カテゴリ:薬科大学
さえ:
ぼくが推察するその理由は、こうです。 暁艶がぐずぐずしていたのは、自分が学位を取ったらこの大学を去ることになるので、ぼくが直ぐに困るのじゃないかと考えていたのではないか。そして、ぼくもそれを恐れて強く言い出せずにいたのではないかと、思います。 暁艶が研究室にいてくれると博士課程の最高学年として、ぼくの秘書としての機能を果たしてくれるし、研究室の学生の実験については、研究室の助手みたいに指導してくれるし、この頃は研究の内容もいっしょにDiscuss出来るほどになりましたから、こんなにありがたい存在はないのです。 でも、それを続けていては彼女の将来のためにならない。ついには、ぼくも暁艶が卒業してどこかに行くことは当然のことだと受け入れて、暁艶に博士論文を早く書いて将来に踏み出しなさいと強く言ったのが昨年の暮れでした。 それでやっとこの日に漕ぎ着けたわけです。 聴き手は審査員と書記の先生たち6人。うちの研究室の学生たち、私たちの友人である劉さんと于さん、そのほか5人くらいの知らない人たちがいました。 暁艶は私をはらはらさせながら、55分の話を終えました。研究の背景が10分、三つの研究の話が37分、そしてまとめと研究の展望で8分。 このあと先生たちとの質疑応答が50分続いて、審査員たちはほかの部屋に移って協議をすること15分。戻ってきて、書記の夏先生が審査員全員一致で彼女が博士の学位審査に合格したことを述べて、そして博士論文の内容を読み上げました。 審査委員長を務めていた応用生態学研究所の張教授に促されて暁艶が短い挨拶をしたのですが、異例なことだと思います。そのあとさらに、審査委員長はぼくにも何か言えというのですよ。 立ち上がって思い浮かぶままに、7年前には海のものとも山のもとのと分からなかった暁艶が、ぼくたちの研究室にいる間にこれだけの研究を進めて、博士にふさわしい人材であることを示したことの喜びを述べて、大学と先生がたに感謝しました。 さえのことが頭に浮かび、さえが今ここにいたらどんなに嬉しく思っただろうと考えた途端に、胸が詰まって言葉が止まってしまいました。言葉にしてさえに触れることが出来ないまま、唐突に「Thank you, everybody」とやっと言ってそこで話を終えました。 さえは暁艶のゆっくり進む時間には苦笑しながらも、彼女の性格の良さ、ものの考え方の生真面目さに感心していましたね。実験も結果も決してごまかしたり、妥協したりせず、真剣に結果を見つめて自分の腕を磨き、ひたむきに勉強して新しい知識と自分とを繋ごうと言う態度は、時間こそ掛かりましたが今や独立の研究者の卵として見事に開花したと思います。 彼女の今後を見守っていく時間が、ぼくにはどのくらいあるのか分かりませんけれど、何時までも応援し続けたいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.06.14 07:56:56
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