「太平洋戦争の収支決算報告」という本
最近目を通した書評に刺激されて「太平洋戦争の収支決算報告 戦費・損失・賠償から見えてきた太平洋戦争」(青山誠 彩図社)を読みました。参考にした書評はこのブログの最後に付けますが、驚きの本です。序章には「日本が戦争をした理由」が書かれていて、この序章の主張は以下のとおりです:ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー 日本は第一次大戦の後からアメリカを仮想敵国として軍拡を進め、中國への侵略を始めてからは軍事費が巨額に達した。私たちの生まれた1936年で対GDP比が47.6%で、1938年で77.0%であった。(今の日本の防衛費は周知のように1%ですから、当時の軍事費がどれだけ私たちの生活を圧迫していたか想像を絶します)中國への侵略で世界各国との関係が悪化して米を中心とした包囲網ができ、中国大陸から日本が撤退するよう圧力が強まった。それまで陸海軍ともに莫大な国家予算を使って軍備を拡張していたけれど、対米開戦を始めることには、陸軍も、海軍も積極的ではなかった。しかし、御前会議ではどちらも自分たちが戦えないとは言えなかった。軍首脳はおそらく戦っても、勝てるとは思っていなかったが(当時、冷静に考えればそう思うのが当然だったでしょうね)、巨額な国家予算を使って仮想敵に対して備えてきたから、戦えないとは言えなかった。そして他方で、軍の首脳が今まで戦いに備えてきた巨大な装備を試してみたい誘惑にかられてしまったというのも、戦いを始めた理由の一つではないか。ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー 私たちはこの戦いは、ABCD包囲網で日本には石油が入らなくなった、生きるためにもう止むにやまれぬ戦いだったのだ、と思ってきましたが、通奏低音みたいな軍拡の結果が齎したものというこの本の見方に驚き、著者の見識に感銘を受けました。もちろん当時、どうしてABCD包囲網ができるに至ったかを反省して立ち止まることも出来たはずですが、巨大な軍備を持ってしまって、もうそれ以外進む方向が見えなかったのですね。あのころの私たち国民は大したことは知らされていなかったし、朝日新聞などに熱狂的に煽られて、大東亜共栄圏を日本が盟主になって築くのだ、日本海軍には世界に誇る戦艦長門、武蔵があるから勝つに決まっていると沸き立っていましたから、戦いに負けたときのことを考えることもなく一も二もなく大東亜戦争を支持したのでしょう。世界を相手に孤立した日本は1946年11月、米国からハル・ノート付きつけられて開戦を決意したことになっていますが、現在を生きている私たちは日本が対英米戦争に踏み切って負けた結果のあまりのみじめさを体験しているわけですから、現在の視点でこのハル・ノートの要約を見直すと、これを受け入れても日本に大した損失はなかったと思われます。どうしてこのとき、誰も日本が負けて今でも尾を引く敗戦の結果を考えなかったのかが不思議です。この本に書かれているハル・ノートは:1.中國の仏印からの日本軍の撤退2.蒋介石の中国政府を承認し、その他の政権を支持しないこと3.日独伊三国同盟の破棄4.中國における治外法権の破棄で、Wikipediaのハル・ノートを見てみましたが本質的にはこの通りで、日本が中国大陸に作った満州国については全く触れられていませんから満州国は保持できたわけですね。日清戦争とその後の工作で得た朝鮮も、日露戦争で得た南樺太も、第一次戦争後に委任統治を託された南洋諸島も返せとは言っていません。仏印の石油、ゴムなどの資源を自分のものにしたい日本でしたが、此処で一旦落ち着いて冷静に対処すれば交渉の余地があったと思われます。しかし、誰もそれが主張できなかったのですね。冷静な頭に戻れなかったのは、陸海軍に巨大な軍備を整えさせてしまった、そしてそのために彼らは今更引くに引けなかったと見るのは本質をついていると思います。そう思うと、ソ連が核を含めて巨大な軍備を整え、その軍拡コストの増大故に潰れたと言われていますが、その軍備を使って世界大戦を始めなかったのは称賛すべきことでしょう。核戦争の結果を考えれば誰も戦争は始められないということになっていますが、通常兵器を使った戦いは今でも世界のどこかでいつも起きていますから、戦争を始めなかった理由は、日本の惨状が反面教師となったのでしょうか。日本が戦いに備えた巨大なコスト、そしてそれをすべて失っただけでなく、朝鮮、台湾、中国大陸、南洋諸島で放棄した資産、失われた310万人の命、日本内地の資産財産の空襲による破壊、そして戦後の海外諸国への賠償金、戦没、あるいは生き残った軍人への恩給などなど、そのあまりにも膨大な額に驚き、打ちのめされました。戦いは決してするものではありません。今の日本では日本が攻撃(侵略)されたらどうするかという議論が起きていますが、日本がもし侵略されたならば、必ずその国の中枢に報復するというミサイルを多数備えておくだけでいいのではないでしょうか。https://books.j-cast.com/2020/10/13013173.html太平洋戦争の収支決算報告戦争に負けた日本が払い続ける「50兆円」のツケとは?2020年10月13日 戦争を扱った本は多いが、本書『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)はなかなかユニークな視点の一冊だと思った。「戦費・損失・賠償から見た太平洋戦争」という副題がついている。あの戦争で日本は一体どれだけのものを失ったのか。それを多角的に多方面から数字を拾って紹介している。戦争で失ったものの大きさ、戦争のばかばかしさに改めてあきれる。金銭面から解剖 著者の青山誠さんは特に現代史研究者というわけではなさそうだ。経歴によると、大阪芸術大学卒。著書に『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉新書)、『戦術の日本史』(宝島SUGOI文庫)、『金栗四三と田畑政治』(中経の文庫)、『戦艦大和の収支決算報告』(彩図社)などがある。ウェブサイト『BizAiA!』で「カフェから見るアジア」、雑誌『Shi-Ba』で「日本地犬紀行」を連載中だという。 本書は以下の構成。 【序章】日本が戦争をした理由・・・毎年積み上げられた巨額の軍事費、軍事費確保のために使われたアメリカの脅威、など 【第一章】戦争に費やされたお金について・・・危険領域をはるかに上回る巨額の軍事費、異常事態がまかり通る危険な財政運営、国民への借金はすべて踏み倒された!?......など 【第二章】戦争で失われた人命と財産・・・太平洋戦争の戦没者は310万人、など 【第三章】敗戦で失った植民地と占領地・・・敗戦によって半減した日本の領土、など 【第四章】終わらない償い・・・敗戦後に待ち受けていた〝賠償金〟という責苦、など 最盛期には800万人を超える兵力を動員し、とてつもない額の戦費を使い、国力を限界まで傾け、持てる人的資源、物的資源を注ぎ込んだ太平洋戦争。3年9か月にわたる戦争で、日本は多くの人命を失っただけでなく、官民の在外資産、海外領土を喪失した。国内外の損失はどれほどのものだったのか。また、戦後に国際社会に復帰するためにどれほどの賠償をおこなったのか。太平洋戦争を戦費・損失・賠償など、金銭面から解剖すると、かつてない戦争の姿が見えてくる――というのが本書の骨子だ。アメリカが仮想敵国 改めて、本書を通して「カネ」の側面からあの戦争を振り返ると、いろいろと尋常ならざる実態が見えてくる。 まず日本はなぜ戦争に突き進んだか。日本はすでに1923(大正12)年に定めた「帝国国防方針」(第2次改定)でアメリカを仮想敵国として重視。軍事費を増大させていた。国家財政に占める軍事費は30%にもなり、本書によれば、昭和16年には前年の倍近くに膨らんでいる。すでにアメリカとの戦争を見込んで、軍は戦争をするために予算を獲得していたわけだ。同年12月8日の真珠湾攻撃直前まで、さまざまな和平交渉が模索されていたが、「カネ」の面では十二分に戦争を想定していたことになる。この辺りは目からうろこだ。 本来なら、勝算がわからない戦争への突入は躊躇するのが自然だろう。しかし、これだけの金を使って軍備を増強したのだから、「使ってみたい」というのが軍人の性だという。「実戦部隊の提督たちは理性よりも軍人のこの本能が勝っていたように思える」と著者は記す。 似たような動機は政治家や経済人にもあったようだ。戦前の日本は、1932年の満州国建国後に「日満支経済圏」の建設に取り掛かり、1940年には輸出の51.1%、輸入の21.9%が日満支経済圏の貿易で占められていた。すでに中国の一部は占領していたが、国民党の政府を屈服させて支配を中国全域に広げれば、貿易量はさらに増える。 くわえて東南アジアにも経済圏を広げようとしていたが、そこは欧州の植民地。思うように進まない。戦争という手段で獲得できれば、軍人にとっては、石油などアメリカとの戦争のための軍事物資が調達できるし、財界人にとっては、経済面での大東亜共栄圏をつくることができるというメリットがあった。 こうして「カネ」の話を軸に、本書は太平洋戦争に突き進んでいた裏事情を解説する。インフレ紙くずに その結果はどうなったか。まず戦費。通常の予算では賄えないから公債を乱発した。高金利ということで買い求めた企業や国民も多かったが、戦争でパーになった。正確には戦後のインフレで紙くずになった。軍艦や軍用機などの装備や多数の人命の喪失、空襲などの被害は膨大なものになる。 さらに本書で再認識したことに、領土の喪失がある。戦前の日本は約67万平方キロの領土を保有していたが、現在は約37万平方キロ。半分近くを失った。台湾、朝鮮、南樺太などだ。南洋群島に保持していた広大な委任統治領も消えた。本書ではこれらの損失にも言及している。 台湾は、明治時代の併合時は「不良債権」といわれていたが、長年の経営努力で砂糖、バナナ、パイナップルなどの優良産地として発展していた。約40万の邦人が居住し、1833社の日本企業があった。彼らが台湾内に所有していた財産は、終戦時の評価で約425億円。当時の日本の国家予算の約2倍だった。 朝鮮にも長年多額の資本が投下されていた。まだ独り立ちできるだけの経済力には達していなかったが、南部の米作や北部の工業地帯が発展し始め、特に北部は鉱山資源が豊かだった。終戦時には90万人近い日本人が住んでいた。こちらは台湾の約2倍、約891億円の財産が残されていた。現在の物価水準だと、約17兆円になるという。 南樺太では炭鉱、鉄道などのインフラは日本が整備し、水産、森林、石炭資源などが豊富だった。戦後になって近隣では石油、天然ガスが出ており、失ったものは大きい。千島列島も失ったが、戦後、ロシアの水域で漁業を行うために払う入漁料などは新たな負担になっている。広大な南西諸島海域はマグロやカツオの好漁場。ここでも戦後は入漁料を払っている。 満州や中国各地への莫大な投資も泡と消えた。本書によれば、海外領土は日本が戦争に負けなかったとしても、いずれは日本の支配から脱却した可能性が高いとされているが、その場合は平和的なプロセスを経たはず。「莫大な投資を回収し、企業や個人資産を持ち出す余裕は与えられただろう・・・石油や天然ガス利権を保有できた可能性もある」と本書は指摘する。 戦前からの植民地だった台湾や朝鮮半島などにくわえて、中国や東南アジアの占領地に残してきた日本資産を合計すると、その総額は3794億9900万円。空襲で焼け野原にされた日本内地の被害額の約6倍になるという。支払い義務が後遺症に このほか本書は戦後の賠償にも論及している。賠償金を支払う相手は、外国だけではない。自国民に対する戦争の償いも国家財政の大きな負担になった。金額だけでいえば、むしろ、こちらのほうが桁違いに大きいという。動員された800万将兵の大半に恩給受給資格があり、その金額は元の階級が高いと多い。昭和40年代中盤の段階で、恩給受給者は約280万人。年間総支給額は約2300億円。国家予算の3~4%を占めていた。1994年段階では約180万人で年間1兆6400億円。国家予算の2.4%に相当する。 これまでに日本国内の旧軍人や軍属、戦争被害者に支払われた恩給や遺族年金の総額は50兆円を超えているそうだ。国民年金や厚生年金よりも手厚いという。対外賠償の1兆300億円と比べると大差がある。 本書はこのように戦争を「収支」という面からクールに見つめなおしている。とにかく、いったん戦争をやってしまうと、戦後も後遺症が「カネ」の形でも残ることが理解できる。令和の今も支払いが続いている。 こうして振り返ると、単純に言えば、御先祖が獲得した権益や蓄積した資産をすべて失っただけでなく、子孫にも膨大な負債を残した――これがあの戦争の収支決算ということになる。戦争にゴーサインを出した責任者たちは、少なくとも日本国の「経営者」としては失格だ。ところが戦争に深く関与した軍の上位者ほど恩給も多かったというから驚く。こうした側面からあの戦争を問い直すと、結果論とはいえ、多くの日本人にとって、なんとも首肯しがたいものがあるのではないか。