誰もが疑ってこなかった「朝から晩まで週5日、40年間拘束されて働き詰めの人生」
Webを見ていて、逆転の発想かと驚いたインタビュー記事があった。定年退職者は退職して【「朝から晩まで週5日拘束」40年後に解放されても「残念だった」】と漏らすのだという(文献1)。自分は定年退職した時、まだまだ元気いっぱいなのにお役御免なんて残念だと思ったし、その先さらに17年仕事を続けることができたので実に充実した人生だったと思っていたのだ。残念だったのは仕事が終わったら同業者の妻と、今度こそ研究の話に耽ることなく静かに楽しく暮らそうと思っていたのに、妻に先立たれてしまったことだ。働いている時には思い描いていた定年後の生活を実現できなかったことに悔いは残るが、だからと言って働き詰めだった人生を疑ったことはなかった。もちろん、定年後の仕事を世話してくれた後輩(という言い方ーつまり年齢が低いがゆえに同門の人を差別して下に見る言い方ーは好きではないが)、同じく先輩に深く感謝している。この記事にあるような、朝から晩まで週5日、40年間拘束されて働き詰めで、それからやっと解放された退職時期を迎えて自分の人生ただ残念だったなんていう意識から、私は無縁である。この記事でインタビューされた田中俊之さんが何を言いたいのか、注意して読んでみた。以下に小見出しと田中さんの発言の一部を収録しておく。ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー・朝から晩まで週5日間拘束され、解き放たれるのが40年後という世界 22歳頃から朝から晩まで週5日間拘束され、解き放たれるのが40年後という世界にみずから飛び込むことも、毎日決められた時間に出社するために満員電車に乗ることも、お昼は決められた時間だけ休憩をとるというスケジュール感も。自由が好きな僕には、みんなが同じでなければならない理由がまったく分からなかったんです。・「働くことは当たり前」そうじゃない人を批判することに対する危機感 あのときは就職氷河期でもあり、みんな苦労して就職した影響もあったかもしれませんが、みんなが口をそろえて僕の考えが甘いと言っていました。お前が大学院に行って自由にやれているのは俺たちが真面目に働いてるからだと、ついこの間まで一緒に自由に過ごしていた先輩や友人が言うのです。・「考えないで済んでいることの特権制」を問う 現代ではほとんどの男性は今の働いている状況が当たり前と思い込んでいるので、生きづらいとは感じていないはずです。 僕のように男性だけがフルタイムでずっと働くのはおかしいと思っている人や、典型的なパターンから外れている人、その家族の人たちはそのことについて考えざるを得ません。・「あっという間」で「残念だった」と言う定年退職者 定年退職者の方々のほとんどは、実際に人生80年の半分が「あっという間だった」と感じています。男性は働きさえすればよいと信じて疑わず、そのことによって現役の時に失ったものもあったのではないかと僕は考えます。・日本社会は男性が働いて、女性が育児した方が家計が潤う構造 日本の場合、男女がフルタイムで働いても、賃金格差は男女で10対7程度といわれています。それは、男性が働いたほうが多くの家庭にとってはお得で、女性が育児した方が家計が潤う構造なのです。・家庭においての夫婦平等の大切さ 僕が抱えているような男性の生きづらさも男女が平等にならないと解決しないといつも思っています。ただ、賃金格差をなくすことは今すぐに成し遂げることは難しい問題です。 そこで皆さんにお伝えしたいことは、「我が家はこうだ」というものをつくることから始めませんか、ということです。賃金も含めて確かに社会は不平等かもしれないけれども、家の中まで流される必要はなくて、「自分の家はこうだ」というものを打ち立てることが大事だと思うのです。 その為には夫婦がフェアでないと成立しません。どちらかの意見が強すぎるとこういった価値観が育ちにくいので、夫婦が対等に話し合えることが重要ですし、社会全体が不平等な中で生き抜いていくためにも「夫婦の平等」がとても大事なことなのではないでしょうか。ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー ーーー私は子供(私自身は男なので、男子と言ってもいい)が成長して親の庇護から外れれば働くのは当たり前と思って生きてきたが、この記事ではその意識に異を称えているので、この記事の田中さんの主張は画期的な発想だと思った。でも読んでみると、「なんで俺が働かなくてはならないんだ?女が同じように働けばいいじゃんか、そうなれば俺だけが家族を養うという重荷から解放されるのだ、それができるような男女平等の社会にしようじゃないか」と言っていると読めた。軟弱だとは非難しない。自分が働きたくない故に世間の常識に挑戦し、それをひっくり返すために男女平等の社会が必要じゃないかと強く提言しているところは、賛同しよう。このように上から目線で私が偉そうにいうのも、私の妻は研究者として独立に働いてきたからである。私は子供の頃から女性が男より劣る存在だと思ったことはないし、大学では男女の区別を全くしない江上不二夫先生の研究室だったので、妻が研究者として仕事を続けることに何の疑問も持たなかった。男女平等だと言って自分に向かって鼓舞する必要もなく、あたり前のことだった。だから、自分としては世の中に男女平等を強く推進したわけではない。多くの障害があったはずだがそれに耐えて黙々と働き続けた妻が謙虚で優れた人物だったのだ。優れた伴侶のおかげで私は身構えるまでもなく男女平等が当たり前と思って生きてきたので、田中さんの論拠には違和感を感じるが、今の日本の中の現状はそう感じるのがまだ当たり前のようだ。というわけで、田中さんを応援しよう。(文献1)https://chanto.jp.net/articles/-/287030Chanto Web