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さえ:
今日は4月1日のエプリルフールの日でした。 学生の時でしたから、恐らく1960年のこと、さえの友だちの○○さんから電話で「今井先生が北海道から出ていらっしゃっているから、集まったらどうかしら。さえにも連絡してみてね」と、中根町のうちに電話が掛かってきました。 ○○さんと特に親しいわけではないけれど、連絡が掛かってくるのなら不思議じゃないですものね。 あとから思えば、こういうことなら、○○さんがさえに電話をするのが自然なのに、それが、気付かなかったのですねえ。 さえと話が出来ると、喜び勇んで電話をしていると、何だか様子がおかしい、あれ、さては、と気付くと、○○さんに見事に担がれていて、しかも、大元はさえの陰謀だったのでしたっけ。 ふたりが集まって、これがいいわよ、きっと間違いなく引っかかるわ、と相談して、○○さんが電話をして、さえはぼくから電話が掛かるのを待っていたんですよね。 単純そのものだと言うことをさえはもう見抜いていて、しかも○○さんを経由するという手の込んだことをして、人をひっかけたのだから、ひどいものです。 その後三十何年のすべての復讐の機会は、すべて空振り。 やっと1996年になって、クリーンヒットでお返しをしましたっけ。 1996年にうちの修士を出て北大の博士課程に行った男子学生がいました。95年に卒研生として北里大学から来た女子学生が、彼のことを好きになりましたが、96年の春には横浜国大の修士課程に入って、このままだと別れ別れの悲劇だと、皆で案じていました。 そこで、その4月1日。この二人とも、もちろん卒業していますから研究室には来ていません。その朝、ぼくはさえと一緒に東工大に行っていますが、部屋は別々です。 部屋でちょっと待ってから、さえのところに行って、「あの女子学生がいま来てね、横浜国大の先生が話を付けて呉れて、四月から直ぐに北大の大学院に行けることになったって、今日はそれを報告に彼女が来たよ。よかったねえ」 さえは大喜びで、「本当に良かったわねえ」と、そわそわして彼女を待っています。ぼくは段々具合が悪くなってにやにやしたものだから、ばれてしまいましたが、ともかく三十五年にして、お返しをしました。 さえの人の良さにつけ込んだのですが、さえだって、さえに惚れこんでいるぼくのナイーブな心につけ込んだのだから、ま、お互いさま。 実は某大学の先生から、私を客員教授に推薦する件が委員会を通って、今日辞令が出たので送ります、というメイルが来たのですよ。 単細胞の私はぱっと喜んだけれど、それでも学習しますからね、待てよ、と思ううちに、さえと悪の手先の○○さんを懐かしく思い出したわけ。 こんなにのびのびと、さえのことを思いながら(しかも泣いたりしないで)文章を書いたのは久し振り。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.04.02 17:00:37
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