ぼくがもう中国の話しをしない理由
大学の学部の卒業生(化学科の卒業当時は26人)の同期会の幹事から、今年の会合でぼくの中国の話を聞きたいと言ってきた。この同期会はこの頃では毎年開かれているが、ぼくはもう何十年も出席していない。卒業した時は景気がよく同期生はみんな化学工業に就職して大学院に進んだのはごく少数だった。しかも、生物化学の研究に進んだのはぼく一人だったこともあると思う。つまり親しい友人が全くいない。中国にいたころは、瀋陽を訪ねて来る企業の人達からよく頼まれて話をした。といっても、中国に暮らしているからと言って中国の実情をよく知っているわけではないので、日本人と中国人の違いを浮かび上がらせるような、毎日見聞している中で、互いの違いの際立っていることがらを話していた。たとえば、ぼくたちが中国に行った頃は、将来何をしたいかと訊かれると、ほとんどの学生が就職したあとは親孝行をしたいですと言っていた。これは、ぼくたちの娘がぼくに向かって、「パパは何をして暮らしてもいいけれど、老人ホームにいくお金だけは残しておいてね」と「親切に」いってくれる親孝行とはだいぶ質が違っている。学生が「老師」と教師を呼んで教師を大事にする風潮は、とても嬉しかった。こんな具合だ。交差点で横断歩道を渡るとき、中国のクルマは歩行者にお構いなしい突っ込んでくるので、妻は両側から学生に支えられ、保護されていた。でも、たいていは小柄な妻は両側から吊るされて道を渡っていたものだ、アハハ。中国の政治体制は嫌いだが、人びとはいい。気のいい連中ばかりだ。ひところ中国で緑化運動が盛んに推進されたころ、ある省では禿山を緑のペンキで塗ったことが話題になった。中国でも大きな話題になって、こういう突拍子もない事はもう起きないかと思ったが、最近遼寧省の万里の長城の修復したとき、上の通路をコンクリートできれいに舗装したそうである。こういうずっこけた中国人の発想と行動はまだ健在なのだ。国が違えば、そして社会的かつ文化的背景が違えば、当然、人たちのものの考え方は違う。ビジネスをするなら、そのような違いをしっかりと認識しておくのは大事だろう。でもぼくの同期生はもうこの先は死ぬ以外はやることもない老人なのだ。この連中を楽しませるだけのために、ぼくの親しい人たちが大勢いる中国を笑い者にするような話は、したくない。