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カテゴリ:美術館・博物館
昨秋から神戸でも 『ゴッホ展』やってたけど、 コッチは ゴッホの家族との絆というか、 弟のテオに書いた ゴッホの手紙などを公開しながら、 ゴッホの絵画をたどっていく展覧会で。 切り口が異なるのね。 にしても、 アッチでもゴッホ。 コッチでもゴッホ。 ゴッホ好きだなあ・・・みんな。 ;・∀・ ↑ アタシはそんなには。(苦笑) 『大ゴッホ展』前編。 | TEA&GARDEN ちょっとひとりごと - 楽天ブログ 『大ゴッホ展』後編。 | TEA&GARDEN ちょっとひとりごと - 楽天ブログ コッチの展覧会は、 すべて撮影不可。 だけど、 最後の部屋の イマーシブ映像だけは 撮影可で。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() なんか最近 こんなの多いわね。 映像だけのもあるじゃない ? 没入型展覧会って。 アタシは 本物を見てなんぼだと思うから、 あまり興味がないんだけれども。 いや もっと安かったら、 別に見てもいいんだけど。(苦笑) ↑ 映像だけなのに 高い ! ! 神戸と名古屋とふたつ見たけど、 個人的には、 神戸の方がよかったかな。 見ごたえのある絵が そろってたと思う。 コッチは、 展示されてない アーモンドの花の絵とか、 話題として持ち上げ過ぎというか、 名古屋限定のグッズまであったし。 なんだかなあ・・・ と、 思っちゃって。 ^ ^; ↑ アーモンドの花の絵、 展示されてるのかと 勘違いしちゃった人。(苦笑) 展覧会は5章仕立て。 第1章 ファン・ゴッホ家のコレクションから、 ファン・ゴッホ美術館へ 本展でご紹介する ファン・ゴッホ家の コレクションの歴史は、 フィンセント・ファン・ゴッホの死後、 その作品の大半を 弟テオが受け継いだところから始まります。 本章では、 コレクションを継承し、 フィンセントの作品を 世界へ広めることに貢献した 3人の家族をご紹介します。 弟・テオ ![]() その妻・ヨー ![]() ふたりの息子・フィンセント・ウィレム ![]() 第2章 フィンセントとテオ、 ファン・ゴッホ兄弟のコレクション 兄弟のコレクションは、 ふたりが生きた時代の雰囲気を 伝えてくれるとともに、 フィンセントの芸術を理解する 大きな手がかりとなります。 フィンセントとテオはともに、 十代半ばから画廊で働き始めていて、 手頃な価格のグラフィック・アートは 若いころから身近なものでした。 彼らは版画(オリジナル、複製含む)を買い、 ときに贈り合います。 画家になる決意をしたフィンセントは、 特にフランスやイギリスの雑誌に掲載された挿絵から 大きな影響を受けました。 パリでは同時代の美術も収集します。 フィンセントが 自らの作品と交換で手に入れた作品は、 このとき彼が 画家仲間から得ていた評価を示すものでもあります。 浮世絵を熱心に購入したのは 主にフィンセントで、 芸術的な刺激を受けるだけでなく、 すでに値が上がっていた 印象派の主要画家の作品を、 これらと交換で 何か手に入れようと 意図したものでもありました。 第3章 フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描 フィンセント・ファン・ゴッホが 画家になる決意をしたのは比較的遅く、 1880年、27歳のときでした。 最初の3年間は 主にハーグで素描の腕を磨き、 その後ニューネンで油彩画に取り組みます。 1886年にパリに出ると、 自らの表現が時代遅れであることに気づき、 新しい筆づかいと色彩表現を取り入れ、 独自の様式を生み出していきました。 1888年2月に南仏に移り、 アルルで1年3ヵ月、 サン=レミ=ド=プロヴァンスで1年を過ごし、 自らの表現様式を確立しました。 1890年5月に パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズへ移ります。 新しい芸術の可能性を試み続けていましたが、 自らの胸部をピストルで撃ち、 7月29日に 37歳で息を引き取ります。 わずか10年という短い画業で、 驚くほどの数の作品を制作しました。 ファン・ゴッホ家が受け継いできた 200点を超える絵画、 500点以上の素描・版画は、 現在ファン・ゴッホ美術館に保管され、 世界最大のファン・ゴッホ・コレクションとなっています。 『オリーブ園』 ![]() 『種まく人』 ![]() 同名のミレーの作品への オマージュ。 斜めの樹木による 分割された構図は、 浮世絵の影響を受けている。 『画家としての自画像』 ![]() ゴッホは たくさんの自画像を描いているのだけれども、 この作品は、 義妹ヨーが、 「最も本人に似ている」と評したとか。 ・・・・・・・。 コレ、 本人の写真。 (若い頃 ?) ![]() 確かに目元が似てるかも ? コッチとかよりは。 ^ ^; ![]() でもアタシ、 コッチのイメージが強くて、 今回本人の写真を初めて見て、 全然似てないじゃん ! ! ! と、思ったのよね。 ;・∀・ 本人の写真、 なんか神経質そうというか、 のちに耳切り事件を起こしたり、 自ら命を絶ったり。 なんかしちゃうのもわかる~みたいな ? ・・・・・・・・・。 ;・∀・ ・∀・ 第4章 ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが 売却した絵画 ヨーは テオと結婚する前には 特に美術に縁があったわけではありませんでしたが、 パリでテオと暮らしながら、 しだいにファン・ゴッホをはじめとする 近現代美術に関する知識を身につけました。 テオから 膨大な作品を受け継いだのちには、 個人収集家や美術館の世界、 美術取引の仕組みについても 精通してゆきます。 ヨーが 定期的に作品を売却したのは、 親子が生計を立てるためでもありましたが、 フィンセント・ファン・ゴッホの評価を確立するという 大きな目的のためでもありました。 こうしたヨーの尽力を明らかにするのが、 テオとヨーの会計簿です。 テオの死後には 作品の売却についても記されるようになり、 ヨーがどの作品を いつ誰にいくらで売却したのか、 生々しい記録が残されました。 会計簿の調査・研究は進み、 記載されたもののうち、 170点以上の絵画と 44点の紙作品が特定されています。 第5章 コレクションの充実 作品収集 1973年、 ファン・ゴッホ美術館は 主にフィンセント・ファン・ゴッホ財団のコレクションを 展示する美術館として開館しました。 ファン・ゴッホ作品と 家族に受け継がれてきた ほかの画家たちの作品を中心としながら、 今日までに そのコレクションは 少しずつ拡充されてきました。 1980年代後半から 1990年代前半にかけては、 寄付や寄贈の恩恵を大いに受け、 ときにはファン・ゴッホ作品が加わることもありました。 この時期に 潤沢とはいえない予算を使って購入されたのは、 ファン・ゴッホと関連のある バルビゾン派やハーグ派、 象徴主義の作品です。 また、1990年代の終わり頃からは、 版画やポスターなどの紙作品の収集にも 力を入れます。 このコレクションは いまや世界屈指の質を誇るものとなりました。 さらに収益が美術館にも分配される 宝くじができると、 これまで購入が難しかった作品が 購入できるようになり、 印象派やポスト印象派の作品をはじめ 重要な作品が加わりました。 ファン・ゴッホ美術館には、 ゴッホの手紙も収蔵されていて。 『傘を持つ老人の後ろ姿が描かれた アントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙』 ![]() 2006年に発見され、 本展で日本初公開。 ブリュッセルで出会った2人は 手紙を交わし、 自身の制作や 雑誌に掲載された挿絵などについて語り合う。 本展では、 救貧院の男を描くことに忙しいと述べ、 スケッチを添えた手紙などが展示されている。 ゴッホの弟・テオが、 「ゴッホ美術館」設立に お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 2, 2026 12:42:14 AM
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