ行わなければいけないのか、と悩む臨床鍼灸師に、言いたいのである。 現在の状況として、「医者が行う鍼灸は科学的」と言う変な概念が出来つつある気がする。特に『鍼灸の挑戦』を読んでしまうと前半の職人技の話と、後半の医師の話の間に相当な乖離を感じてしまうのは私だけであろうか。 著者の松田氏自身が、実は駆け出しの鍼灸師であるらしい。 駆け出しの鍼灸師からすると、「老鍼灸師の職人技」や「国家医師資格所持者が行う代替医療」は、とても輝かしく見えてしまうかも知れない、と思った。 鍼灸を学ぶ学生たちには、眩しさに目を回さず、きちんと足下を見て一歩ずつ踏み出して戴きたいものである。 松田博公/『鍼灸の挑戦』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月09日 12時16分02秒
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